人物概要

芹沢鴨とは
芹沢鴨(せりざわ かも)は、幕末に京都で活動した壬生浪士組(のちの新選組)の筆頭局長(頭取)として知られる人物です。 水戸藩の浪士として浪士組に参加し、近藤勇らとともに京都に残留して会津藩預かりの治安組織となった流れの中で、 草創期の隊を率いた存在として語られます。 いっぽうで、酒癖や金銭面のトラブルなど素行問題が伝えられ、隊内の対立が深まった末に、 文久3年(1863年)に壬生の八木邸で粛清(暗殺)されたとされます。 ※生年・本名・没日(旧暦の日付)は資料により揺れがあるため、ここでは「諸説あり」として扱います。
本名(諸説)
木村継次(下村嗣次とも)など諸説
生年
不詳(1826〜1832年頃など諸説)
没年
文久3年(1863年)※旧暦日付は諸説
出身(概ね)
常陸国(水戸藩)とされる
剣術
神道無念流(免許皆伝と伝わる)
主な立場
壬生浪士組(新選組)筆頭局長(頭取)
人物像のポイント
| 要素 | ポイント |
|---|---|
| 草創期のリーダー | 新選組(壬生浪士組)の初期に「局長(筆頭)」として隊を率いたとされる。 |
| 武名 | 剣の腕前は高いとされ、神道無念流の免許皆伝と伝わる。 |
| 破天荒さ | 酒癖や金銭トラブルなど、問題行動が伝えられ、隊内対立の要因になったと語られる。 |
| 結末 | 八木邸で粛清(暗殺)されたとされ、以後の新選組の体制が近藤派中心へ移っていく転機となった。 |
年表(主要な出来事)
生年不詳
常陸国(水戸藩)に生まれたとされる
生年は確定せず、1826〜1832年頃など諸説があるとされる。
1863
浪士組に参加・京都へ
将軍警護の浪士組として上洛。清河八郎の帰還方針に反対し、近藤勇らと京都残留へ。
1863
会津藩預かりとなり、壬生浪士組へ
会津藩(京都守護職)の預かりとして治安維持に従事し、壬生浪士組(後の新選組)として活動が進む。
1863
新選組の名が拝命されたとされる
八月十八日の政変での警備などを経て「新選組」の名を拝命したと説明される。
1863
八木邸で粛清(暗殺)
文久3年(1863年)に壬生の八木邸で殺害されたとされる。旧暦の日付は諸説あり。
関連事件・出来事
関連人物
ゆかりの地
茨城(常陸国・水戸藩)
水戸藩浪士として語られる。出生地・生年は確定せず、諸説がある。
京都・壬生(八木邸/屯所)
壬生の八木家は草創期の宿所(屯所)として知られ、芹沢暗殺の現場とも伝えられる。
壬生寺(壬生塚)
壬生塚には新選組隊士の墓があり、芹沢鴨の墓があると案内される。
島原(角屋)
芹沢暗殺の夜、宴会の場として語られることがある(伝承・説を含む)。



