坂本 龍馬(さかもと りょうま)
| 1836年1月3日 天保6年11月15日 |
土佐国土佐郡上街本町筋一丁目(現在の高知県高知市上町一丁目)に生まれる。 |
|---|---|
| 1846年 弘化3年 |
母・幸が没。 |
| 1853年 嘉永6年 |
剣術修行のため江戸(東京都)に出る。 北辰一刀流剣術開祖千葉周作の弟の千葉定吉の桶町千葉道場(通称:小千葉道場)(東京都千代田区)に入門 佐久間象山の私塾に通う。 |
| 1854年 安政元年 |
土佐に帰郷。 画家の川田小龍から西洋事情を学ぶ。 |
| 1855年 安政2年 |
父・八平が没。 |
| 1856年 安政3年 |
江戸・小千葉道場に遊学。 |
| 1857年 安政4年 |
盗みを働き切腹沙汰となった仲間の山本琢磨を逃がす。 |
| 1858年 安政5年 |
剣術修行を終えて帰国。 北辰一刀流免許皆伝「北辰一刀流長刀兵法・目録」。 |
| 1861年 文久元年 |
武市瑞山をリーダーとする土佐勤王党に参加。 |
| 1862年 文久2年 |
沢村惣之丞とともに脱藩。 勝海舟の弟子になる。 |
| 1863年 文久3年 |
神戸海軍塾の塾頭になる。 |
| 1865年 慶応元年 |
亀山社中を創設。 |
| 1866年 慶応2年 |
寺田屋で幕吏に襲撃される。 京都で長州の桂小五郎(木戸孝允)と薩摩の西郷隆盛が会見し、薩長同盟(薩長盟約)が結ばれるのに関与。 |
| 1867年 慶応3年 |
海援隊を創設。 後藤象二郎とともに船中八策を策定。 |
| 1867年12月10日 慶応3年11月15日 |
京都の旅寓「近江屋」(京都市中京区)で何者かに中岡慎太郎と共に暗殺。 |
名言
世の中の
人は何ともいえばいへ
わがなすことは
われのみぞ知る
人の世に道は一つということはない。
道は百も千も万もある。
いったん志を抱けば、
この志にむかって事が進捗するような手段のみをとり、
いやしくも弱気を発してはいけない。
たとえその目的が成就できなくても、
その目的への道中で死ぬべきだ。
世に生を得るは、事を成すにあり。
観光地
高知県
京都府
寺田屋 (てらだや)
幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」
近江屋跡:京都府京都市中京区河原町通四条上ル
