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院政下における源氏と平氏

投稿者:タケ海舟 投稿時間:2012年01月25日11時25分22秒 | コメントなし | トラックバックなし

ドラマでは清盛と義朝が初めて、相まみえるシーンが出て来ましたねhappy01

まだ、二人は共に、御曹司という立場であり、棟梁は彼等のそれぞれの父親達でありましたhappy01

白河院が崩御して鳥羽院の新たな院政がスタートを切ったのですが、この時期の源氏と平氏の力関係は圧倒的に平氏が有利に展開していましたdanger

本日はその前史ともいうべき、源氏と平氏の角逐についてお話したいと思いますhappy01

摂関政治全盛期の11世紀前半から中盤にかけて、摂関家の用人棒として仕えていたのは源氏の方でしたhappy01

源満仲(みなもとのみつなか)は藤原摂関家が政敵打倒の為に仕掛けたとされる安和の変では、火付け役の密告役を務めましたsign01彼の子供達の頼光(よりみつ)・頼親(よりちか)・頼信(よりのぶ)兄弟達も藤原道長・頼通親子に仕え、武力のみの奉仕ばかりではなく、経済的な奉仕も頻繁に行い、彼等の信頼を得る事に成功していましたhappy01

一方の桓武平氏は、源氏より早く東国に進出sign01地盤を広げて行きましたhappy01一族同士の内紛より端を発した10世紀の平将門(たいらのまさかど)の乱が勃発したりしましたが、同族の貞盛(さだもり・彼が伊勢平氏の祖となります)がこれを鎮圧しましたscissors

以後平氏は東国に加えて、伊勢国・伊賀国にも新たな拠点を作っていましたwink

さて、源氏も前述した摂関家とのコネクションを活かし、頼光は摂津源氏、頼親は大和源氏、頼信は河内源氏のそれぞれ祖となりましたok彼等は何れも京都近郊の国に地盤を有しており、中央政界との密接な関係を維持していましたok

義朝が属していた家は、頼信の河内源氏でしたhappy01

頼信とその嫡男であった頼義は、11世紀初頭に東国で起きた平忠常(たいらのただつね)の鎮圧に成功(忠常はこの乱をおこす前より頼信と主従関係を結んでいましたnew主君自らが鎮圧に出向いてきた事を知った彼は、鎮圧先任者に激しく抵抗していた従来の姿勢を180度転換sign01直ちに降服したのですdash

東国に3年以上に亘って起きた大乱で、主戦場となった房総半島は荒れ地と化したと言われていますthink

その大きな反乱を戦闘を交えずに終結させた頼信の名声は、当然の事ながら高まりましたhappy01

これに対して、従来東国に基盤を築いていた平氏は、乱を起こした忠常を一族の直方(なおかた)が朝廷の命を受けて討伐に当たったのですが、利害関係のあった忠常の抵抗は凄まじく結局、平定に失敗してしまいますweep

乱後東国における平氏の権威失墜を恐れた直方は、自分の娘の婿に頼信嫡男の頼義を迎え、自身の鎌倉の屋敷を与え、平氏が代々培っていた地盤と権威を頼義に譲渡しましたsign01

ちなみに、この娘と頼義との間に生まれたの嫡男が、有名な八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)ですscissors

またこの直方の系統は平氏の嫡流的な存在でしたが、この反乱の鎮圧失敗の為か、以後平氏は東国の地盤から撤退していきます・・・despair代わりに有力な存在となるのが、伊勢伊賀を本拠とした伊勢平氏(清盛の祖)でありますgawk

東国進出の足がかりをつかんだ源氏は、11世紀半ばと後半に、奥羽で起きた前九年・後三年の役を現地地方官である陸奥守として、それぞれ鎮圧する事に成功しましたpaperしかし後三年の合戦は、地元の豪族清原氏の内紛に陸奥守義家が勝手に介入した云わば、私戦であると朝廷に判断されましたbearing

更に、在任中に朝廷に送る年貢(奥羽地方の名産は砂金ですね)を滞らせたという科を受け、義家は陸奥守を事実上、解任されてしまいましたdespair

頼信・頼義・義家三代に亘って、東国や奥羽に勢力を広げようという河内源氏の努力は、こうして水泡に帰してしまったのですbearing

失意のうちに帰京した義家でしたが、同母弟義綱(よしつな)との棟梁の座を巡っての争いが勃発sign03

兄弟が都であわや合戦に及ぶという危機もあったのですshock

義家が白河院の院殿上人として王家の支援を受けていたのに対して、義綱は摂関家に奉仕していましたpaper

白河院政が未だ確立しない状況下、当時の摂関家は強力な政治力を発揮していた師通が関白を務めており、当時の堀河天皇を挟んだ対立関係の中に源氏兄弟が組み込まれていたのですnew

さて、その頃の平氏なのですが、伊勢伊賀国の所領を巡って、一族間で内紛を繰り返し、すっかり勢力を失っていましたwobbly

同時期の源頼義や義家が位階で正四位上または正四位下に、官位においても反乱の恐れがある陸奥や出羽国の国司や軍事的色彩の強い鎮守府将軍を務めているのに比べ、平氏の歴代はせいぜい従四位・五位止まりで、都で検非違使や衛門府等の武官や、良くても小国の国司またはその郎従として現地に赴任する位が関の山でしたwobbly

その中で、伊勢平氏の庶流だった清盛の流れが、次第に台頭していきますok

同時に、平氏には追い風が吹いていましたwink

中央政界で先頭ランナーとして走っていた源氏が義家と義綱との棟梁争いsign01更には、義家嫡男の義親(よしちか)の西国における乱暴・狼藉等ですっかり朝廷の信頼を失っていたのです・・・punch

白河院はあくまでも、源氏を擁護する姿勢を変えず、任国対馬で問題を起こしていた義親を父義家に命じて召還させようと試みましたnew

ところが、親の心または院の温情等全く、関知せずだったのか、義親は説得に赴いた義家家臣と一緒に、なんと朝廷からの召喚使を殺害してしまったのですshock

温情が裏切られた形となった白河院は、義親を解任sign03直ちに、隠岐島配流を決定しましたimpact

義親は反抗の姿勢を見せたのですが、老父義家の懸命な説得もあったのでしょうかsign02

大人しく隠岐に赴く事を承知しましたthink

非は義親自身にある事は言うまでもありませんimpactただ、乱暴で知られた義親が沙汰に従ったのは、恐らく父義家の奔走によって、短期間のうちに自らが赦免されると予測した故かもしれませんdanger

ところが、事態は義親に最悪の目と与え、尚且、破滅の選択を採らせてしまいますthunder

そして、それこそが、伊勢平氏興隆の端緒となったのですhappy01

続きは次回とさせて頂きますsoon

 

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