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人物図鑑 新選組 二番隊 生年 1839年 没年 1915年

永倉新八

新選組の二番隊組長・撃剣師範として活躍した剣士。池田屋事件などで実戦を経験し、戊辰戦争でも転戦。 多くの幹部が倒れる中で大正期まで生き、回想(のちの『新選組顛末記』)を通じて新選組の姿を後世に伝えた人物として知られる。

人物概要

永倉新八

永倉新八とは

永倉新八(ながくら しんぱち)は、幕末の武士で、新選組隊士として二番隊組長・撃剣師範を務めた人物です。 松前藩の家に生まれ、江戸・下谷の藩邸で出生。神道無念流の道場で剣術を学び、のちに近藤勇らと行動を共にして浪士組へ参加しました。 新選組結成後は中枢として活動し、池田屋事件では突入メンバーの一人として戦っています。 明治期には「杉村義衛(すぎむら よしえ)」と改名し、北海道の樺戸集治監で撃剣師範を務めたことでも知られます。 晩年は小樽で過ごし、大正4年(1915年)に没しました。

名前(改名)
幼名:栄吉(栄治)→ 永倉新八 → 杉村義衛(ほか改名あり)
諱(いみな)
のりゆき(表記:範之/載之 などの揺れがある)
生年月日
天保10年4月11日(1839年5月23日)
没年月日
大正4年1月5日(1915年1月5日)
出身(出生地)
武蔵国 江戸・下谷(現・東京都台東区)
松前藩(のち幕臣とされる)
剣術
神道無念流(入門)
主な役職
新選組 二番隊組長・撃剣師範

人物像のポイント

要素ポイント
剣の実戦経験二番隊組長として実戦に参加。池田屋事件では突入メンバーの一人として戦ったとされる。
組織内での位置二番隊組長・撃剣師範として「隊の中枢」を担う立場で活動した。
戊辰戦争での転戦鳥羽・伏見以後も戦闘に加わったことが記され、旧幕府側として転戦した人物像で語られる。
後世への証言大正期まで生き、回想が『新選組顛末記』として整理され、新選組研究でも重要視される。

年表(主要な出来事)

1839
誕生
江戸・下谷の松前藩邸で生まれる。
1846
神道無念流の道場へ
剣術道場に入門し、剣の修行を始める。
1863
浪士組に参加
近藤勇らと行動を共にして浪士組へ参加。京都へ上洛する。
1864
池田屋事件
突入隊として戦闘に参加。新選組の名が広く知られるきっかけとなる。
1867
油小路事件
御陵衛士(伊東甲子太郎ら)暗殺に関与したと記される。
1868
鳥羽・伏見〜戊辰戦争
鳥羽・伏見の戦いに参戦し、その後も旧幕府側として転戦する。
明治期
杉村義衛と改名/北海道へ
杉村義衛と名を改め、樺戸集治監で撃剣師範を務めたとされる。
1915
晩年・死去
北海道・小樽で没する。

関連事件・出来事

事件1864年

池田屋事件

池田屋事件

新選組の名を一躍有名にした事件。近藤勇も出動隊の一人として関与し、急進派の動きを制圧したとされる。

事件1867年

油小路事件

油小路事件

伊東甲子太郎一派(御陵衛士)との対立の末に起きた襲撃事件。近藤勇が関与したとされるが、詳細は資料により見解が分かれる。

1868年

鳥羽・伏見の戦い

鳥羽・伏見の戦い

戊辰戦争の始まり。新選組も参戦するが敗北。近藤は負傷中とされ、実戦指揮は土方が担った。

関連人物

土方歳三
土方歳三
新選組副長。路線や運営をめぐる対立が語られることもあるが、共に実戦をくぐり抜けた中枢の一人。

ゆかりの地

江戸・下谷(出生地)
松前藩の江戸藩邸(下谷)で生まれたとされる。現在の東京都台東区周辺。
京都・壬生(新選組の活動拠点)
浪士組〜新選組として京都で活動。池田屋事件などの時期も京都で動いた。
北海道・月形町(樺戸集治監)
明治期に「杉村義衛」と改名し、樺戸集治監で剣術(撃剣)師範を務めたと紹介されている。
北海道・小樽(晩年・最期の地)
晩年を小樽で過ごし、大正4年(1915年)に没したとされる。