高知県須崎に位置する、太平洋を望みながら走る事が出来る道沿いの事を、「横浪スカイライン」と呼びます。多分正式名称なので、高知県人なら誰もが知っていると思うのですが……。
さて、そんな道の休憩所に、ぽつりと立っているのが「土佐勤皇党」の首魁、武市半平太の銅像。
以前はもう少し大きかったんですが、15年ほど前に新しく造り替えられたようで、龍馬以下の大きさになってしまったような気がします。よく兄や年の離れた妹と一緒に横浪スカイラインに行っていて、
「おっきいひと」
という愛称を付けられていた「半平太」先生。なのに、急激にちっちゃくなった(らしい)ら、見向きもされなくなりましてw
半平太さんは「龍馬伝」にあるような人ではなく、本来は温和で柔らかな人だったようです。ただ、山内の殿様への反感がすごく、その右腕であった吉田東洋暗殺を示唆し、容堂公に幕府から離れるように責め寄ったのは事実のようです。
天皇を崇拝し、徳川を廃する動きが高まったのは、自身の生い立ちも関係しているとも言われています。
武市家は本来は「郷士」と言われる身分、侍として見てもらえなかった身分だったのだとも言われています。本来ならば容堂公に意見を述べられない身分であったにもかかわらず、土佐勤皇党を立ち上げ、坂本龍馬や中岡慎太郎を仲間として引き入れ、そして自身が育て上げ岡田尹蔵(こんな字?)を暗殺者として各地の邪魔者を葬り去った、ある意味冷酷者として知られています。
半平太さん自身はそこまでするつもりはなかったのかもしれません。
ただ、周りに流され、「土佐勤皇党」の首魁として血を見なけれ治まらない状態にあったのかもしれません。
結局は容堂公の怒りに触れ、切腹という結果に終わってしまったけれど、最後には自分が理想とする案を龍馬が出し事で、納得して逍遥と死出の旅に付いたのかもしれません。
その直向きさに打たれた人達よって、「武市半平太」像は造られたのだと思います。
半平太が思い描いた理想は、今の現代にあるのでしょうか……。
多分、「横浪スカイライン」で太平洋を見ながら、「こんな未来なら見とうはなかった」と思っているかもしれませんね。
りぐ
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