彰義隊ゆかりの地へ行ってみました
先日、山岡鉄舟研究家の山本紀久雄さんが主宰されている『山岡鉄舟研究会』の例会に参加しました。
この日のテーマは、「彰義隊壊滅の深層」というタイトルでした。
彰義隊が、なぜ一日で壊滅してしまったのかという理由を、「リーダーの情報力と認識差」という視点で、山岡鉄舟研究会会長の山本紀久雄さんがわかりやすく解説してくださいました。
官軍の指揮は、大村益次郎がとっていたのですが、その策が、非常に現実的で、理に適っていたものだったそうです。今の時代は、まさに、大村益次郎のようなリーダーが求められているとのことです。ユニークな切り口のお話しがとっても面白くて、あっという間に時間が過ぎてしまいました。
次の例会は、7月4日(日)で、上野公園周辺を探索するそうです。
この日(旧暦では、慶応4年5月15日)は、彰義隊が官軍によって壊滅させられた日なので、彰義隊の本拠地となった上野公園と、谷中霊園にある徳川慶喜の墓所や寛永寺周辺を探索する予定だそうです。あまり知られていない、秘密の場所にも連れて行ってくださるそうですよ。
ちょうど、西郷さんの銅像が建っているあたりは、激戦地となったところです。銅像のすぐ近くに、彰義隊のお墓があります。
お墓の文字は、鉄舟が書いたものです。
私はちょうど3ヶ月ほど前に、ここを訪れたのですが、昔のような暗さはなくて、旧友に会ったような、とても懐かしい感じがいたしました。
みなさんも、上野に行く機会があったら、ぜひ、彰義隊のお墓を訪ねてみてくださいね。
時代は坂本龍馬、長崎の龍馬伝館へ行ってきました。
山岡t鉄舟と坂本龍馬の接点は定かではありませんが・・。
中学生の頃から坂本龍馬ファンだった私は、ふたつの龍馬館へ行ってきました。
ひとつは、佐世保のハウステンボスにある「海がつないだ龍馬伝説~龍馬伝館」
http://
もうひとつは、長崎市内にある「長崎奉行所龍馬伝館」
http://
こちらの龍馬伝館は、長崎歴史文化博物館の中にあります。
入り口を入ってすぐのところに、大きな坂本龍馬像と岩崎弥太郎像がありました。こちらは新しくてたいへん綺麗な施設で常設展が充実していました。港の文化を持つ長崎らしい展示品がたくさんあって、非常に興味深くて新鮮な感じがしました。
今回は、坂本龍馬がつくった日本で最初の貿易会社ともいわれる亀山社中があった場所には時間の関係で行けませんでした。残念!
次回は、もっとアクティブに動いてみたいです。
山岡鉄舟は、どんな人物だったか
山岡鉄舟は、江戸城無血開城の立役者で、西郷隆盛と勝海舟の会談を実現させ、江戸を戦火から救った幕臣です。
剣・禅・書の達人として、明治維新後の多くの人材に影響を与えました。明治天皇の教育係として十年間仕え、日本の精神教育や文化に多大な影響を与えたといわれています。
歴史の表舞台に、山岡鉄舟の名前はあまり登場しません。幕末から明治維新にかけて、日本の歴史の大きな転換期になし得た偉業に比べて知名度が低いのは、鉄舟があまりにも無欲の人であったからなのでしょう。「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」と、西郷隆盛を賞賛させたことからも山岡鉄舟という人物の大きさを推し量ることができます。
鉄舟は、53歳で胃癌で亡くなるまで坐禅を続けました。新撰組の前進である浪士組の取締役であった頃から、常に自分の死や同志の死と向き合いながら生きてきたのでしょう。晩年は、維新で命を落としたたくさんの人々を供養するためのお寺を建立し、多くの廃寺を再興させてきました。言葉にすると簡単ですが、一代では成し得ないような大仕事をいくつも成し遂げてきたのです。
「山岡鉄舟とその時代」は、そのような人物を生み出した時代ー山岡鉄舟という人物を生み出す母体となった時代背景を考察しながら、人の生き方、人生についてじっくり考える機会を作るという目的で開設しました。今の時代を生きる私たちに、大きな恵みを与えてくれることでしょう。
鉄舟が生きた時代に思いを馳せながら、私たちの時代を生き抜きましょう。
合掌
はじめまして。執筆者です!
はじめまして。「山岡鉄舟とその時代」執筆者のユキです。
私が生まれ育ったところは、500年前の室町時代に開かれたお寺です。
明治時代の火災によって本堂が全焼したため、山岡鉄舟が再興したお寺でもあります。
お寺にまつわるエピソードや写真、訪れた史跡や風景などをmixiの日記でも公開しています。
http://mixi.jp/show_profile.pl?id=1041167
鉄舟が再興したお寺を、今よりも素晴らしいお寺にすることが、私の今後の目標です。
山岡鉄舟が好きな方、お寺が好きな方、文化財を大切に守っていきたい方のご訪問をお待ちしています。
感謝

ユキ