人物概要

新見錦とは
新見錦(にいみ にしき)は、新選組(壬生浪士組)の草創期に「局長格」として名が挙がる人物です。 水戸藩脱藩を自称したとも言われますが、史料上の確実な来歴は少なく、隊士の中でも特に謎が多い存在として紹介されます。 一時期は局長格、次いで副長格にあったと伝えられる一方で、乱暴狼藉や禁令違反が重なり、 文久3年(1863年)9月ごろに切腹を命じられて死亡したとされます。 なお、切腹の場所(四条木屋町の旅籠/祇園の貸座敷など)や日付には複数の記録があり、ここでは「諸説あり」として扱います。
名前
新見錦(にいみ にしき)
生年
天保7年(1836年)頃とされる(諸説)
没年
文久3年(1863年)9月ごろ(諸説)
出身
水戸藩関係を自称とも(確証に乏しいとされる)
剣術(伝承)
神道無念流(免許皆伝とする記述があるが真偽不明)
主な立場
新選組(壬生浪士組)草創期の局長格/副長格(伝承)
人物像のポイント
| 要素 | ポイント |
|---|---|
| 立場 | 草創期に幹部(局長格→副長格)として名が挙がるが、活動実態は不明点が多い。 |
| 武名 | 剣の腕前が高かったとする紹介がある一方、流派や師匠は裏付けが弱いとされる。 |
| 素行 | 禁令違反・乱暴狼藉が重なり、隊内で処分(切腹)に至ったと説明される。 |
| 草創期の転機 | 幹部の処分は、内部統制が強まる節目として語られることが多い。 |
年表(主要な出来事)
1836頃
誕生(諸説)
天保7年(1836年)頃の生まれとする説があるが、確定的な来歴は少ないとされる。
1863
浪士組として上洛
幕府募集の浪士組として京都へ。清河八郎の帰還方針を経て、京都残留組が壬生浪士組へとまとまっていく流れの中で名が挙がる。
1863
壬生浪士組(新選組草創期)の幹部に
草創期の幹部(局長格、のち副長格)として伝わるが、詳細な活動は不明点が多い。
1863(9月頃)
切腹を命じられる(諸説)
禁令違反や乱暴狼藉を理由に切腹を命じられたとされる。場所・日付は複数の記録がある。
関連事件・出来事
組織1863年
壬生浪士組(新選組草創期)
浪士組の分裂後、京都に残留した勢力が治安維持を担う流れの中で、新見錦の名が幹部として挙がる。
処分1863年
新見錦 切腹(諸説)
乱暴狼藉・禁令違反を理由に切腹を命じられたとされる。場所(四条木屋町/祇園など)や日付に差がある。
事件1863年
芹沢鴨暗殺(粛清)
草創期幹部の処分・粛清が続く時期として語られ、新選組の体制変化の背景として関連づけられる。
関連人物
ゆかりの地
京都・壬生(草創期の活動拠点)
壬生周辺は壬生浪士組の拠点として知られ、草創期の動きと結びつけて語られる。
京都・祇園(切腹の場所とする説)
祇園新地の貸座敷(山緒)で切腹したとする記録がある(諸説)。
京都・四条木屋町(切腹の場所とする説)
四条木屋町の旅籠(吉成常郎宿泊先)で乱暴を働き、そこで切腹したとする記録が紹介される(諸説)。
茨城(水戸藩関係を自称とも)
水戸藩脱藩を自称したとされる一方で、確証に乏しいとも紹介される。



