高須松平家と水戸徳川家の繋がりは、さらに深く親密に
さて、高須藩松平家の殿様になった、松平義和(よしなり)さんですが、文化・文政の時代を大過なく生き、治世28年目の天保3年(1832)に亡くなりました
(享年57歳)
義和さんは、高須家に入嗣した時に、水戸部屋住時代に儲けた子供のうち、長男と二男は高須家に連れて行きました
三男は紆余曲折の末に、会津松平家の子供になっていました(後の松平容敬さんです
)
部屋住みの身分で、子供だけはたくさん儲けたものだと感心しますが、実は文化元年(1804)10月、高須家相続の直前にも四男が生まれていました
(後に他の大名家に養子になりました)
お話が横道に逸れましたが、長男の義質(よしただ?)さんは、お父さんに先立って亡くなっていましたので、次子の義建(よしたつ)さんが嫡子となっていました
天保3年に、義和さんの後を継いで高須藩10代藩主の座に就きました![]()
藩主としての義建さんは、際立った業績を残しませんでしたが、父親としては、なかなか優秀だったみたいです![]()
彼はたくさんの男の子に恵まれましたが、その多くが、幕末期の政局において、重要な役割を果たしていました![]()
本編の主人公である慶勝さんは、この義建さんの嫡男でした![]()
慶勝さんは、文政7年(1824)に江戸高須藩邸で生まれました
実は、慶勝さんには4歳年上のお兄さんがいたのですが、生まれてすぐに死亡した為、次男の幼名秀之助(ひでのすけ)こと慶勝さんが嫡子として、幕府に届けられる事になりました![]()
慶勝さんのお母さんは、義建さんの正室で、水戸徳川家7代藩主治紀(はるとし)さんの娘でした![]()
ちなみに、このお母さんの兄弟が、水戸家8代藩主斉脩(なりのぶ)と、有名な烈侯こと9代藩主斉昭さんに当たります![]()
平たく言えば、祖父である義和さんが、もともと水戸家出身でもあり、父の義建さんと慶勝さん生母は、従兄妹同士という事になります
水戸徳川家の血筋が更に色濃く引き継がれる事になりました![]()
そして、慶勝さんと斉昭さんは、密接な繋がりを持った伯父甥という関係になります![]()
ところで・・・
後に、幕末動乱期に活躍する高須4兄弟(慶勝さん、徳川茂徳さん、松平容保さん、松平定敬さん)ですが、実は4人とも母親が違うんです![]()
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さらに、意外と知られていない事実を、1つご紹介したいと思います![]()
慶勝さんと茂徳さんの間には、慶勝さんと同じ正室出生の成人した男子がいました![]()
タケ海舟は、本来ならば、この男子を含めて、高須5兄弟と呼んだ方がいいのではないかと考えています![]()
慶勝さんと同じ母親を持つ、弟という事もありますので、次回はこの人物のお話をさせて頂きます![]()
タケ海舟
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