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院政期最大のスキャンダル!

投稿者:タケ海舟 投稿時間:2012年01月21日10時11分21秒 | コメントなし | トラックバックなし

当初から取り沙汰された白河院と璋子の関係danger

さて・・・

忠実が日記にて言及していた璋子の噂についてお話しますdanger

実は白河院の養女となっていた藤原璋子に関しては、以前より風評めいた噂が巡っていましたnew

噂の内容をひと言で表現すれば、彼女の奔放な異性関係でありましたdash

璋子の最初の嫁ぎ先候補として挙がったのは、摂関家嫡男忠通であったのですが、実はこのお話が表面化する前より、彼女の異性関係が既に、取り沙汰されていたのですcoldsweats01

この頃、璋子は複数の男性と恋愛交渉を持っていたみたいですcoldsweats02

具体的には、摂関家傍流公卿の息子や白河院の信任を受けていた僧侶の縁者だったみたいですが、程なく、その関係は消滅してしまいましたgawk

璋子の奔放な恋愛関係を察知した養父白河院が、彼女と彼らとの仲を強引に引き裂いたのですimpact

璋子と関係を持った件の男性達は、中央政界からの左遷を余儀なくされましたcrying

専制君主白河院の逆鱗に触れた故である事は言うまでもありませんbearing

院にとっては関白嫡男に嫁ぐ事が決まっていた璋子の身辺を整理する必要性から、大ナタを振るったのでしょうimpact

ただ、当時の平安宮廷社会における男女の恋愛は近代・現在と比べて、かなり大らかでしたdelicious

一人の女性が同じ時期に、複数の男性と恋愛関係を持っていても、倫理的な問題にはありませんでしたcoldsweats01

皆さんよくご存じの『源氏物語』でも、主人公光源氏は複数の女性と交渉を持っていますdash

当然、正室やその他の妻(妾)が既にいたとしても、恋愛の自由は保証されていましたcoldsweats01

この恋愛の自由は、もちろん女性にも与えられていましたpaper

従って、当時の空気から考えてみても、璋子の派手な恋愛事情についてそれ程、目くじらを立てる必要はなかった筈ですsign01

白河院が璋子と恋仲になった男たちを罰した理由は、摂関家との婚姻に先立ったリスク撲滅策と考えれば、納得がいきますhappy01

婿となる忠通の父忠実にとっては院の配慮に感謝するべきだったと考えられますが、周知の通り、彼はこの輿入れ話を固辞してしまいますng

なぜだったのでしょうかsign02

実は璋子の異性関係に纏わる噂は、まだ他にもあったのですcoldsweats02

その噂こそが、忠実が縁談を断った最大の理由だったのですpunch

白河院と藤原璋子は、義理の親子関係であったが、二人は密通しているsign01

つまり、璋子は院の愛人であり、その関係は今尚、続いているshock

この噂は、当時から宮廷社会に広まっていましたsign03

信じられない話だと思われますが、この噂を知らない貴族たちはいなかったとされていますng

(公然の秘密状態だったのでしょうか・・・sign02

幼い時に実父閑院流藤原公実を失った璋子は、すぐ白河院と院の愛人祇園女御に引き取られ、養女として育てられましたpaper

院にとっては、この幼子がとても愛おしかったのでしょうsign01『鐘愛する事甚だしきshine』と伝えられてますconfident

やがて、璋子も美しく成長して行くにつれて、白河院の彼女への愛情は、娘への物から次第に一人の女性への物に変化していったのではないかnew

その結果、いつしかこの義理の親子は、禁断の関係を結ぶようになったsign03

おそらく、当時出回っていた話は上記の様な物であったのでしょうdanger

もちろん、この話が本当であったかどうか・・・決定的な証拠は何一つありませんng

しかし、いくらこの時代が恋愛に対して、大らかであったとしても、親と子(たとえ、血の繋がらない養子縁組であったとしても・・・)の間で、そのさまな関係を持つこと等、言語道断sign03とても容認される事ではありませんでしたthunder

この醜聞は、後の時代である鎌倉期の説話集『古事談』に実に詳しく、かつ、赤裸々に描かれていますdanger

更に、現在において、平安時代の有力な研究者(既に故人となられましたが)が詳細な調査によって

『璋子は白河院の愛人であった事は間違いないsign01』という見解を発表され、学界で大変な波紋を呼んだみたいですnew

ところで、『古事談』には、忠実との縁談が破談となり、鳥羽帝(白河院孫)の女御として入内した璋子は、なおも白河院との関係を続けており、鳥羽帝との間に生まれた最初の皇子(顕仁《あきひと》)の誠の父親は、白河院で、彼等の周辺は真相を知っていたけれども、誰もが皆、黙して語らなかったcoldsweats02

更に、璋子の夫だった鳥羽帝は、何時からともなく、自身の妻と祖父院との不純な関係を知悉しており、生まれた顕仁親王の事を『あれは叔父子だsign03私の子供ではないannoy』と近臣に吐き捨る様に言ったという記事が残されてますimpact

この顕仁親王こそ、後に悲劇の王といわれた崇徳院(すとくいん)でしたnew

『古事談』自体が、当事者がこの世を去ってしまった後の時代に書かれた文献である為、そのまま鵜呑みにする事はできないと思いますが、忠実の他に同時代を生きた公卿たちの日記にも、白河院と璋子との風聞に触れた記述が見受けられます

崇徳帝出生の秘密も併せて、事の真相は今となっては闇の中なのですが、この噂が白河院後の、院政を総覧する王家の内紛を引起す火種となった事は、厳然たる事実であったのですpunch

さて、関白忠実が院と璋子との噂を入手したのがいつ頃だったのかはわかりませんが、少なくとも嫡子忠通を璋子の婿にという話を受けた時点で状況を把握していたのでしょうsign01

風評が事実かどうかは別として、その様ないわく付きの女性を、自家の嫁(将来の摂関正室)として迎えてしまう事自体、とんでもない災いを摂関家に招いてしまうsadと危惧したと思われますcoldsweats02

『冗談じゃないsign03院と関係が切れていないあんなとんでもない女を押し付けられてはたまらないshock

忠実はこの縁談を、百難あって一利無しと判断sign03婉曲に断りを入れたのでしたthink

(白河院が忠実に悪感情を持った事はおわかりでしょうgood

その璋子が、自分の娘勲子の結婚相手として想定していた鳥羽帝の女御に決定してしまったsign03coldsweats02

忠実はやり場のない怒りを(軽蔑していた女に鳥羽院妃の座をさらわれてしまった・・・annoy)自らの日記に書きつづるより他に自分を落ち着かせる術がなかったのでしょうdespair

『このままでは終われない・・・』

忠実は直ちに巻き返しを図る事を決断しますsign01

それは保留状態にしていた娘勲子を、鳥羽帝の後宮に入れる計画を実現させる事でしたscissors

しかし、焦りからなのか、忠実はある重要な事実を完全に見落としていましたdanger

彼は、彼自身に対する白河院の恨みの深さを、考慮していませんでしたpunch

次回はそのお話をさせて頂きますsoon

 

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