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人物図鑑 新選組 生年 1832年(諸説) 没年 1866年

谷三十郎

新選組の七番隊(七番組)組長を務めたとされる隊士。備中松山藩(現・岡山県高梁市周辺)ゆかりの「谷三兄弟」の長兄として知られる。 池田屋事件などで活動し、慶応2年(1866年)に京都・祇園で急死した(死因は諸説)。

人物概要

谷三十郎(イメージ)

谷三十郎とは

谷三十郎(たに さんじゅうろう)は、新選組隊士として活動し、七番隊(七番組)組長を務めたとされる人物です。 「谷三兄弟(谷三十郎・谷万太郎・谷周平)」の長兄として知られ、京都での治安維持や探索などに関与したと伝わります。 最期は慶応2年(1866年)、京都・祇園社(現・八坂神社周辺)で急死したとされ、死因は病死・卒中・暗殺など諸説があります。

諱(いみな)
供国(ともくに)
生年
天保3年(1832年)ごろ(諸説)
没年
慶応2年4月1日(1866年5月15日)
出身
備中松山藩(現・岡山県高梁市周辺)ゆかり
主な立場
新選組隊士/七番隊(七番組)組長(とされる)
補足
槍術師範とされることがある一方、弟・谷万太郎との混同可能性も指摘される

人物像のポイント

要素ポイント
立場「谷三兄弟」の長兄として知られ、隊内で一定の地位(七番隊組長など)に就いたとされる。
武術剣術・槍術に通じたと伝わるが、槍術師範の扱いは弟・万太郎との混同が語られることもある。
活動範囲京都での警備・探索に加え、大坂方面での任務に関わったとされる。
最期京都・祇園周辺で急死。病死・卒中・暗殺など諸説があり、断定しにくい。

年表(主要な出来事)

1832頃
誕生
備中松山藩(現・岡山県高梁市周辺)ゆかりの家に生まれたとされる(生年は諸説)。
1863
浪士組〜壬生浪士組へ
上洛後、京都での浪士組・壬生浪士組の流れの中で新選組隊士として活動したとされる。
1864
池田屋事件
京都の治安維持活動の中で池田屋事件期に活動。新選組の名が広く知られるきっかけとなる。
1865
大坂方面での探索・事件
大坂での探索任務に関わったとされ、「ぜんざい屋事件」など大坂市中の騒擾計画摘発に関与したと語られる。
1865頃
七番隊(七番組)組長
組織改編の中で七番隊(七番組)組長となったとされる。
1866
祇園で急死
慶応2年(1866年)に京都・祇園社周辺で急死。死因は病死・卒中・暗殺など諸説。

関連事件・出来事

事件1864年

池田屋事件

新選組が京都の尊攘派を急襲し、名が広まった事件。谷三十郎も同時期の隊士として活動したとされる。

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事件1865年

ぜんざい屋事件

大坂での放火・騒擾計画を摘発したとされる事件。谷兄弟が関与したという伝承がある。

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関連人物

ゆかりの地

岡山県高梁市周辺(備中松山藩ゆかり)
備中松山藩ゆかりの出身として語られる地域。城下町の歴史とともに「谷三兄弟」が紹介されることがある。
大坂(探索・道場の伝承)
大坂方面での探索任務や事件への関与が語られ、谷兄弟の活動の舞台として取り上げられる。
京都・壬生(新選組の拠点)
新選組の屯所が置かれた地域。谷三十郎も京都での治安維持活動に関わったとされる。
京都・祇園(最期の地)
祇園社(現・八坂神社周辺)で急死したとされる。詳細は諸説。
大阪・本傳寺(谷家墓所)
谷三兄弟ゆかりの墓所があるとされる寺院。境内墓地に谷三兄弟が眠る旨の案内がある。