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慶勝さんの憂鬱(その9)

投稿者:タケ海舟 投稿時間:2011年06月02日10時12分54秒 | コメントなし | トラックバックなし

意外と知られていない慶勝さんの弟 松平武成さんsign01

慶勝さんを長兄とする高須4兄弟の顔ぶれを見ると、実に錚錚(そうそう)たる面々である事がわかりますhappy01

前回も触れましたが、尾張徳川家連枝である高須松平家には、江戸後期より幕末にかけて、水戸徳川家の血筋が幾重にも入り込んでいましたconfident

4兄弟は、本家である尾張徳川家や、有力ご家門や譜代大名に養子に入って、それぞれの与えられた環境の下、佐幕勢力の中心的存在として、活躍しましたsign01

幕末はある意味、水戸徳川家の時代とも言われています。水戸家藩主や前藩主(烈公斉昭さん)、他の外様・譜代大名家に養子に入った庶子(斉昭さんの)達が政局において、重要な役割を果たしているからですsign03

既に、水戸家の支藩的な存在になっていた高須藩の兄弟達も、同様の立場で行動していましたshine

さて、厳密に言うと、4兄弟でなくて5兄弟だとお話しましたが、慶勝さんにはお母さんを同じくする武成(たけなり)さんという弟がいましたdanger(お母さんは水戸徳川家治紀さんの娘)

武成さんは、慶勝さんの生れた翌年の、文政8年(1825)誕生しましたhappy01

参考までに高須兄弟の生年を列挙してみますと・・・

 

慶勝さん:文政7年(1824)

武成さん:文政8年(1825)

茂徳さん:天保2年(1831)

容保さん:天保6年(1836)

定敬さん:弘化3年(1847)

こうしてみると、随分、年齢差のある兄弟ですねsmile

武成さんは、17歳になった天保13年(1842)の時、早世した石見浜田藩主松平武揚(たけおき)さんの養嗣子として、浜田藩を襲封しましたsign01

ところで、武成さんが家督を継いだ浜田藩主(現在の島根県浜田市)松平家は、徳川6代将軍家宣(いえのぶ)さんの同母弟だった、清武(きよたけ)さんを祖とした、由緒ある家でしたshine

3代将軍家光さんの庶子で、甲府宰相と呼ばれた綱重さんの次男清武さんは、一時期、家臣の越智(おち)家の子供として育てられていましたdanger

兄の家宣さんが将軍家世子となった時、松平姓を与えられ、更に6代将軍就任時に、上野国館林藩主に栄転しましたshine(彼の育ての親の姓を取って、越智松平家と呼ばれていますwink

ただ残念ながら、清武さんには後を継ぐべき子供がいなかったので、早急に後継者を迎え入れる必要がありましたgood

本来なら、最も近い血筋である将軍家から養子をというのが筋だったのですが、この時の将軍家は、家宣さんの後を継いだ7代将軍家継さんが、幼くして亡くなった為、家光系将軍家血筋の生存者は、既に高齢だった清武さんの他はいませんでしたdespair(ちなみに、8代将軍は紀州徳川家出身の吉宗さんが就任していました)

この養子選考は、どのような形で行われたのかわかりませんが、高須藩初代藩主松平義行(よしゆき)さんの子供が2代目を継ぐ事になりましたhappy01

つまり、高須家から越智松平家に当主を入れたという前例が、100年以上前にあったという訳ですnew

この家は、当主の後継者運に恵まれていなかったみたいで、以後も水戸徳川家支藩や水戸連枝である高松藩松平家から当主を迎えていましたhappy01(11代将軍家斉さんの子供を、世子として迎えた事もありますdanger

こうして眺めて見ると、高須松平家同様に、越智松平家も水戸徳川家の血統によって、支配されていた事がわかりますねsign03

それでは、武成さんが養子に決まった前後の情勢はどうなっていたのでしょうかsign02

そのお話は次回にいたしますsoon

 

 

 

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