概要

日米和親条約(神奈川条約)とは
日米和親条約は、ペリー提督の艦隊が再び日本近海に現れたことを受けて結ばれた「平和と友好(和親)」の条約です。 条文は全12ヶ条。日本側は武力衝突を避けつつ、最低限の条件で合意する形を選び、 下田・箱館の2港を開いて補給を認め、遭難者の救助や、下田への領事駐在(条件付き)などを定めました。 ここでの"開港"は主に寄港・補給のための枠組みで、自由貿易(本格的な通商)は次の段階(1858年の通商条約)へ持ち越されます。
調印日
1854年3月31日(嘉永7年3月3日)
調印場所
神奈川(横浜村)
条文
全12ヶ条(Treaty / Convention of Kanagawa)
主な内容
下田・箱館の開港/遭難船・遭難者の救助/補給(薪水・食料等)/下田への領事駐在(調印後18ヶ月以降)/片務的最恵国待遇 など
位置づけ
通商(自由貿易)を定める条約ではなく、「和親(平和・友好)+補給・救助」が中心
ポイント(かんたん整理)
| 要素 | ポイント |
|---|---|
| 開港 | 下田・箱館(函館)を開き、寄港・補給の窓口を作った。 |
| 救助 | 遭難船・遭難者を救助し、虐待や投獄をしない趣旨が盛り込まれた。 |
| 補給 | 薪水・食料などの供給を認める(供給は日本側が管理する形)。 |
| 領事 | 下田にアメリカ領事(または代理人)を置くことを、調印後18ヶ月以降に認める条項がある。 |
| 最恵国 | 将来、日本が他国により有利な条件を与えた場合、アメリカにも同等を与える(片務的最恵国待遇)。 |
年表(主要な出来事)
1853年
ペリー来航・国書提出
江戸湾へ来航し、開国を求める国書が幕府へ渡される。
1854年02月
再来航・条約交渉
ペリーが艦隊を率いて再び来航し、和親条約の締結を強く求め、交渉が進む。
1854年03月31日
日米和親条約(神奈川条約)調印
神奈川(横浜村)で全12ヶ条の条約に調印。下田・箱館の開港などが定められる。
1855年02月21日
批准書交換(発効)
下田で批准書を交換し、条約が発効する。
1858年
日米修好通商条約へ
"通商(貿易)"を本格的に定める条約(ハリス条約)へ進む。
関連事件・出来事
出来事1853-1854年
ペリー来航(黒船来航)
国書提出から再来航、条約交渉へつながる一連の出来事。
事件1858-1859年
安政の大獄
条約をめぐる対立が深まり、幕府が反対派を弾圧。幕末政治が激しく揺れる。
関連人物
マシュー・ペリー
アメリカ側全権。再来航で交渉を押し進め、条約調印に至る。
ゆかりの地
神奈川(横浜村)
条約が調印された場所。現在の横浜周辺にあたる。
下田(伊豆)
条約で開かれた港の1つ。批准書交換の地でもある。領事駐在もここが想定された。
箱館(函館)
条約で開かれた港の1つ。北の寄港地として位置づけられた。

