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人物図鑑 新選組 生年 1840年 没年 1868年

原田左之助

新選組隊士(副長助勤)として活動し、のちに十番隊組長としても知られる人物。 池田屋事件や禁門の変などで奮戦し、戊辰戦争期には近藤勇らと行動を共にした。 最期は上野戦争で負傷し、その傷がもとで亡くなったとされる(戦死・生存など諸説あり)。

人物概要

原田左之助

原田左之助とは

原田左之助(はらだ さのすけ)は、幕末に新選組隊士(副長助勤)として活躍した人物です。 伊予松山藩(現・愛媛県松山市)に生まれ、のちに浪士組として上洛。 壬生浪士組(のち新選組)に加わり、池田屋事件・禁門の変・油小路事件など主要局面で行動しました。 戊辰戦争では鳥羽・伏見の戦い以後も旧幕府方として戦いますが、江戸に戻った後は近藤勇らと袂を分かち、 上野戦争で負傷し、まもなく死亡したとされます(戦死とする記述や、生存して大陸へ渡ったという伝説もあります)。

本名
原田忠一(諱)/通称:左之助
生年
天保11年(1840年)
没年
慶応4年5月17日(1868年7月6日)※負傷後に死亡とされる
出身地
伊予松山藩(現・愛媛県松山市)
得意武芸
槍術に秀でたと伝わる(「槍の名手」として語られることが多い)
主な役職
新選組隊士(副長助勤)、十番隊組長(諸資料で言及)、甲陽鎮撫隊、靖共隊(靖兵隊)など

人物像のポイント

要素ポイント
武勇 実戦の場面で前線に立つことが多く、主要事件に関与した隊士として名が挙がる。
得意分野 槍を得意とする人物像が定着しており、新選組でも"槍の使い手"として語られる。
実務面 編成上、兵站・補給に関わる役割を担ったとされ、戦闘だけでなく運用面でも重要視されたという説明がある。
最期(諸説) 上野戦争での負傷後に死亡した説がある一方、戦死とする記述や、生存して大陸に渡ったという伝説も残る。

年表(主要な出来事)

1840
誕生
伊予松山藩(松山城下)に生まれる。
1863
浪士組として上洛・新選組へ
浪士組に参加し上洛。近藤勇らと同じ組に属し、京都残留組として活動を開始。
1864
池田屋事件
池田屋事件では土方歳三隊に配属され、事件当夜の行動に関わったとされる。
1865
組織運用面での役割(十番隊など)
隊の編成や兵站面での役割を担ったとされ、十番隊組長として紹介されることが多い。
1867
京都での警備・粛清事件
京都市中の治安維持に従事し、油小路事件など新選組の重大局面に関与したとされる。
1868
戊辰戦争・最期(諸説)
鳥羽・伏見の戦い後も転戦。江戸で近藤らと袂を分かち、上野戦争で負傷、のちに死亡したとされる(戦死・生存伝説あり)。

関連事件・出来事

事件1864年

池田屋事件

新選組の名を一躍高めた襲撃事件。原田は土方隊に配属され行動したとされる。

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事件1867年

油小路事件

伊東甲子太郎らが襲撃された事件。原田も関与したとされ、新選組の内部対立が表面化した。

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1868年

上野戦争(彰義隊)

旧幕府勢力が寛永寺に立てこもった戦い。原田は負傷し、その後死亡したとされる(諸説あり)。

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関連人物

近藤勇
新選組局長。浪士組参加時、原田は近藤の組に所属し行動を共にした。
土方歳三
新選組副長。池田屋事件では原田が土方隊に配属されたとされる。
永倉新八
新選組隊士。戊辰戦争期、原田は永倉と共に新組織(靖共隊/靖兵隊)を結成したとされる。
伊東甲子太郎
新選組の内部対立の中心人物。油小路事件で襲撃され、新選組の分裂を決定づけた。

ゆかりの地

愛媛県松山市(出身地)
伊予松山藩の城下で生まれたとされる。故郷には生存伝説(大陸渡航説)も伝わる。
江戸・試衛場(近藤道場)
浪士組参加に至るまでの人脈・行動圏。資料上「試衛場組」とともに京都残留組として動いた記述が見られる。
京都・壬生/西本願寺(屯所)
壬生での初期活動から、西本願寺へ屯所が移った時期まで、京都市中の警備に従事した。
江戸・上野(寛永寺)/本所猿江
上野戦争で負傷し、本所猿江周辺で死亡したとする説がある(墓所は不明とされる)。