コンテンツエリアへ
幕末ポータルサイト「幕末」

ただいま幕末ブロガーを追加募集中です。限定50名となります。ブログの申し込み

Check    

「坂の上の雲」

坂の上の雲(日露戦争の天王山 旅順攻防戦)

日露開戦時における日本軍の戦略構想について簡単にお話しておきますhappy01

①陸軍の第1・2軍は、海軍と連携して朝鮮半島に上陸sign01半島内のロシア軍を北に圧迫するok

②同じく第3・4軍は、旅順半島に上陸、同地のロシア要塞と軍港を孤立化させるok

③上記2つの作戦が完了後、満州方面に進出、出来るだけ早く同地のロシア軍主力と決戦を行い、これを殲滅させるok

④海軍は旅順を根拠地とするロシア太平洋艦隊を攻撃sign01これを壊滅させるok

⑤一連の作戦進行の最中、イギリスやアメリカに対して和平交渉の仲介を秘密裡に行うok

端的に言って、日本は超大国ロシアを相手に、軍事上での完全勝利など、とても望めない事であると端から考えていましたnew

当時の日本の国力では長期戦を遂行する事は不可能でしたbearing

完全な勝利が望めない以上、まず先制攻撃を仕掛けるsign01自国に優位な戦局を造り上げた上で、国内情勢が不穏なロシアの厭戦気分を煽り立てるsign01そして、日本に有利な条件での早期講和に漕ぎつけるsign03

日本政府と軍部首脳の考えは上記の通りであったと思われますok

そして、一連の思惑通りに戦争が遂行する必要条件とは・・・think

①陸軍は、シベリア鉄道完成後にヨーロッパから輸送されて来る、ロシア軍増援部隊到着前に満州軍のロシア軍をsign03

②海軍は、ロシア本国から大航海の末、日本近海に姿を現わすと見られていたバルチック艦隊の来援前に、ロシア旅順艦隊をsign03

それぞれ撃滅するという事でしたpunch

短期決着に持ち込むには、それより他に道はなかったのでしたdanger

ところが、東郷平八郎率いる聯合艦隊の戦略プランに狂いが生じますbearing

ロシア旅順艦隊は聯合艦隊との早期の決戦を避け、バルチック艦隊の来航を待つ戦略を採用したのですthink

基地である旅順港に逃げ込んだまま、動こうとしない旅順艦隊に対して、聯合艦隊は2度にわたる港の封鎖作戦を敢行して戦力の無力化を図りましたが、不首尾に終わりましたdespair

(この一連の港閉鎖作戦の実動部隊を指揮して、戦死したのが有名な広瀬武夫海軍少佐ですねhappy01

実はロシア軍首脳の方でも、意見の相違があったみたいで、旅順で穴籠りを決め込む事が出来なくなった旅順艦隊は、ウラジオストックにいる味方艦隊との合流を図ろうとしたのですが、港外で待ち構えていた聯合艦隊の攻撃を受け、再び港内への退避を余儀なくされたのですshock(黄海の海戦)

実はこの海戦の時、ロシア旅順艦隊はかなりの損害を受けており、以後組織的な艦隊作戦を遂行する事が出来なくなっていましたnew(つまり、聯合艦隊が恐れていたバルチック艦隊との合流作戦は事実上、不可能になっていたのですgood

だが、残念な事に、このロシア艦隊の内情を日本側は把握する事が出来ませんでしたweep

『バルチック艦隊が到着する前に、何としても旅順港のロシア艦隊を引っ張り出して、叩き潰さなければならないsign03

秋山真之聯合艦隊参謀を筆頭とした海軍首脳は、軍港を守る役割を有していたロシア軍旅順要塞の攻略を海軍に依頼したのですsign03

そして、乃木希典将軍の率いる第3軍が、旅順要塞を攻略を担当する事になったのですok

日露戦争における最大の天王山となった旅順要塞攻防戦の火ぶたが、こうして切って落とされたのですgood

続きは次回といたしますsoon

 

[ 2011年12月06日11時26分52秒 ]

坂の上の雲(日露開戦)

ロシアは当時最大の陸軍を擁していた国である事は、前回ご紹介致しましたhappy01

実は陸軍ばかりか、海軍も世界第1位と言われていた、イギリスと匹敵するぐらいの戦力を装備していましたnew

冬が厳しい場所に本土があった為、ロシアは不凍港を求めて南下政策を国の大綱としていましたok

南下政策の一環として、ロシアは満州・沿海州という極東方面への進出を目指しており、沿海州にウラジオストックという大きな軍港を建設sign01ロシア太平洋方面艦隊の基地としましたpunch

同時に満州方面へ進出を画策shine日清戦争で日本が勝利を収め、遼東半島を清から割譲を受けた事に素早く、反応しましたthunder

日本が遼東半島を獲得を足がかりに、満州や北京の喉元を抑えた事が、満州における自国の権益を脅かす事を危惧したのでしょうsign03早速、同じ様な思惑を持っていたフランスとドイツとともに、日本に遼東半島を清国に返還する事を要求しましたimpact(良く知られている三国干渉ですねban

維新以来初めての対外戦争であった、清国との戦に勝ったばかりで余力のなかった日本は、断腸の思いで遼東半島を清に変換しましたcrying

するとロシアは、何と、清国に恩を売った事を口実に、遼東半島を租借する事を認めさせたのですimpact

租借とは、外国に領土にある土地を借りるという事なのですが、租借期間が99年間という、信じられない様な長さでしたshock(端的にいって、割譲を受けたも同じdashつまり、自国の領土にしたのですimpact

日本政府は勿論、国民もこれら一連のロシアのゴリ押しに対して、怒髪天を衝くという状況だったのですannoy

更に、ロシアは露骨な南下政策を推し進めますpunch

清国で義和団事件が(北清事変とも呼ばれています)勃発した時、清国内に権益を持っていた列強各国は、軍隊を派遣しましたsign03

この反乱は、排外扶清をスローガンにした民族主義的な色彩の強い物であったので、戦意旺盛で列強からなる連合軍も当初は苦戦をしましたgood

しかも、義和団有利という戦況を見た清国最大の実力者だった西太后が、義和団に対する全面支持を表明、列強に宣戦布告をしたのですshock(当時の自国を巡る状況をどれだけ正確に把握していたのかsign02理解に苦しみますが・・・coldsweats02

清国の敵対宣言を受けて、列強各国も本格的に軍隊を派遣sign03大勢は一挙に決しましたdanger

この時の義和団の乱鎮圧に為に、最も多くの軍隊を派遣したのが、朝鮮半島に軍を常駐させていた日本と、同じく満州に大軍を置いていたロシアでしたsign03

反乱の終息後、列強各国は撤兵を開始したのですが、ロシアのみは軍隊を引き続き満州に駐留させ、事実上同地はロシアに占領下に入ったのでしたrock

そしてロシアは、満州を足がかりにして最早、日本の勢力範囲となりつつあった朝鮮半島進出の動きを見せ始めたのですgawk

日清戦争の勝利で、日本は念願だった朝鮮半島に対する主導権を獲得する事が出来、同じく中国進出の橋頭保として遼東半島を手に入れましたconfident

ところが先のロシア主導による三国干渉で、遼東半島は取り上げられ、しかも同地は現在ロシアが事実上、自国の領土としているannoyしかも、同半島の要地である旅順には、強大な近代要塞と大きな軍港が建設されつつあるではないかsign02

そればかりか、今度は朝鮮半島をも脅かそうとしているロシアの剥きだしの野心に対して、日本の国論は概ねロシアとの戦争を視野に入れた准戦時体制を敷く事になりましたdanger

とはいっても、強大国のロシアと単独で戦うのは、無謀に近い蛮勇であった筈ですwobbly

そこで、仮に戦争になっても、他の国がロシア側に付いて参戦するのを防ぐ為、世界最強国イギリスとの同盟を結ぶ事に成功しましたok同時に、中国にはそれほど利害関係がないアメリカとも極秘に接触を重ね、和平斡旋を含めた外交交渉を行ったのですok(この方面の主導者は、伊藤博文でしたhappy01

一方で、当時国であったロシアとの利害衝突を何とかして避ける外交交渉も、断続的に続けられていましたgawk

しかし、ロシアの方がかなり強硬であったみたいで、交渉は容易に進展しませんでしたcrying

ロシア側の思惑は・・・

シベリア鉄道が建設中であり、完成の暁にはヨーロッパ方面に配置してた陸軍を満州方面に大量移送が出来るsign03

そして、旅順とウラジオストックにある太平洋艦隊の戦力に加えて、本国からパルチック艦隊を派遣すれば、日本の聯合艦隊など、敵ではないsign03(本格的な艦隊決戦は、バルチック艦隊到来後であるgood

上記2つの条件が整うまで、少しばかりの時間が必要であるok

しかしながら、現在の彼我の戦力差を比較しても、負ける要素など最初からない戦争なので、仮に開戦となっても、現状兵力でも十分戦えるだろうsmile

ロシア側には、多少の油断があったと思いますnew

開戦時期はまだ先であるという・・・楽観的観測とでもいうのでしょうかsign02

しかし、日本はロシアの戦備態勢が本格的に整わない内に、戦端を開いたのですimpact

明治37年(1904)2月8日に、旅順港のロシア艦隊を日本艦隊が奇襲sign03

遂に日本とロシアの全面戦争の火ぶたが切られたのですimpact

続きは次回にしますsoon

[ 2011年12月05日17時58分02秒 ]

坂の上の雲(日露戦争と太平洋戦争 よく似ていた開戦前夜その1)

明日からいよいよ「坂の上の雲」最終シリーズが始まりますhappy01

タケ海舟は実は、これまで放送された第1部、第2部を、所々飛ばしながらの細切れ状態で視ていました・・・gawk

従って、いよいよ物語のクリアマックスである、旅順要塞攻防戦と日本海海戦を中心に展開される第3部こそは、しっかり視なければと思っていますhappy01

ところで、お話は少し変わりますが・・・

この年末には映画「聯合艦隊司令長官山本五十六」が上映されますok

今年が太平洋戦争開戦70周年である事を踏まえて、製作された映画みたいですねnew

タケ海舟の知人が少し前に試写会に行って来て、とても素晴らしい内容だったと話していましたok

年末の戦争をテーマにした映画では、「男たちのYAMATO」が実に印象的であったのですが、今回の映画で役所広司さんが山本五十六をどの様に演じるのかsign02今からとてもわくわくしていますpaper

ところで、日露戦争と太平洋戦争という近代日本の分岐点となった2つの戦争は、開戦に到る状況が非常に酷似しているのではないかと、タケ海舟は考えていますnew

その理由としては、戦う相手国がロシアとアメリカ(太平洋戦争では複数国と戦争状態になったのですが、最大の敵国はアメリカでしたsign01)という当時、最大の軍事力を擁していた国であった事ですpunch

日露戦争時のロシアは質量共に、最大といわれて陸軍を保有していましたshockロマノフ帝政の後進性という問題点が次第に表面化しつつあった国内問題を抱えていましたが、凍らない港と最強の陸軍をどこにでも輸送できる鉄道の獲得を目指した南下政策を国の方針として推進していましたpaper

そのロシアが、満州(中国東北部)と朝鮮(当時は韓国)に食指を伸ばし始めたのですcoldsweats02

日清政争で、朝鮮に対する主導権を清国(中国)から奪い取った日本にとって、ロシアの南下政策は大変な脅威でありましたshock

維新以来、富国強兵を国策として来た日本にとっては、朝鮮とその更に北にあった広大な満州方面への進出は国を挙げての悲願でありましたok(北上政策ともいうべきでしょうかsign02

一方のロシアは日本と正反対の南下政策を採っていて、両国の利害が朝鮮・満州を舞台に衝突する事になったのですthunder

当初、伊藤博文を中心とした穏健派は、ロシアとの外交交渉によって妥協点を見出そうとしていたのですが、ロシア政府はなかなか譲歩しようとはしませんでしたdespair

一方で、当時の総理大臣であった桂太郎や、伊藤と並ぶ長州閥の大物山県有朋、敏腕外交官として知られていた小村寿太郎達は、ロシアとの戦争も辞さずsign03という主戦論を展開していたのですsign03

ロシアとの対立が深まっていく中で、日本は満州方面でロシアの力が強まる事を恐れたイギリスに接近、有名な日英同盟を締結しましたnew

この同盟によって、万一、ロシアとの戦争状態に突入した時、イギリスは軍事面で日本に積極的な援助はしないものも、中立的な立場を取る事になったのですok(戦局が膠着化した場合、停戦・講和の仲介をするという思惑もあった筈ですnewイギリスも実際に講和を仲介したアメリカも、当然予想されたロシアの圧倒的勝利を望んでいなかったのですthink

こうして、イギリスとの同盟を締結した日本政府は、いよいよロシアとの戦争に突入していきますpunch

日露戦争前における状況と比較して、太平洋戦争前における環境はどうだったのでしょうかsign02

続きは次回にさせて頂きたいと思いますsoon

[ 2011年12月03日09時56分16秒 ]

▲このページの先頭に戻る