山内一豊像。
というか、高知城の近所にあったのねって今更ながらに思った、高知小旅行w
実家の母に誘われて高知へチビちゃん達を連れて行ってましたが、相方がいなかったため、とっても大変な移動になりました(新幹線と特急を乗り継いで行ったので)
まぁ、それはさておき。
両親が翌日に逃亡してしまったため、妹ちゃんと一緒に電車やバスに乗って移動、何故か高知城には入らずに「一豊さん」の銅像を撮りまして(撮ったのはチビ)
帯屋町街をブラブラしまして、お昼をマックで食べてから再びブラブラ。
今回は日曜市はやっていなかったので、何もしなかったというか買わなかったというか、まぁそんな所で。
ただ、やっと「一豊」さんのある場所を知ったので、一応「高知県人」の面目は躍如(勝手に思う)?
でも、一豊さんってあんまり地元の郷士達には好かれていないんですよね。元長宗我部の家臣を責めて追いたて、殺戮した記録もあるため、一概にいい城主だったとは思えない一豊さん。
今の高知の栄華を築いた人だけど、あまり胸を張って言えるような人でもなく。
長浜の長宗我部家臣の碑や無縁仏なんかも後世に立てられたものですし、一豊さんがいるうちに建てられたものではなく。
千代さんも一豊さんが世を去ったら高知から去りましたしね、あまり高知という場所に愛着は持っていなかったのかもしれませんね。
銅像を見て、あまりカッコ良くないと思ったのは内緒ですw
掛川城。
山内一豊が建てたと言われる、日本で最初の木造建築物(らしい)
山内一豊と言えば、長浜城主から掛川城主、そして土佐高知城主になった立身出世の見本のような人。
でも、掛川辺りから殿様に付いて行ったらしい我が祖先から見ると、どうなんでしょうかねって感じの人ですね。
ちなみに、我が実家は信州松本から足軽として付いて行き、山内家では重鎮だったそうですけど、それにしては名前が無い。まぁ、そのまま武家としていたら「お殿様&お姫様」だったらしいので、そんな戯言は放っておくとして(酷
祖母の方が名門だったそうな(よく分かんないけど、公家の出だったとかで)
そんな人が何故一介の武士の家に嫁ぐのかって気もしますけど(しかもお見合いで)
それはそれ、容堂さん(幕末の藩主ですね)はまぁ能力主義の人だったようで、もしかしたら我が家も登用されたのかと思いまする。
で、掛川城。
何年か前に行きました。相方と一緒じゃなかったので(当時は付き合っていなかった)、色々と目を輝かせていたんですが、何となくちゃちい感じはしましたねぇ。木造建築って言ったけど、何だか周りに気張りすぎてって感じ。
浜松城も同じだったんですが、パッとしない(失礼!)城でした。
しかも、改築中だったし(何年かかかって改築していたような)
掛川を通るたびに思います、ライト
は節電した方がいいんじゃないの? ってw
一豊さんは尊敬に値するかもしれないけど、今の掛川はあまり好きではないですね(昔は良かったんだけど)
城と城下町。
その名も
「城と城下町」
日本通信教育連盟という所が出している代物だそうです。
「あんた、こんなん好きやろうから」
とか言って探して持って来てくれたそうですが、何でこんなものが家にあるのかが不思議w
まぁ、城とか調べている人には最適でしょうけど、実家は何の変哲もない普通の家で、ただ昔古本屋だっただけで大して変わらないと思う家柄。普通にサラリーマン(でもなかったけど)家庭でした。
もしかして、溢れ返っている古本の中から見付けだしたのかな?
貴重なものかどうかは謎なんですが、中身はこんな感じ。
「西の旅」
「東の旅」
とあります。
勉強になっていいんですけど、どうなんでしょうね……。
久し振りに読んでみるのもいいかと思って引っ張り出したけど、チビ達に何かされそうな今日この頃……。
「東の旅」は、三重・滋賀までの城と説明が載っています。
庚申塚。
昔から「庚申塚」とか色んな石仏があるとかで、興味があったのですよね。
なので、今回は少し興味を持って写真を撮らせていただきました。
別に祟るようなものではないのでいいかな、と軽い気持ちで撮っていたら、そのすぐ後に相方が転んで右足を捻り。
関係ないかもしれないけれど、やはり挨拶はするべきなのかとしみじみ思った次第です。
ところで、この庚申塚、意外と新しい代物?
「昭和55年」って書いてありますよね?
ってことは、もう少し古いものの方が写真的には良かったのかな?
また再び行った時には再度チャレンジをしようかと思っていますw
お寺とか行くのもいい手だけど、大量にあられても困るし(目移りするし)、とか何とか思いつつ。
目的を1つ果たしたので、私的には満足だったり(新しいものでなければもっと良かったのに)
桜。
日曜日に「もうじき咲きそうな感じだよ」とか言ってたら、もう既にほころび始め。
桜と言えば、「吉野桜」が有名ですが、「ソメイヨシノ」って実は見た事がないのです。
吉野桜は随分前に相方と春見に行って「おぉ、これがかの有名な云々」とか言って帰ってきた記憶があります(本当に桜だけ見に行った)
ソメイヨシノは主に東京、この季節は相方が忙しく、全く遠出できないため、東京などもってのほか。行ってみたいけれど見る事も出来ず的な感じでしょうか。
我が家の「桜」は種類は分からないけれど、「さくらんぼ」が生る品種。
長男が産まれ、家を建ててから記念樹として植えたもの。
長男とともにすくすくと成長中(ちなみに、長男の名前は「桜」組み込まれていません。入ってたらビックリだけどw)
桜で思い出すのは「新撰組」かなぁ……?
丸岡城。
一応「国宝」なんですよね。
確か、国宝に指定された後で火災に遭い、重要文化財に落とされた曰くつきらしいんですが。
最初に見に行った時には修復中のため入る事が叶わず、その裏手にある資料館みたいな所で一服して帰りました。
「一筆啓上」で有名な武将の居城だったそうですね(ど忘れしました)
次に行った時は「リベンジ」って事で、夜中から行って(思い付きで行動するのは変わらず)、城の駐車場で一休みしてから入ってw
丸岡城は人柱伝説の残る城で、片目のお静さんという人が2人の息子の出世をお願いして人柱として埋められて完成した城。 城主が移封されてしまったため、息子達の仕官も出世も叶わなかったので、時々雨を降らせていたそうです。
「(忘れた)に降る雨は、いとしお静の涙雨」
と言われていたそうです。そして、片目の蛇が霧を作って城を隠してしまうため、
「霧ヶ城」
とも呼ばれていた「丸岡城」、戦の時には城が霧で隠れていたそうですよ。
なかなか風流なお城でございました。
また時間が出来たら行きたいけれど、チビ達がどう思うかね……(少しずつ洗脳されてるような気もしなくもないのですが)
好きなんですよ、日本史。
っていうか、日本史と言うよりも「怪しい日本史」?
「日本史」と付くものなら何でも好きな訳で、とりあえずは目に付く怪しげな本とか買ってみたりしておりますw
ところで、実家から持って帰って来た「日本の伝説」、何故か「東海地方」が無いんです。
確かに3年ほど前に両親が静岡に来た折に渡したはず、と思ってるんですが、記憶違いかなぁ……。いや、確かに桜ヶ池の「お櫃納め」というものを読んだ記憶がありますから、父に渡したのでしょう。
その他は「四国」「九州」「中国」「近畿」「北海道」「東北」「京都」「全国の城(って)」「忠臣蔵」全て揃っているのです。
伝説っても、大体みんなが知っているものが多いのですが。
例えば、養源院の「血の滲む板」とか、野間にあるという「血の滲む掛け軸」とか、結構キワドイものが写真付きで紹介されている訳ですよ。今なら考えられない事なんでしょうけど、その養源院の血の滲む板には討ち死にした武将・鳥居元忠の手形とかある訳ですよ。
そんなものに目を輝かせてるから、もしかして変なものが憑いてくるのかって気もしますけど、どうなんしょ?
そんな私、探している本がありまして。
「怪奇」的なものでしたけど、「闇の日本史」みたいなタイトルだったような気がします。
一度本屋さんで見て、その時は違うものが目的だったため(名探偵コナンを探していた)素通りしてしまったのですが、あれからその本屋さんに行ってもどこに行っても見付からなくて、似たようなタイトルの本をブックオフで買っては見たものの、やっぱり違う。
あれが欲しいと思っているのですが(出来る事なら図書カードで買いたい)、どこに行ったのか、また興味をそそられたタイトルはどのようなものだったのか、悩んでおります。
誰か知りませんか~(切実
「戦乱 日本の歴史」
何故そんなものが実家にあるのかはさておいて(置くんかい)、最終巻である12巻は「士族の反乱」
「佐賀の乱」
「神風連の乱」
「西南の役」
と日本史上最後の戦役を書いております。
基本的には「何がどうしてこうなったか」とか書かれてはいないのですが(作家さんが作品的に書いているので)、読む価値はあると思いますw
というか、12巻まで揃ってあるっていうのが不思議と言えば不思議で、実家の両親はあまり歴史には興味のない方達。逆にいえば最近になってやっと「古文」を母が読み始めたと言った所。
もちろん、私が日本史に興味を持ったのも何故か実家に転がっていた「マンガ・日本の歴史」からで、そんなものがあるのが不思議。 普通に考えると、配本なのでやっぱり親がこっそり申し込んで送ってもらっていたって感じなんですが、そんなものを惜しげもなくくれる親に驚き(&妹がこっそり10~12までをわたくししていたのにも驚かされたけども)
私個人としては「天下布武」(7巻)、「天下一統」(8巻)、「関ヶ原の戦い」(9巻)と、「戊辰の役」(11巻)に惹かれる訳ですがw
まぁ、「あっても困る」とか言うんで貰ってきはしたんですが、一応 「商いやってます」 な古本屋(団地内なので、気付かれないと思うが)、商売抜きですか? 的なw
自分家の子だからいいのか?
ちなみに、母が「天下一統」を見て「天下統一やないんやねぇ」と突っ込みを入れていたのは内緒ですw さすが、生粋の高知県人……w
和歌山城。
徳川紀州家の居城ですね。
去年近くまで行ったのですが、時間もなかったので行くのを断念し、思い出に浸っておりましたw
チビ達が産まれる前に一度行った事があって、その時は「吉宗さんは結構美形だったのね」とか言っていたような気がしなくもなくw
老人になってもカッコ良かったのねw 的な感じ? まぁ、人の好みですから、相方に言ったって分かってくれなかったので、この辺でw
その城の庭に、「南高梅」って書かれた木が1つ。
原木とか書かれていたような気がするんですが、うろ覚えの上に当時撮った写真がないので何とも言えません。
が、確かにその城の庭に植えられていて、何となく威容を感じたものでした。今もあるのかな?
和歌山城は南紀に言った時に初めて行った城で、結構感慨深いものがあるのです。もっとも、あちこち行ってるものであまり記憶に残ってはいないのですが、やはり建て直された城って言う感じでしたね。
比べると申し訳ないのですが、大坂城や名古屋城みたいな、見世物的なものになり下がっていたような気がします(当時はですので) 松本城や姫路、犬山といった国宝の城と比べるとやはり見劣りがしますね。
きっと「将軍家に連なる人達が住んでいた城だよ」って言われても信じないかも(相方は信じてくれなかった)
ちなみに、和歌山城は徳川家康の10男(だったかな?)が建てた城で、徳川宗家に後継ぎがいない場合は率先して将軍になれるといった、いわば幕閣№2。そのため、7代将軍家重(だったと思う)が幼くして他界してしまった折に選ばれたのが「紀州」の徳川吉宗だった、と。
以来、吉宗の家系が将軍職を継いで続いて行く訳ですが……。
ただ、城よりも「南高梅」に惹かれた私だったのでしたw
松本城。
長野県は松本市にある、国宝の城ですね。
何度か行った事があるのですが、雪の松本にはあまり行った事がなくて、先日行けるかと思ったら行けなかったため写真はありません。
松本城は昔、城を建てた大工の計測違いで城が傾いたとも、その傾きを妻に察知されて大工が死んだために、長い間傾いたままだったとも言われていますね。 城の裏手にある碑には、その大工の「源兵衛」の事が書かれてあるとも言われていたそうですが、今では着工碑か何かではないかと言われているそうです。
姫路城にも同様の話があって、こちらは「加助一揆」の首謀者、加助の怨念で城が傾いたと言われているそうです。 実際に、江戸末期の写真には天守が傾いた状態の城が写ってますし、詳しく調べたら片方の地盤が緩んでいるために起きた現象だったとも言われているそうですね。
松本城はその黒い城壁から「深志城」とも呼ばれていて、東海を守る要となっていたとも言われています。 別名を「鵜城」、長良川で鵜飼をしている者達が、鵜の羽のような漆黒の美しさに例えて呼んだとも言われています。
戦乱の世から平和な世の中、そして幕末の激動の時代を乗り越えて語り継がれている城だと思いますが、いかがなものか。
ちなみに、城の中には「銃」や「日本刀」もあり、銃や刀に目が輝いてしまう私としては堪えられないお城なのですよね~。 なので、また長野に行ったら寄って欲しいと相方に伝えようと思っています。この間は行っても時間がないと言われて却下されたのでw
りぐ