January 2011
板垣退助像。
高知城に入ってすぐの所に、その像はあります。
板垣退助、元は乾退助と名乗っていた、一応下士(郷士とも言う)の武家の出です。先祖が「板垣」と名乗っていたそうで、維新を前にして名字を変えたと言われる、維新のどさくさにまぎれて元老にまで上り詰めた男。
まぁ、自由党を立ち上げたのは彼なので、それはそれで褒めてしかるべきかもしれませんが。
「大政奉還」を提出した後藤象二郎とは幼馴染で、ともに「やのす」「いのす」と呼び合う仲だったとか言われていますね。
地方演説中に暴漢に襲われて「板垣死すとも自由は死なず」と言ったというのは有名ですが、本人が言った訳ではないようですね。 記者が話を盛り上げるために作った作り話を、本人も気に入っていたらしいという逸話が伝わっています。 記者がでっちあげるのは、今も昔も変わっていないようで。
明治維新の功労者という事で優遇されていたようですが、夢半ばにして倒れた龍馬さんや慎太郎さんを踏み台にして駆け上がった成り上がり者として、地元での評価はあまり良くなかったようです(元武家の家系の祖母などは、随分嫌っていました)
高知城址公園の内部に彼の像があると知ったら、どう思ったでしょうか。
現在の自由民主党は荒れております。 彼が設立した党の今の状況を見たら、何と言うでしょうか。やはり、 「板垣死すとも自由は死せず」 ときっぱりと言い切るでしょうか。それとも、大袈裟に 「日本はもうおしまいだ」 と嘆くでしょうか。
ちなみに、もっとも息の長い党と言われておりますが、一度解体されて今に至っています。
退助さん設立当時のままの自由党ではありませんけどね(多分)
[ 2011年01月23日14時07分46秒 ]
内助の功とは。
「高知城」の階段の中ほどに、 「山内一豊の妻と馬」 の像があります。
以前は確か、馬の手綱を持っていたような気がしたんですけど、記憶違いなのか違うのか、よく分からなくなってきましたw
昔は、よく父に
「銅像は夜中に動いて、悪い子をさらいに来るんだよ」
とか教えられました。子供心に結構恐くて、いい子になろうとか思ったんですけど(実際には「半端に悪い子」に育ちましたが)w
それはそうと、この「内助の功」、偽物(というか、ウソ)の可能性があるそうですね。
実際には「千代」が一豊にした事は徳川家康への密書と、石田三成の自軍参加への密書を一豊さんに渡し、それ(三成の手紙)を家康に見せる事と、掛川城を家康に提供する事だったそうです。
その功績で「土佐24万石」を与えられたらしいんですけども、 「馬」 はフィクションだったそうです。
ま、話としては面白いので、司馬遼太郎も採用したんじゃないですかねw
「馬」の説が正しいのかそうでないかは、実際に見てみないと分からない物です。
それにしても、「千代」さん、結構ふっくらしてますねw
[ 2011年01月10日08時43分51秒 ]
明けまして......。
今年もよろしくお願いします![]()
今年はチビちゃん達にも「我」が出て来て、何だか「城に行きたい」とか言うようになりました(影響力大) またどこかに行ったら、「お城」にチャレンジしてみようかと思っていますw
もちろん、幕末にも興味はありますが(何故か貰って来た「歴史読本」読んでますけど)、いいものがあれば買ってみてもいいかなと思う今日この頃w
古本屋って結構雑誌みたいなもの売ってないんですね(昔の「歴史と旅」みたいなもの)
探してもなかったので、ちょっと淋しい思いしてます![]()
当分は「日本の伝説」で我慢するかな……![]()
[ 2011年01月08日15時38分46秒 ]
りぐ