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February 2011

「戦乱 日本の歴史」

IMG_0499.JPG実家にあったらしい「戦乱 日本の歴史」1~12巻。

何故そんなものが実家にあるのかはさておいて(置くんかい)、最終巻である12巻は「士族の反乱」

「佐賀の乱」

「神風連の乱」

「西南の役」

と日本史上最後の戦役を書いております。

基本的には「何がどうしてこうなったか」とか書かれてはいないのですが(作家さんが作品的に書いているので)、読む価値はあると思いますw

というか、12巻まで揃ってあるっていうのが不思議と言えば不思議で、実家の両親はあまり歴史には興味のない方達。逆にいえば最近になってやっと「古文」を母が読み始めたと言った所。

もちろん、私が日本史に興味を持ったのも何故か実家に転がっていた「マンガ・日本の歴史」からで、そんなものがあるのが不思議。    普通に考えると、配本なのでやっぱり親がこっそり申し込んで送ってもらっていたって感じなんですが、そんなものを惜しげもなくくれる親に驚き(&妹がこっそり10~12までをわたくししていたのにも驚かされたけども)

私個人としては「天下布武」(7巻)、「天下一統」(8巻)、「関ヶ原の戦い」(9巻)と、「戊辰の役」(11巻)に惹かれる訳ですがw

まぁ、「あっても困る」とか言うんで貰ってきはしたんですが、一応                                              「商いやってます」                                                                          な古本屋(団地内なので、気付かれないと思うが)、商売抜きですか? 的なw

自分家の子だからいいのか? 

ちなみに、母が「天下一統」を見て「天下統一やないんやねぇ」と突っ込みを入れていたのは内緒ですw                       さすが、生粋の高知県人……w

 

[ 2011年02月21日09時30分42秒 ]

和歌山城。

徳川紀州家の居城ですね。

去年近くまで行ったのですが、時間もなかったので行くのを断念し、思い出に浸っておりましたw

チビ達が産まれる前に一度行った事があって、その時は「吉宗さんは結構美形だったのね」とか言っていたような気がしなくもなくw           

老人になってもカッコ良かったのねw 的な感じ?                                                         まぁ、人の好みですから、相方に言ったって分かってくれなかったので、この辺でw

その城の庭に、「南高梅」って書かれた木が1つ。

原木とか書かれていたような気がするんですが、うろ覚えの上に当時撮った写真がないので何とも言えません。

が、確かにその城の庭に植えられていて、何となく威容を感じたものでした。今もあるのかな?

和歌山城は南紀に言った時に初めて行った城で、結構感慨深いものがあるのです。もっとも、あちこち行ってるものであまり記憶に残ってはいないのですが、やはり建て直された城って言う感じでしたね。

比べると申し訳ないのですが、大坂城や名古屋城みたいな、見世物的なものになり下がっていたような気がします(当時はですので)    松本城や姫路、犬山といった国宝の城と比べるとやはり見劣りがしますね。

きっと「将軍家に連なる人達が住んでいた城だよ」って言われても信じないかも(相方は信じてくれなかった)

ちなみに、和歌山城は徳川家康の10男(だったかな?)が建てた城で、徳川宗家に後継ぎがいない場合は率先して将軍になれるといった、いわば幕閣№2。そのため、7代将軍家重(だったと思う)が幼くして他界してしまった折に選ばれたのが「紀州」の徳川吉宗だった、と。

以来、吉宗の家系が将軍職を継いで続いて行く訳ですが……。

ただ、城よりも「南高梅」に惹かれた私だったのでしたw

 

[ 2011年02月08日10時36分25秒 ]

松本城。

長野県は松本市にある、国宝の城ですね。

何度か行った事があるのですが、雪の松本にはあまり行った事がなくて、先日行けるかと思ったら行けなかったため写真はありません。

松本城は昔、城を建てた大工の計測違いで城が傾いたとも、その傾きを妻に察知されて大工が死んだために、長い間傾いたままだったとも言われていますね。                                                                     城の裏手にある碑には、その大工の「源兵衛」の事が書かれてあるとも言われていたそうですが、今では着工碑か何かではないかと言われているそうです。

姫路城にも同様の話があって、こちらは「加助一揆」の首謀者、加助の怨念で城が傾いたと言われているそうです。              実際に、江戸末期の写真には天守が傾いた状態の城が写ってますし、詳しく調べたら片方の地盤が緩んでいるために起きた現象だったとも言われているそうですね。

松本城はその黒い城壁から「深志城」とも呼ばれていて、東海を守る要となっていたとも言われています。                    別名を「鵜城」、長良川で鵜飼をしている者達が、鵜の羽のような漆黒の美しさに例えて呼んだとも言われています。

戦乱の世から平和な世の中、そして幕末の激動の時代を乗り越えて語り継がれている城だと思いますが、いかがなものか。

ちなみに、城の中には「銃」や「日本刀」もあり、銃や刀に目が輝いてしまう私としては堪えられないお城なのですよね~。           なので、また長野に行ったら寄って欲しいと相方に伝えようと思っています。この間は行っても時間がないと言われて却下されたのでw

 

[ 2011年02月01日14時51分33秒 ]

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