高知城に入ってすぐの所に、その像はあります。
板垣退助、元は乾退助と名乗っていた、一応下士(郷士とも言う)の武家の出です。先祖が「板垣」と名乗っていたそうで、維新を前にして名字を変えたと言われる、維新のどさくさにまぎれて元老にまで上り詰めた男。
まぁ、自由党を立ち上げたのは彼なので、それはそれで褒めてしかるべきかもしれませんが。
「大政奉還」を提出した後藤象二郎とは幼馴染で、ともに「やのす」「いのす」と呼び合う仲だったとか言われていますね。
地方演説中に暴漢に襲われて「板垣死すとも自由は死なず」と言ったというのは有名ですが、本人が言った訳ではないようですね。 記者が話を盛り上げるために作った作り話を、本人も気に入っていたらしいという逸話が伝わっています。 記者がでっちあげるのは、今も昔も変わっていないようで。
明治維新の功労者という事で優遇されていたようですが、夢半ばにして倒れた龍馬さんや慎太郎さんを踏み台にして駆け上がった成り上がり者として、地元での評価はあまり良くなかったようです(元武家の家系の祖母などは、随分嫌っていました)
高知城址公園の内部に彼の像があると知ったら、どう思ったでしょうか。
現在の自由民主党は荒れております。 彼が設立した党の今の状況を見たら、何と言うでしょうか。やはり、 「板垣死すとも自由は死せず」 ときっぱりと言い切るでしょうか。それとも、大袈裟に 「日本はもうおしまいだ」 と嘆くでしょうか。
ちなみに、もっとも息の長い党と言われておりますが、一度解体されて今に至っています。
退助さん設立当時のままの自由党ではありませんけどね(多分)
りぐ
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