概要

ペリー来航とは
「ペリー来航」は、アメリカ海軍のマシュー・ペリー提督が1853年に江戸湾へ現れ、 日本に開国を求めた一連の出来事です。黒い船体や煙を上げる蒸気船は「黒船」と呼ばれ、 人々に大きな衝撃を与えました。1854年の再来航で交渉が進み、日米和親条約が締結され、 下田と箱館がアメリカ船に開かれるなど、対外政策が大きく動き始めます。
いつ
1853年7月8日(初来航)/1854年2月13日(再来航)
どこ
江戸湾(浦賀沖)・久里浜(上陸地点)・横浜周辺(交渉)・下田・箱館 など
何が起きた
大統領親書の提出 → 再来航で交渉 → 日米和親条約(1854年3月31日)
結果
下田・箱館の開港、補給や安全確保などを規定(のちの条約交渉の出発点)
ポイント(かんたん整理)
| 要素 | ポイント |
|---|---|
| 黒船の衝撃 | 蒸気船と武力を背景にした来航で、幕府は強い圧力を受けた。 |
| 交渉の場所 | 初来航は浦賀沖、上陸は久里浜。再来航では横浜周辺で交渉が進む。 |
| 条約 | 1854年3月31日に日米和親条約が結ばれ、下田・箱館が開かれる。 |
| 幕末への影響 | 対外政策が揺らぎ、国内政治(幕府の権威・対立)にも大きな波が広がる。 |
年表(主要な出来事)
1853年07月08日
初来航(浦賀沖)
ペリーが4隻の艦隊で江戸湾(浦賀)に現れる。
1853年07月14日
久里浜に上陸・親書提出
久里浜に上陸し、開国を求める大統領親書を幕府側へ手渡す。
1854年02月13日
再来航(規模拡大)
翌年、より大きな艦隊で再び来航。交渉が本格化する。
1854年03月08日
交渉開始(横浜周辺)
横浜周辺で日米の交渉が始まる。
1854年03月31日
日米和親条約の締結
日米和親条約(Treaty/Convention of Kanagawa)が結ばれ、下田・箱館の開港などが決まる。
関連事件・出来事
条約1854年
日米和親条約(神奈川条約)
ペリー再来航の交渉で結ばれた条約。下田・箱館の開港などが定められた。
事件1858-1859年
安政の大獄
条約をめぐる対立の中で起きた弾圧。幕末の政治対立を深める。
関連人物
マシュー・ペリー
アメリカ海軍提督。1853年に浦賀へ来航し、1854年の交渉で日米和親条約へ導いた。
ミラード・フィルモア
当時のアメリカ大統領。開国を求める親書が日本側へ渡された。
タウンゼント・ハリス
のちに下田へ赴任し、通商条約交渉へつながる流れを作る。
ゆかりの地
浦賀(江戸湾入口)
1853年、ペリー艦隊が姿を現した地点として知られる。
久里浜(上陸地点)
ペリーが上陸した場所として記念碑や公園が整備されている。
横浜周辺(交渉の場)
1854年の再来航後、横浜周辺で交渉が進められ、条約締結へつながった。
下田・箱館(開港地)
日米和親条約で、アメリカ船に開かれる港として定められた。

