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摂関家再興の悲願

投稿者:タケ海舟 投稿時間:2012年01月18日11時51分32秒 | コメントなし | トラックバックなし

勲子入内話が引き起こしたボタンの掛け違いweep

さて・・・

忠実の方も頭から、勲子の鳥羽帝への入内を断る意向ではなかったと思われますthink

そもそも、摂関家では藤原頼通娘の寛子(かんし)と彼の弟だった教通(のりみち)娘歓子(かんし)が当時の御冷泉天皇にそれぞれ入内して以来、生え抜きの女子の王家への輿入れが絶えて久しかったのですnew

摂関政治が機能する要素として、次の3つが挙げられますgood

①摂関家に多くの子女を置いておくことsign01(王家に入内させる為)

②子女を王家に入内させて、皇子が生まれることsign01

③生まれた皇子を皇太子に立て、やがて即位させるsign01

一連のシステムが円滑かつ常時、機能したからこそ、道長の有名な『望月の歌』の逸話が生まれたのですscissors

しかし、このシステムはある重大な欠陥を有していましたgawk

それは、①の要素が確立しないと、摂関政治は全く機能しなくなるという事でしたwobbly

摂関家に王家へ嫁がせる娘がいないと、いくら外戚関係を結ぼうとしてもどうにもならない訳ですねbearing

そのほころびは、道長死後にたちまちにして、訪れましたng

道長子であった頼通・教通兄弟達を中心とした摂関家次世代には、切り札となる子女がほとんどいませんでしたweep

冒頭にもご紹介しましたが、両兄弟に一人ずつ娘がいて、同じ後冷泉天皇に嫁ぎやがて、中宮・皇后になったのですが、肝心の皇子が遂に誕生しませんでしたweep

慌てた摂関家は、本家ばかりではなく、摂関家庶流の娘も可能な限り入内させたのですが、成果は芳しくありませんでしたcrying

結局、摂関家と外戚関係を有さない後三条天皇が即位する結果となり、摂関政治の全盛期は終わりを告げましたcrying

新たに関白となった頼通の子師実は、後三条帝の後を継いだ白河院(生母は摂関家庶流の閑院流出身)との協調路線を目指し、自身の正妻麗子実家である村上源氏出身の賢子(麗子の姪)を養女として、院に入内させましたhappy01

彼女は摂関家出生の子供でなかったのですが、堀河帝を始め多くの子女を院との間に儲け、一時的とはいえ摂関家と王家との蜜月関係を復活させる事に大いに貢献を果たしましたhappy01

しかし、養女縁組をしたとはいえ、賢子は摂関家出生の娘ではありませんでした・・・new

白河院から譲位を受けた堀河帝の后は、閑院流家出身で、誕生したのが鳥羽帝でしたpaper(師実嫡子師通には娘がいませんでしたgawk

師通子息の忠実には、幸い、正室師子出生の勲子がいたのですnew

彼女を鳥羽帝の女御として入内させて、皇子を産ませ、その子が皇太子やがて皇位に就けば、忠実は晴れて、新天皇の外祖父として君臨sign01摂関政治を名実ともに復活させる事が出来るのですok

したがって、勲子入内の話は忠実並びに摂関家にとって、渡りに船的な魅力ある話だった筈ですhappy01

しかし、この話の依頼主が白河院だったのが、忠実の頭を悩ませましたdespair

なぜか・・・sign02

忠実は勲子の入内話を、白河院主導ではなく、自らの主導で進めたいという願望がありましたnew

白河院が王家のオーナーとして政治の実権を掌握して以来、忠実は摂政・関白位を占めていたものの、実権はことごとく院に帰しており、忠実は名目上の存在でしかありませんでしたweep

院の政治介入は本来、摂関家の専決事項であった氏寺興福寺(こうふくじ)の首脳人事迄にも及んでいたのですdanger

忠実及び摂関家の面目は丸潰れでしたweep

なんとかして、院の巣窟から逃れて、政治的な自立を模索していた忠実にとっては、今回の鳥羽帝入内話は自らの、勢威挽回のチャンスになる可能性がありましたsign03

しかし、目の上のたんこぶであった白河院の指示で入内を進めては、結局は院の政治的な束縛を引き続き受けなければならなくなる事を意味していましたng

その様な輿入れでは、何の意味も持たなかったのですsign03

勲子を将来的に入内させる事は、摂関家の中期的な戦略として腹中に温めておき、忠実は彼女を嫁がせるに相応しい時節の到来を待つという方法を選択したのですsmile

その時期とは・・・sign02

①60代半ばに差し掛かった白河院の崩御または、高齢で王家のオーナーとして君臨出来なくなった時sign01

②まだ幼年の鳥羽帝が成長して自身で政治を行える年齢になった時sign01

であったと思われますhappy01

こうして、忠実は白河院からの勲子入内話について明確な返事をしないまま放置しておいたのですpaper

その後、最初の打診から5年後の永久元年(1113)に、院より再度の入内の話があったのですが、これに対しても忠実は、前回同様に返事保留という煮え切らない態度に終始したのでしたgawk

鳥羽帝は13歳になっており、忠実としては、もう少し時間が欲しいというのが正直な所だったのでしょうが・・・danger

ところがshock

事態は忠実の頭を殴りつける様な、とんでもない急展開をみせたのでしたimpact

勲子2度目の入内話から5年が経過した永久5年(1117)、白河院養女の藤原璋子が鳥羽院女御として入内する事が決定したのですthunder

忠実にとっては、まさに青天の霹靂というべき出来事でしたdanger

これには、冷静な現実政治家の忠実も、流石に理性を失ってしまいましたannoy

その辺りのお話は次回にさせて頂きますsoon

 

 

 

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