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躍進する平氏。凋落する源氏。

投稿者:タケ海舟 投稿時間:2012年01月26日15時28分40秒 | コメントなし | トラックバックなし

康和4年(1102)、任国の対馬国で乱暴を働いた罪で、源義親は、隠岐国に配流処分となりましたbearing

父義家の嘆願による赦免を期待していたのでしょうかsign02義親は、一応隠岐島に向かいましたcatface

ところが、肝心の義家が嘉承元年(1106)に病死してしまったのですdespair

義家の死は義親にとって大変な打撃となりましたdespair最早、彼の減刑の為に奔走してくれる人物は中央政界にはいませんでしたbearing

のみならず、義家は死去直前に河内源氏の後継者を弟の義忠(よしただ)にするという遺言を残していましたnew

赦免の道は閉ざされたのみならず、源氏の棟梁たる道をも断たれた義親は半ば、自暴自棄状態に陥ってしまいましたannoy

義家の死の翌年、義親は海を渡って対岸の出雲国に上陸sign01あろうことか、現地の目代(国司に代わって現地の行政に当たっている役人)を殺害してしまったのですcoldsweats02

国衙を占拠した義親は、公然と朝廷に反旗を翻しましたsign01更に、国内並びに周辺の国においても彼に与党する勢力が出て来た為、事は深刻さを増していましたcoldsweats02

義親は、対馬守時代にも召喚命令を奉じて来た官使を殺害しており、今回更なる罪状を起こしては最早、情状酌量の余地等ありませんでしたdespair

朝廷は即座に義親追討を決定しましたsign01最初に追討命令を受けたのは義家に代わって河内源氏の棟梁となった義忠でしたが、彼は兄を討つ事を躊躇した為、当時出雲国の隣国の因幡守であった平正盛に義親討伐を命じましたsign01

実はあまり知られていないのですが、義忠の妻はこの正盛の娘でありましたnewつまり、正盛は義忠の舅に当たる訳ですhappy01(源氏と平氏との棟梁同士の婚姻で非常に注目されますが、義忠が早世した為か、歴史的にはあまり大きな効果をもたらす事はありませんでしたdanger

正盛が追討使に選ばれた理由は、隣国の国司で、討伐軍の動員が速やかに行える利点もあったからと考えられますが、源氏棟梁義忠が本来果たすべきの任務を、舅である平氏棟梁の正盛が果たしたという事も言えるかと思われますok

義親が反乱を起こした嘉承2年(1107)の末、正盛は出雲国に乗り込み、翌年1月には早くも義親の首を挙げたという報告が朝廷に入りましたok

『八幡太郎義家の嫡男で、しかもあの勇猛かつ乱暴者だったあの義親が、討伐を受けてわずか1か月で打ち取られるとは・・・とても信じられないsign02

都の公卿たちの多くは、情報の真偽を疑ったみたいですが、白河院は正盛の功績を認め、直ちに彼を因幡守から1ランク上の大国但馬守に昇任させましたhappy01

間もなく、義親の首を携えた正盛の軍勢が都に凱旋しましたok

源氏随一の武者であった義親を一撃の下に葬った伊勢平氏の棟梁正盛の勇名は、たちまちの内に広がりましたsign03

しかも、当時『最下品』という低い身分(5位程度という身分)であった正盛が、受領国司の中でも上国となる但馬守に選任された事は、大変な抜擢人事でありましたhappy01

白河院はこうした先例を無視した人事を、その治世中(特に院政期)に、しばしば断行 しており、関白藤原忠実の側近だった藤原宗忠は、その日記『中右記』の中で、この前代未聞の人事を酷評していますthunder

それはともかく、源義親の乱は、朝廷の象牙として武の中核をなしていた河内源氏の衰退を決定的な物にしましたshock

それに対して、平正盛を棟梁として推戴した伊勢平氏は、白河院の信頼を得て、源氏に代わって、武門の主役の座に就いた事を世間に証明して見せたのでしたhappy01

既に正盛は白河院近臣の藤原為房(ふじわらのためふさ)(勧修寺流)や院の乳母子であった藤原顕季に接近、彼等の仲介や後援を受けて、伊賀国の自領を荘園として白河院に奇進sign01院の信頼を得る事に成功していましたhappy01

この荘園の奇進先は、白河院の愛娘で20歳で亡くなった郁芳門院の菩提寺六条院でしたnew

彼女の死の悲しみの余り、院は出家したといわれていますので、娘の思い出の残った六条院への荘園奇進は、実に効果的でありましたok

その報酬として彼は若狭守(現福井県)に任じられ、更に都の検非違使等を務めるなど、院への奉仕に努めていましたhappy01

その様な地道な努力を重ねた正盛にとっては、義親の乱はまさに僥倖であったと言えるのではないのでしょうかsign03

さて、一方で、衰退を始めた河内源氏のその後ですが、次回にお話しさせて頂きますsoon

 

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