板垣退助像。
高知城に入ってすぐの所に、その像はあります。
板垣退助、元は乾退助と名乗っていた、一応下士(郷士とも言う)の武家の出です。先祖が「板垣」と名乗っていたそうで、維新を前にして名字を変えたと言われる、維新のどさくさにまぎれて元老にまで上り詰めた男。
まぁ、自由党を立ち上げたのは彼なので、それはそれで褒めてしかるべきかもしれませんが。
「大政奉還」を提出した後藤象二郎とは幼馴染で、ともに「やのす」「いのす」と呼び合う仲だったとか言われていますね。
地方演説中に暴漢に襲われて「板垣死すとも自由は死なず」と言ったというのは有名ですが、本人が言った訳ではないようですね。 記者が話を盛り上げるために作った作り話を、本人も気に入っていたらしいという逸話が伝わっています。 記者がでっちあげるのは、今も昔も変わっていないようで。
明治維新の功労者という事で優遇されていたようですが、夢半ばにして倒れた龍馬さんや慎太郎さんを踏み台にして駆け上がった成り上がり者として、地元での評価はあまり良くなかったようです(元武家の家系の祖母などは、随分嫌っていました)
高知城址公園の内部に彼の像があると知ったら、どう思ったでしょうか。
現在の自由民主党は荒れております。 彼が設立した党の今の状況を見たら、何と言うでしょうか。やはり、 「板垣死すとも自由は死せず」 ときっぱりと言い切るでしょうか。それとも、大袈裟に 「日本はもうおしまいだ」 と嘆くでしょうか。
ちなみに、もっとも息の長い党と言われておりますが、一度解体されて今に至っています。
退助さん設立当時のままの自由党ではありませんけどね(多分)
内助の功とは。
「高知城」の階段の中ほどに、 「山内一豊の妻と馬」 の像があります。
以前は確か、馬の手綱を持っていたような気がしたんですけど、記憶違いなのか違うのか、よく分からなくなってきましたw
昔は、よく父に
「銅像は夜中に動いて、悪い子をさらいに来るんだよ」
とか教えられました。子供心に結構恐くて、いい子になろうとか思ったんですけど(実際には「半端に悪い子」に育ちましたが)w
それはそうと、この「内助の功」、偽物(というか、ウソ)の可能性があるそうですね。
実際には「千代」が一豊にした事は徳川家康への密書と、石田三成の自軍参加への密書を一豊さんに渡し、それ(三成の手紙)を家康に見せる事と、掛川城を家康に提供する事だったそうです。
その功績で「土佐24万石」を与えられたらしいんですけども、 「馬」 はフィクションだったそうです。
ま、話としては面白いので、司馬遼太郎も採用したんじゃないですかねw
「馬」の説が正しいのかそうでないかは、実際に見てみないと分からない物です。
それにしても、「千代」さん、結構ふっくらしてますねw
明けまして......。
今年もよろしくお願いします![]()
今年はチビちゃん達にも「我」が出て来て、何だか「城に行きたい」とか言うようになりました(影響力大) またどこかに行ったら、「お城」にチャレンジしてみようかと思っていますw
もちろん、幕末にも興味はありますが(何故か貰って来た「歴史読本」読んでますけど)、いいものがあれば買ってみてもいいかなと思う今日この頃w
古本屋って結構雑誌みたいなもの売ってないんですね(昔の「歴史と旅」みたいなもの)
探してもなかったので、ちょっと淋しい思いしてます![]()
当分は「日本の伝説」で我慢するかな……![]()
国宝......?
1603年に山内一豊によって築城。
1727年に焼失したものの、1749年に再建。以来今に至る(高知城パンフレットより)
って、高知の空襲でも焼けなかった立派なお城w
国宝の理由は、1934年に「国宝に指定」されたことに由来しているそう。1950年(昭和25年)に文化財保護法によって重要文化財へと変わったようですが、全く知りませんでしたw
だから「国宝」に「はてな
」だったんですけどね~w(城好きなのに無知過ぎw)
2003年に「高知城築城400年祭」が模様されたようですが、確かに1603年に築城されてるんですもんね~w いい事なのか違うのか分からないけど、多分その記念祭に私行ってると思います(まだチビ達は産まれてませんでしたしね)
単に記憶がないだけか……(あちこちのお城に行って、イベントに参加してましたしねぇ……w)
高知に帰ってきました。
地元が高知県なので、18日のお昼から20日まで実家に帰っていました。
91歳で亡くなった祖母の葬儀・告別式に参列するためだったんですけどね。
そして、かねてより気になっていた本を色々と物色してもらい、父や母にも色々と貰って帰って来たんですが、行く時よりも重たくなりましてw
昔、古本屋だった事もあって、わが実家には色々と本が転がっているのです。
父曰く、「頑張って仕分けした」との事でしたが、山のように散らかっていたので。その中から選んだ本が
「日本の伝説」各巻と、「戦乱・日本の歴史」全12巻、「土佐の仏像」「江戸八百八町に骨が舞う」「世界の病歴」などなど。
その中に、「げにまっことのーがええ」とかいう本があり、妹が正しい土佐弁を覚えるために引っ張り出したのに、私がはまってしまって母に頼んで持ち帰る事になりw
一応高知県人ですので、「土佐弁」がいかにして出来たのか、または意味を知るために妹が勉強するために見付けたんですけどね(ただ単にあったから出してみただけ)、色々と興味深い(意味も分からず使っていたものもあって)本でした。
多分静岡にいたら全く意味がなかろーもん、的な意味合いもあるかと思われますw
その前に、静岡の方言を学べ……w
まだ読んではいませんが、じきチャレンジしてみたいと思っています。
ちなみに、入れた覚えのない新刊も入ってまして(しかも、何故かビニールに入ってました)、父がこっそり入れたのかなと思っています。送り返すのも面倒なので、夏に来た時に返そうかなと思っております。
父の形見としてもらう本の約束も取り付けたし(気が早い)、祖母の葬儀のために帰ったのに違う道に入りこんでいたような気がしなくもない帰省でしたw
高知城にも久し振りに登りましたw
「昼寝禁止」って何でしょうね……? 天守に張り紙がありましたw
日本史・再びw
基本的には歴史と名前が付くものなら何でも来いって感じなんですが、近代史は全く覚えていない(そもそも覚える必要があるのか否か)ので、真面目にやろうと思いつつも「歴代総理大臣」で挫折している今日この頃w
そんなもの覚えていても何の得にもならないのは分かっているのに(徳川歴代将軍で実証済み)、何故か気になるのですw
気にするなってよく言われるんですけどねぇ……。
ちなみに、鎌倉幕府歴代将軍は4代目までなら言えなくもないです(何の勉強をしてるんですか、的な)w
まぁ覚えていても損ではないと思うけれど、どうしても歴代総理大臣は覚えておきたいなと思ったりして、再び日本史を書き写していたりします(単に小説に行き詰っているだけとも言う)
ところで、大坂って「仁徳天皇陵」(的なもの)とかありましたっけ? この間大坂に行きまして、京都と奈良の境目だか大坂と奈良の境目だかで相方が「何とか古墳があるよ」って言っていたんで調べようと思ったんですけどねw
全く今の今まで失念してました(ダメじゃん)
日本史は幕末までならお手の物ですが、地理はイマイチ理解不能な私。
県庁所在地なら今の所把握できてはいるのですが(極端だな)、それ以外は全く分からなかったりするので、地図も勉強が必要のようです(とはいっても真面目にやらない方が分かりやすいらしい)
静岡にも古墳があるらしいんですけど、近所と言われてもイマイチ分からない私(ほんとにあるらしいんですけど、見た事ないです)、先に家の近所から調べろよ、的な感じですかねw
そんなこんなで、再び「日本史」採掘に燃えている私なのでしたw
あっ、『龍馬伝』再放送録画して見たんですけど、「ほたえな!」ってあんな発音ではないよ、多分。 それがどうしたって言われそうだけどw
龍馬さんって、よく分からない人だったのねっていうのが素直な感想です。
っていうか、高知に帰りたいわぁ……(いや、静岡に住民票を移したから、行きたいというべきなのか) もう6年くらい行ってないのでねぇ(ただ単に、実家から自分の本やを持って帰りたいだけw)
お稲荷さん。
神社仏閣城巡りが好きなわたくし、実は「お稲荷さん」も好きなんですよw
特に、苔むした感じのするお狐さんが好きで、あれば写真を撮ってしまうという……(時間があればの話)変な癖を持っていますw
もっとも、父や祖父の影響で、「絵馬」なんぞも撮ってみたいと思うのですが、そんなこんなで撮った事はありません![]()
この頃は「合格祈願」とか「恋愛成就」とかの絵馬ばかりで、昔からあるような風格のあるものに出会えていませんし、お狐さんもあまり苔むした感のないものばかりになって来たので、ちょっと淋しいかな的なw
とはいっても、何がどう違うのかあまりよく分かっていないので、「お狐」さんを語るのはおこがましいという感じではあるのですが。
という事で、ある神社の「狛狐」さんを(笑
京都の清水寺で撮ったものなんですが、結構お気に入りです。
普通は「狛犬」ですよねぇ。でも、時々「きつね」が守っているのを見るので、ちょっと嬉しかったりしてw
……やっぱり変な人ですか……?
仙台青葉城。
PCが新しくなったので、「お気に入り」に入れていた全てのものが消え失せ![]()
再び探し出してお気に入りに入れている所です。
そんな話はどうでもいい?
では、本題をばw
仙台青葉城に行ったのは約8年ほど前。急に思い立って、行ってみようという事になり(思い付きで行動する人間のため)、当時はまだ高かった高速を使って夜出発しました。
あくまでも「仙台青葉城」と「伊達正宗の銅像」を見るためだけにw
うーん、感想と言われても……。
覚えていないというのが正しくて、何だか台風だか地震だかで石垣の一部が壊れ、修理中だったという事しか覚えていません(そんなのでいいのか?)
伊達正宗の銅像も思っていたより恰好良くはなく(あくまで一個人としての感想です)
帰りに「牛タン食べていこう」って言って、城下町付近のお店に行ったんですが、期待していたほどでもなく(これも一個人としての意見ですので、気を悪くしないで下さい)
まぁ、「松島」や「水族館」なんかに行ったんで、楽しかったといえば楽しかったんですけどねw
ところで、「仙台青葉城」って伊達氏の居城ですよね? 伊達正宗が一度居を構えようとしたのが「黒川城(現会津若松城)で、そこから仙台に入封されて江戸屋敷で生涯をとじたと聞いております。
鈴木尚さんの「骨」という本には、伊達正宗は身長150~157cmの小柄な男だったと「伊達正宗」の墓を調べた折の記録が書かれています(父が持っている本なのです)
なので、銅像は真実を表していないのだな、とこっそりと思ったりw
ま、英雄というものは得てして大きく見られがちですけどね(軍神も話を作られているようですし)
また時間と懐に余裕が出来たら行きたいものです(イベントはない方が、私的にはいい感じですけどね、たまに知らずに行くとぶつかってしまうため、一概にはいいとは言い切れない)
日本史。
正確には「図解雑学 日本の歴史」というテキストブックのようなものですが。
現在高校3年生の妹ちゃんのため、一昨年から書き始めた「日本史」
やっと「幕末」まで来ました(基本的には「幕末」は近代史に入るようですね)
現在は101枚目、まだもう少し幕末は続くようですw
ちなみに、「幕末」の分野は少なくても5pくらい、激動の時代なのに一瞬で説明が終わってしまう儚さですw
いや、志士達にスポットを当てるテキストではないので、それはそれで仕方がないんでしょうけども、「龍馬」さんも一瞬、西郷さんも一瞬って、それ何だか悲しいかな、と書いていて思う訳ですよ。
えー、もちろんテキストブックなので、イラストも描かれていますけど、絵心のない私は全く無視して字だけをつらつらと書いております。自慢できるほどうまくもないんですけどねw
この写真撮った後、ちょっとした失敗を犯してしまって、再び書き直す羽目になってしまったのは内緒ですw
シャーペンとボールペンが混在してますw
それもまた、(書く側からしたら)楽しかったりしてw
近代史は覚えようと思っているので(戦国時代と幕末は勉強中ですけど)、ノートに書き散らすのが楽しい今日この頃なのでしたw(54枚までは妹ちゃんが持っていると思います。一昨年実家に帰る前に手渡したので)
それにしても、めっちゃ雑だなぁ……w
足摺岬。
高知県の最南端にある岬です。
高知市からは日帰りで行けない距離、結構時間がかかります。
足摺という名は、そこまで行くのに疲れてしまって、足を摺るようにして歩いて来なければいけないという意味のようですね(それが正しいとは限らないけど)
そんな岬の中程に、「ジョン万次郎」の銅像があります。
「ジョン万」と呼ばれた彼は、本名中浜万次郎、15の時に漁に出て漂流し、アメリカ船ジョン・ハイランド号に助けられたのを切っ掛けに蚊の地へ連れて行かれ、英語の教育を受けて何年も逗留、立派な青年になって戻ってきます。
が、当時の日本「尊王攘夷」「倒幕」の真っただ中。
英国かぶれの日本人、と相手にされなかったそうです。
そんな万次郎の評判が変わったのは、勝海舟が渡米した「咸臨丸」の操縦をイギリス人である船長とともに無事にこなした事と、英語を通訳した事で功績をたたえられたのが切っ掛けだったと言われています。
それまでは「漁師の息子」と見下され、さげすまされていた万次郎は、でも彼の地で尊敬はされても、日本に戻ってきたらやはりさげすまされてしまいます。
それでも「通訳」としての仕事を見付け、外交官として活躍していたと言われています。
万次郎が実践で習得した「英語」は、とても覚えやすかったと言われているそうです。
そんな彼も、77歳で脳溢血に倒れ、死去してしまいます。
現在の足摺岬に立つ銅像は、若くして漂流し、彼の地で苦労をして戻って来て日本に多大なる影響を与えたという彼の業績を称えるために建てられたものだと言われています。
はるか遠く、見えない土地を眺めるかのようにして立つ彼は、何を思っているのでしょう。
聞いてみたいような気もしますけどね……。
りぐ