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江(第18~19回)を見て(初と京極姉弟)

投稿者:タケ海舟 投稿時間:2011年05月30日10時28分11秒 | コメントなし | トラックバックなし

天正15年(1587)~翌16年(1588)は、浅井三姉妹にとって転機の年だったと思いますconfident

まず15年に次女の初が、近江国大溝城主京極高次の正室として、入興しましたhappy01

ご存じの通り、高次のお姉さんは、秀吉の側室竜子(松の丸殿)でしたdanger〔妹としている史料も存在します〕

実は、高次兄弟の母マリアは、浅井久政(ひさまさ)の娘であり、浅井3姉妹の父である長政の姉に当たりますhappy01

マリアは、浅井家の主家であった京極高吉(たかよし)に嫁ぎ、竜子・高次・高知(たかとも)の3子を儲けましたwink

つまり、京極3兄弟と浅井3姉妹は従兄妹同士という関係になりますねsign03

京極家は近江源氏佐々木家の流れを汲む名門でしたshine室町時代には、婆沙羅大名で有名な佐々木道誉(どうよ)を出していますokその後、佐々木氏は、北近江を地盤とする京極氏と、南近江を地盤とする六角氏(ろっかくし)の二流に分かれ、戦国時代を迎えますconfident

観音寺城を本拠とする南近江守護六角氏は、比較的早く、戦国大名として脱皮を遂げていましたが、北近江守護京極氏の方は、時代の流れに対応し切れず、国人領主であった浅井氏にその座を取って代わられてしまいましたcrying

但し、幸運にも、当時の当主であった高吉は、浅井家に庇護され、前述の通り、マリアを正室として迎えていましたthink

織田家と浅井家が全面戦争となった時の京極家の動向は、はっきりわからないのですが、長男の高次は、岐阜城の織田信長に人質として出されていたみたいですhappy01

元亀4年(1573)、信長が室町幕府将軍足利義昭を攻めた折に参陣して、信長より近江国内で5,000石を与えられていますhappy01

姉の竜子の方は、若狭国守護武田元明に嫁いでいましたが、本能寺の変勃発時、元明は明智光秀に味方しましたcoldsweats02

その後の山崎の戦で、元明は討たれ、彼と行動を共にした高次は、行き場をなくしてしまったようですbearing

この義兄弟は、こともあろうに、秀吉の本拠地近江国長浜城を攻撃したみたいで、中国遠征中の秀吉の留守家族を危機に陥れたわけですshock本来なら、高次の命も無かった筈でしたが、姉の竜子が秀吉に詫びを入れ、彼の側室になる事で、どうにか高次は助命されたみたいですdespair

ドラマで、鈴木砂羽さん演じる竜子は、自身を時の流れに任せて、前向きに生きているという印象がありますが、彼女と高次・高知兄弟達達にとって、名門京極家の再興が悲願だったと思いますsign03

その為には、恥を忍んでもという気持ちがあったのではと、タケ海舟は考えていますthink

秀吉の側室になった竜子は少し遅れて、母市と死別した従兄弟の浅井3姉妹と出会い、身近に触れ合う事になりますgood織田信長の血を引く3姉妹とは従兄妹同士という、ある意味特別な関係を、京極家再興の布石にしたいと考えたのではないでしょうかsign03

その為の具体的な手段とはdanger

3姉妹の誰かを、弟である高次の正室に迎える事でしたimpact

では、なぜ、次女の初が選ばれたのでしょうかsign02

高次は永禄6年(1563)生まれですので、3姉妹より年長になりますhappy01

正直、3姉妹の誰を迎えても、年齢的な釣り合いは取れていたと思いますdash

しかし、ここからが、タケ海舟の推測ですが、長女の茶々には、秀吉が並々ならぬ想いを秘めていましたgawk

秀吉の側室として、彼の心の動きを見抜いていた竜子は、茶々を弟の正室に迎える事は避けたかったのではないのでしょうかsign02

秀吉の女たらしぶりは、最早、公然の事になっていましたng他人の妻でも権力に任せて、自分の物にしようとしたという噂もありますban狙われていたのは、細川忠興正室のたま(ガラシャ)や蒲生氏郷正室(主君信長の娘sign03)だったといわれていますsad

仮に秀吉が高次と茶々の縁組を認めたとしても、後々、大きな災いが京極家にもたらされる危険を察知したのかもしれませんgood

おそらく、茶々は近い将来、必ず秀吉の側室になる。自分の最大のライバルになるかもしれないが、秀吉の寵愛を巡って競い合うのは、いわば、女の戦sign01自分がしっかりしていれば問題ない。しかし、京極家当主である高次を、危険な立場に追いやる事は出来ないという判断があったのではと思いますflair

後に秀吉最後の晴れ舞台となった、醍醐の花見では、秀吉から与えられる杯の順番を巡って、茶々と激しく争う事になりますsign01この頃の茶々は秀頼の生母して、揺るぎない地位を確立していましたが、京極家は浅井家の主筋という誇りが竜子をしてこのような行動に駆り立てたのではと推測しますok

茶々を外し、残る候補は、初と江だけになりますが、江を選ばなかった理由については、残念ながらわかりませんweep

しかし、秀吉は江を既に、養子3代目秀勝の正室にと考えていた可能性もあります・・・

秀勝と江の結婚時期ですが、天正15年(1587)または、文禄元年(1592)の2説がありますdangerもし、婚礼時期が前者だったら、江の高次への輿入れは考えられませんねsign01(初の京極家輿入れも同年ですから)

こうして見ると、消去法で残った初が、高次正室となった可能性も十分考えられますcoldsweats01

ただ、最初にお話しましたが、織田家の血筋という貴種(血筋でいえば、京極家の方が上ですがdelicious)であれば、京極家にとって、満足のいく縁組だったのでしょうhappy01秀吉にしてみても、京都近郊の要衝地である近江国に代々、根を下ろしている京極家との関係を、更に深める必要性を考えての縁組だったと考えられますshine

京極家側から見ると、政略性の強い縁組だったのですが、当の本人達やその周辺が皆、従姉という事もあり、初個人にとっては、大変恵まれた結婚だったのではと思われますhappy01

そして、この従兄弟同士の結婚は、次の世代にも、似た傾向の縁組をもたらす事になりますsign03

この辺りお話は、ドラマでもいずれ取り上げられますので、機会を改めてsoon

 

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