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人物図鑑 新選組 御陵衛士 生年 1837年 没年 1919年

鈴木三樹三郎

新選組九番隊組長。参謀・伊東甲子太郎の実弟として入隊し、のち御陵衛士(高台寺党)に参加。 油小路事件をくぐり抜け、戊辰戦争では新政府軍側で戦う。維新後は「忠良」と改名し、警察官・官吏として各地で勤務した。

人物概要

鈴木三樹三郎

鈴木三樹三郎とは

鈴木三樹三郎(すずき みきさぶろう)は、幕末の新選組隊士で、九番隊組長を務めた人物です。 参謀・伊東甲子太郎の実弟として知られ、兄とともに新選組に加わった後、御陵衛士(高台寺党)へ移ります。 1867年の油小路事件を経て、戊辰戦争では新政府軍側として従軍。明治期には改名して警察・司法分野で奉職しました。

名前・通称
鈴木三樹三郎/(通称)三木三郎 など(時期により名乗りが変わる)
生年月日
天保8年7月15日(1837年8月15日)
没年月日
大正8年7月11日(1919年)
出身地
常陸国 志筑(現・茨城県石岡市周辺)
所属・立場
新選組(九番隊組長)/御陵衛士(高台寺党)/新政府軍(戊辰戦争)
維新後
「忠良」と改名し、司法・警察分野の官吏(例:警察署長など)

人物像のポイント

要素ポイント
立場の変遷 新選組→御陵衛士(高台寺党)→新政府軍と、幕末の情勢の中で所属が大きく変わる。
役割 新選組では九番隊組長。御陵衛士では油小路事件を経て薩摩藩邸に保護されたとされる。
戊辰戦争 鳥羽・伏見の戦いでは薩摩藩側に入り、新選組と戦ったとされる。
維新後 官吏として各地の司法・警察に奉職し、長く生きて"元新選組幹部格"の最後期まで残った人物の一人。

年表(主要な出来事)

1837
誕生
常陸国志筑で生まれる(志筑藩士の家)。
1864
京都へ・新選組に加盟
藤堂平助の募集をきっかけに京都へ。兄・伊東甲子太郎らとともに新選組へ。
1865
九番隊組長
新選組で九番隊組長となる(のち降格が伝わる)。
1867
御陵衛士(高台寺党)へ
兄らとともに新選組を離脱し、御陵衛士に参加。
1867
油小路事件
伊東甲子太郎が暗殺され、遺体収容の場面で新選組と乱闘。生き延びて薩摩藩邸に保護されたとされる。
1868
鳥羽・伏見の戦い〜戊辰戦争
薩摩側として鳥羽・伏見で戦い、その後も新政府軍として北越・会津方面などに従軍。
1868
赤報隊(二番隊隊長)
赤報隊に関わり隊長格として行動。のち「偽官軍」事件に連座の疑いで投獄されたとされる。
1869-1885
官吏・警察関係に奉職
改名後、司法・警察分野で各地に勤務。のち退官し郷里で余生。
1919
死去
老衰で死去。墓所は石岡市の東耀寺とされる。

関連事件・出来事

事件1867年

油小路事件

伊東甲子太郎が暗殺され、御陵衛士と新選組が衝突。三樹三郎は遺体収容の場面に関わったとされる。

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1868年

鳥羽・伏見の戦い

戊辰戦争の開戦。薩摩側の部隊に入り、伏見奉行所周辺で新選組と戦ったとされる。

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出来事1868年

赤報隊

官軍先鋒隊の一つ。元新選組脱隊士も参加し、三樹三郎が隊長格として名が挙がる。

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関連人物

伊東甲子太郎
新選組参謀。三樹三郎の実兄。のち御陵衛士(高台寺党)を率いるが油小路事件で暗殺された。
篠原泰之進
御陵衛士の中心人物の一人。三樹三郎と同じく油小路事件に関わる。
藤堂平助
新選組八番隊組長。隊士募集の働きかけが、三樹三郎らの入隊につながったとされる。
相楽総三
赤報隊の中心人物。隊長として年貢半減令の布告などで知られる。

ゆかりの地

茨城・石岡(出身地周辺)
常陸国志筑(現・茨城県石岡市周辺)。三樹三郎の出身地とされる。
京都・高台寺周辺(御陵衛士)
新選組離脱後、御陵衛士(高台寺党)として活動したとされるエリア。
京都・七条油小路(油小路事件)
伊東甲子太郎暗殺と、その後の衝突で知られる場所。三樹三郎も関与したとされる。
石岡・東耀寺(墓所)
墓所は石岡市の東耀寺とされる。