人物図鑑 新選組 生年 1834年 没年 1868年

近藤 勇(こんどう いさみ)

新選組局長。天然理心流の剣士として、京都の治安維持を担った新選組の中心人物。 池田屋事件などで名を上げるも、戊辰戦争で敗れ、慶応4年(1868年)に板橋で斬首された。

人物概要

近藤勇

近藤勇とは

近藤勇(こんどう いさみ)は、新選組の局長として知られる幕末の人物です。 武蔵国多摩郡(現・東京都調布市)出身。天然理心流の剣士として、京都での治安維持活動を指揮しました。 池田屋事件などで新選組の名を広めましたが、戊辰戦争で敗れ、慶応4年(1868年)に斬首されました。

名前(幼名・改名)
勝五郎(幼名/のち勝太)→ 宮川勝五郎 → 嶋崎勝太 → 嶋崎勇 → 近藤勇
生年月日
天保5年10月9日(1834年11月9日)※資料により10月5日(1834年11月5日)説もあります
没年月日
慶応4年4月25日(1868年5月17日)
出身地
武蔵国多摩郡上石原村(現・東京都調布市)
流派
天然理心流(四代目宗家)
主な役職
新選組局長、浪士組、壬生浪士組

人物像のポイント

要素ポイント
性格・特徴実直で信念を貫く性格。隊士たちから信頼され、新選組の中心として機能した。
剣術天然理心流の四代目宗家。剣術の実力は高く、隊内でも有数の実力者とされる。
リーダーシップ新選組の規律を維持し、隊士たちを統率。池田屋事件などで指揮を執った。
評価幕府側の立場から活動したが、その実直さや信念は後世でも評価されている。

年表(主要な出来事)

1834
誕生
武蔵国多摩郡上石原村(現・東京都調布市)で生まれる。宮川家の三男として誕生。
1848
天然理心流に入門
近藤周助の道場(試衛館)に入門。天然理心流を学び始める。
1849
目録を受ける(諸説あり)
修行の進展により、目録を受けたとされる時期。
1863
浪士組に参加
上洛し、浪士組に参加。京都での活動を開始。
1864
池田屋事件
池田屋事件で指揮を執り、新選組の名を一躍有名にする。
1867
大政奉還
大政奉還後、新選組は幕府側として活動を続ける。
1868
戊辰戦争・最期
鳥羽・伏見の戦いで敗北。その後、流山で新政府軍に投降し、斬首される。

関連事件・出来事

事件1864年

池田屋事件

池田屋事件

新選組の名を一躍有名にした事件。近藤勇も出動隊の一人として関与し、急進派の動きを制圧したとされる。

事件1867年

油小路事件

油小路事件

伊東甲子太郎一派(御陵衛士)との対立の末に起きた襲撃事件。近藤勇が関与したとされるが、詳細は資料により見解が分かれる。

1868年

鳥羽・伏見の戦い

鳥羽・伏見の戦い

戊辰戦争の始まり。新選組も参戦するが敗北。近藤は負傷中とされ、実戦指揮は土方が担った。

関連人物

土方歳三
土方歳三
新選組副長。近藤勇の右腕として活動。規律と戦略に長けた人物。
沖田総司
沖田総司
新選組一番隊組長。近藤勇の弟子として天然理心流を学ぶ。剣の達人。
近藤周助
近藤周助
天然理心流の三代目宗家。近藤勇の師匠。近藤勇を養子として迎える。
山南敬助
山南敬助
新選組総長。近藤勇と対立し、脱走を試みるが切腹を命じられる。

ゆかりの地

調布市(生誕地)
東京都調布市上石原。近藤勇の生誕地とされる。現在は記念碑などが建立されている。
日野市・多摩周辺(天然理心流と試衛館)
天然理心流の人々と交流し修行を重ねた地域。試衛館の系譜とも深く結びつく。
京都・壬生(新選組屯所)
新選組の本拠地の一つ。近藤勇が局長として活動し、隊の統率を行った場所。
流山(捕縛・投降の地)
千葉県流山市。戊辰戦争のさなか、近藤勇が新政府軍に身柄を拘束され(投降し)、移送される契機となった地。
板橋(処刑地)
東京都北区の板橋宿周辺。近藤勇はここで斬首されたと伝わる。

関連書籍

近藤勇を理解するための書籍

近藤勇について書かれた書籍を紹介します。史実を基にしたものから、小説まで幅広く紹介しています。