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September 2010

山岡鉄舟の人気の秘密

山岡鉄舟山額.jpg 私の実家のお寺には、山岡鉄舟直筆の山額があります。 

 明治初期に火災で焼失した本堂を再建するため、当時の住職に協力して寄進を集めるための、たくさんの書を残したそうです。お寺には、この山額しか残っていないのですが、わずか1年余りで本堂を建て直してしまったそうですから、その人望とパワーは想像もつかないぐらい凄いものだったと思います。

 鉄舟の書については、山岡鉄舟研究家の山本紀久雄さんが「山岡鉄舟研究会」のホームページにきれいな写真と素晴らしい解説でわかりやすく書いていらっしゃいます。山本さんの鉄舟研究をお読みになると、当時の時代背景や人間関係、鉄舟の日ごろの様子や心構えなどが見えてきます。

 山岡鉄舟の名前は、禅と剣と書に生きた人として海外でも人気があります。禅・剣・書といえば、日本文化の象徴みたいなものです。なにしろかっこいい!禅の修行をしている日本人で、おサムライで、しかもお習字がうまい!と、非常に外国人好みの要素に富んだ人物なのです。むしろ、日本人のファンより外国人のファンのほうが多いのではないか?と思えるぐらいです。とくに、武道をやっている外国人の方にとっては、憧れの存在のようです。

 無骨な性格だったと言われている鉄舟ですが、正直で素直な人柄は好かれたようですし、とにかく強かったという逸話がたくさんあります。亡くなるときも、自らの死期を悟って最期の座禅をくみ、そのままの姿勢でなくなったといいます。

 とにかく、最後の最期まで非常にかっこよかった。

 それが、山岡鉄舟という幕末を生きた人物の人気の秘密です。

  現代に生きる私たちも、日本の文化や伝統を見直し、それを日々実践していくことで、外国人もかっこいい!と感じてくれる日本人になれるのです。

  かっこいい日本人を目指して生きましょう!

 

 感謝

 

[ 2010年09月17日22時22分18秒 ]

京都の霊山歴史館に行ってみました

 先週の月曜日まで京都にいました。

 平安神宮に程近い東山地区に宿泊し、そこから祇園へ行ったり、清水寺近辺へ行ったりしていました。霊山歴史館に行ったのは8月の最終日曜日で、ちょうど大龍馬展Ⅱ期の最終日だったため、とても混んでいました。

 坂本龍馬は、中岡慎太郎とともに、慶応3年11月15日に京都の近江屋で暗殺されました(近江屋事件)。京都見廻組実行説、新撰組犯行説、薩摩藩陰謀説、イギリス陰謀説など、実行犯には諸説あります。こちらに展示されている刀は、見廻組の桂早之助が龍馬を斬ったという刀で、テレビでも紹介されていたものでした。この刀の前にしばらく立って眺めていたら、なぜだか急に、からだがぞくぞくしてしまいました。怪しい気迫に満ちた刀なのでした。

 帰りに、龍馬と中岡慎太郎のお墓に行ってきました。お墓参りする人やグッズを買っている人がとても多くて、記念撮影している人もたくさんいました。なぜか、当たり前のように福山雅治さんの歌が流れていて、人気の観光スポットになっていました。

 暗殺される以前もその直後も、坂本龍馬の名前はあまり知られていませんでした。それほど世間に名前が知られていなかった龍馬が有名になったのは、明治37年の日露戦争前夜に明治天皇皇后(のちの昭憲皇太后)の夢枕に立ち、海軍守護を誓ってからだといいます。

 坂本龍馬の素晴らしいところは、立憲制代議政体を構想しつつ、徳川慶喜に対して、大政奉還による打開策をもちかけたことです。幕府や藩はなくしても、慶喜自身の指導力は残していた。討幕ではなく、あくまでも倒幕の姿勢を貫いたというところなのです。

 山岡鉄舟が西郷隆盛との準備交渉をおこなったことによって、西郷隆盛と勝海舟らの会談が実現し、江戸城無血開城によって、江戸とその住民を戦渦に巻き込まずに済んだことは、龍馬の望みでもあったのです。

 坂本龍馬と山岡鉄舟、ともに時代の表舞台には登場していない人物が、後世に与えた影響は大きく、偉大な手本となったことは、紛れもない事実です。日本人として非常に誇りを感じます。

 心から感謝してご冥福をお祈りしたい。

 

感謝

[ 2010年09月10日21時37分56秒 ]

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