人物概要
岡田以蔵とは
岡田以蔵(おかだ いぞう)は、幕末の土佐藩郷士で、諱(本名にあたる名)は宜振(読みは「よしふる」など諸説)とされます。 土佐勤王党に加盟し、京都で「天誅」と称した暗殺に関与したとされる人物として語られ、 のちに土佐へ送られて慶応元年(1865年)に処刑されました。 墓所は高知市の真宗寺山にあります。 なお、以蔵の「確実な肖像(写真・肖像画)は残っていない」とされ、紹介される写真の中には別人(岡田井蔵)と混同された例があるため、 ページ内の画像はイメージとして扱うのが安全です。
通称
岡田以蔵/人斬り以蔵
諱(本名)
宜振(読みは諸説)
生年月日
天保9年1月20日(1838年2月14日)
没年月日
慶応元年閏5月11日(1865年7月3日)
出身
土佐(生地は香美郡岩村=現・南国市周辺とされ、のち高知城下へ移ったと説明される)
立場
土佐藩郷士/土佐勤王党に加盟
墓所
真宗寺山(高知市)
人物像のポイント
| 要素 | ポイント |
|---|---|
| 位置づけ | 土佐勤王党に連なる「実行役」として語られ、京都での天誅事件に関与したとされる。 |
| 時代背景 | 尊王攘夷派への弾圧や政争のなかで、暗殺・制裁が横行した局面と結びついて語られる。 |
| 最期 | 取り調べののち土佐で処刑(打ち首・獄門と説明される)。 |
| 肖像 | 確実な写真・肖像画が残っていないとされ、別人の写真と混同された例もあるため注意が必要。 |
年表(主要な出来事)
1838
誕生
土佐で生まれる(香美郡岩村=現・南国市周辺とされる)。
1861
土佐勤王党に加盟
武市瑞山らの動きと連動し、土佐勤王党に加盟したとされる。
1862-63
京都での天誅事件
京都で「天誅」と称した暗殺・制裁に関与したとされ、「人斬り以蔵」として知られるようになる。
1864
捕縛~土佐へ送還
京都で捕えられ、のちに土佐藩側に引き渡され土佐へ送られたと説明される。
1865
処刑
慶応元年閏5月11日(1865年7月3日)に処刑されたとされる。
関連事件・出来事
組織1861年
土佐勤王党
武市瑞山らが結成した政治運動。以蔵は加盟したとされる。
事件1862-63年
天誅事件(京都での暗殺・制裁)
尊王攘夷派への弾圧に関与した者などを標的にした暗殺・制裁。以蔵が関与したとされる。
事件1864-65年
土佐勤王党弾圧と以蔵の処刑
勤王党関係者の捕縛が進む中、以蔵も送還・取り調べののち処刑されたとされる。
関連人物
ゆかりの地
高知県南国市周辺(生地とされる地域)
香美郡岩村(現・南国市周辺)に生まれたと説明される。
高知市 相生町周辺(七軒町)
高知城下の七軒町(現・高知市相生町周辺)に住むようになったと説明される。
京都(天誅事件の舞台)
京都での暗殺・制裁(天誅)に関与したとされ、幕末史の舞台として語られる。
高知市 真宗寺山(墓所)
岡田家累代墓地の一角に「岡田以蔵宜振墓」があると案内される。