さて、龍馬暗殺の真相について![]()
「龍馬史」の著者 磯田道史氏は、龍馬暗殺に謎は無し![]()
と断言されています![]()
彼ほどの大物が殺害されたのだから、背後に余程の黒幕が存在しているに違いない![]()
龍馬ファンはもちろん、多くの歴史愛好家はそう考えたくなるでしょう![]()
しかし、明治維新を経て、今日まで、龍馬暗殺について、様々な証言が残され、実行犯については、京都見廻組である事が確実視されています![]()
磯田先生は、オーソドックスに考えて、黒幕は見廻組を監督していた、京都守護職の会津藩であると結論付けています![]()
実は、意外と知られていないのですが(少なくともタケ海舟は・・・)
見廻組頭の佐々木只三郎は、直参旗本なのですが、実は、会津藩士佐々木源八の三男でした![]()
(付け加えますと、同じ会津藩支配の新撰組は、下級武士、若しくは武士階級でなかった者達が構成メンバー。これに対して、見廻組は、直参旗本が中心。両組織はともに京都の治安維持と不逞浪士達の摘発が任務でしたが、互いにライバル意識むき出しで、関係はよくありませんでした
)
つまり、佐々木はもともと会津松平肥後守家中だったわけです。(松平肥後守とは京都守護職松平容保さん。この方は、尾張藩主徳川慶勝さんの異母弟です
)
戊辰戦争で官軍に降伏して後、赦免された見廻組隊士で、龍馬暗殺を証言した実行犯2名が、「暗殺指令は会津藩から見廻組に下された」と一致した話を残しています![]()
この命令系統については実に自然であり、疑問の余地はないと考えてます
(直属の上司から命令が来るのと同じ様なものですからね
)
そして、この命令系統の中で、ある重要な人物が浮かび上がって来ます![]()
先程来、佐々木只三郎さんは、会津藩出身であるとお話しましたが、彼の兄で京都会津藩の公用人という重職に就いていた人物で、手代木勝任(てしろぎかつとう)という人物がいました![]()
この手代木さんが明治37年(1904)に亡くなった時、家族に龍馬暗殺について驚くべき真相を言い残しました![]()
このお話については次回にいたします![]()
タケ海舟
コメントを書く