第一章:幼少期 ― 孤独と剣の芽生え

幕末の風景イメージ

1. 土佐の片隅に生まれて

土佐の貧しい郷士の家に、長男として岡田以蔵は生まれた。
以蔵が生まれたその瞬間から、家の空気は少しだけ重くなった。
父・岡田義平は無口な男で、土地を耕し、わずかな藩の下役仕事をこなしながら、家を支えていた。
母・里江は、黙って家を守る女だった。

両親は何も言わなかった。
だが、家の空気が教えていた。
――おまえが、この家を背負うのだと。

幼い以蔵は、早くから家事を手伝い、近所の子どもと遊ぶことはほとんどなかった。
他所の家から笑い声が聞こえてくると、耳を塞いで畑の草むしりに没頭した。
「笑っていてはいけない」と、誰に言われたわけでもなく、そう思っていた。

親の期待も、周囲の目も、何もかもが「長男である」という自覚を以蔵に植えつけていた。

ある日、母がふと漏らした。
「以蔵、あんたはほんまに、無理をしよるね」
それは、優しい言葉だったはずだ。
だが、以蔵は何も言えなかった。
"弱音"を吐いたら、背負っているものが落ちてしまうような気がした。

2. 剣に惹かれた日

それは、夏の夕暮れのことだった。

父が珍しく、「今日は、ついてこい」と言った。
向かったのは村外れにある古びた道場。
軒先には風鈴が揺れ、道着姿の若者たちが、竹刀を交えていた。

パシン、パシンと竹が鳴る。
打ち合う音。足の踏み込み。掛け声。
そのすべてが、以蔵の中で一気に火をつけた。

――これが、「生きている」ということか。

誰にも邪魔されず、自分だけの道を突き進む姿。
そこに、自由があった。
そこに、自分がいた。

家に帰ると、以蔵は細い竹を削り、木刀を作った。
誰に言われるでもなく、庭で素振りを始めた。

剣を振ると、心が静かになった。
背負わされていたものが、一瞬だけ空に溶けていくようだった。
剣は、"重さ"を消してくれる。
それが、以蔵の初めての"自由"だった。

3. 初めての剣との出会い

それからの日々、以蔵は夕暮れになると庭に出た。
父は何も言わなかった。母も止めなかった。
木刀は次第に手になじみ、振り下ろすたびに身体が覚えていった。

近所の子が「一緒に遊ぼう」と声をかけても、以蔵は首を振った。
自分には、この剣だけが遊びであり、生きる道だった。

ある日、道場の久保善兵衛が、以蔵の稽古を見て言った。

「おまん、誰にも教わってないのに、よう動けちゅう」
「...強うなりたいだけです」

その声は、少年らしからぬ静けさを持っていた。

「なぜ、強くなりたい?」

善兵衛の問いに、以蔵は一拍おいて、こう答えた。

「この家を、潰さんために」

その答えに、善兵衛は何も返さなかった。
ただ、深く頷いた。