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September 2010

桂浜。

言わずと知れた、幕末の志士・坂本龍馬の像がある所です。

実家からは自転車で約30分ほど、よく遠足などで行ったものです(現地集合、現地解散だったので、面倒で行かなかったりもしましたが)が、基本的には桂浜というのは「龍王崎」と呼ばれる小さな神社のある場所から、反対側の浦戸湾までの間を指します。

「龍王崎」から逆の長浜地区に行くと、「長浜」という名称に変わり、桂浜ではなくなります。反対の浦戸湾側は、浦戸地区と呼ばれます。ほんの一区画だけを「桂浜」と呼んでいるようですね。

桂浜の中心に建っているのが「龍馬」さんで、知られるようになってから地元の青年有志によって建てられたものだと伝わっています。

ちなみに、高知市内にある「龍馬生誕の地」にも、実家からは自転車で30分ほど。今は屋敷も何も影も形もありませんが、電話ボックスの上に龍馬さんが乗っているのが何だか不気味な感じですw

桂浜には「坂本龍馬記念館」があり、入った事はないのですが(高知を出てから新築された)、その前には水族館もあり、確か高校生までは無料だったような記憶があります。今はどうなのかは分かりませんが(何せ、実家に帰ったのは5年前、桂浜に行ったのは約7年ほど前です)

龍馬さんは海(太平洋)を眺めながら、また中岡慎太郎と対峙しながら、一体何を思っているのでしょう。

ちなみに、11月15日には龍馬ロード(いつ頃からかそう呼ばれるようになった、生誕地近くの商店街です)で「生誕祭」をやっているそうです。

「龍馬伝」で盛り上がっているので、行ってみるのもいいかもしれません。私は一度も行った事はないんですけどねw

いや、地元でそんな事やってても、あまり興味がなかったというか何というか。別に「ぱちもん」とかじゃないんですけどね……(高知で産まれて、23年住んでましたけど)

 

[ 2010年09月16日18時31分54秒 ]

横浪スカイライン。

高知県須崎に位置する、太平洋を望みながら走る事が出来る道沿いの事を、「横浪スカイライン」と呼びます。多分正式名称なので、高知県人なら誰もが知っていると思うのですが……。

さて、そんな道の休憩所に、ぽつりと立っているのが「土佐勤皇党」の首魁、武市半平太の銅像。

以前はもう少し大きかったんですが、15年ほど前に新しく造り替えられたようで、龍馬以下の大きさになってしまったような気がします。よく兄や年の離れた妹と一緒に横浪スカイラインに行っていて、

「おっきいひと」

という愛称を付けられていた「半平太」先生。なのに、急激にちっちゃくなった(らしい)ら、見向きもされなくなりましてw

半平太さんは「龍馬伝」にあるような人ではなく、本来は温和で柔らかな人だったようです。ただ、山内の殿様への反感がすごく、その右腕であった吉田東洋暗殺を示唆し、容堂公に幕府から離れるように責め寄ったのは事実のようです。

天皇を崇拝し、徳川を廃する動きが高まったのは、自身の生い立ちも関係しているとも言われています。

武市家は本来は「郷士」と言われる身分、侍として見てもらえなかった身分だったのだとも言われています。本来ならば容堂公に意見を述べられない身分であったにもかかわらず、土佐勤皇党を立ち上げ、坂本龍馬や中岡慎太郎を仲間として引き入れ、そして自身が育て上げ岡田尹蔵(こんな字?)を暗殺者として各地の邪魔者を葬り去った、ある意味冷酷者として知られています。

半平太さん自身はそこまでするつもりはなかったのかもしれません。

ただ、周りに流され、「土佐勤皇党」の首魁として血を見なけれ治まらない状態にあったのかもしれません。

結局は容堂公の怒りに触れ、切腹という結果に終わってしまったけれど、最後には自分が理想とする案を龍馬が出し事で、納得して逍遥と死出の旅に付いたのかもしれません。

その直向きさに打たれた人達よって、「武市半平太」像は造られたのだと思います。

半平太が思い描いた理想は、今の現代にあるのでしょうか……。

多分、「横浪スカイライン」で太平洋を見ながら、「こんな未来なら見とうはなかった」と思っているかもしれませんね。

 

[ 2010年09月06日10時43分15秒 ]

室戸岬。

中岡慎太郎像があるので知られている、高知市から日帰りで行ける岬ですw

反対の足摺岬には、1日かけて行かないといけないのですが、室戸は比較的バスもあるし、市内まで出てしまえば岬行のバスに事が出来るので、お手軽と言えばお手軽w

中岡慎太郎は、香美郡で生まれ育ち、聡明な少年として将来を期待されていたそうです。

が、武市半平太の「土佐勤皇党」に加わり、脱藩して龍馬とともに陸援隊(龍馬は海援隊)を作り、隊長として忙しく活動、龍馬とともに薩長同盟を成立させ、最期はやはり龍馬とともに暗殺されてしまいます。

「龍馬暗殺」は中岡慎太郎も噛んでいるのではないか、とも言われていて、自分が殺される予定ではなかったのに殺される結果になってしまったのではないか、とも言われています。

龍馬と慎太郎は日頃から対立(戦争と講和の仲違い)していて、武力で全てを制したいという慎太郎の思惑と、出来れば血を流さずに和平交渉をしたいという龍馬とで諍いが絶えなかった、とも言われています。この日も話がこじれてしまい、慎太郎がカッとなって龍馬を殺してしまったのではないか――、といった噂もあったようです。

見回り組が来たのは絶好のチャンスだったのかもしれません。

中岡慎太郎像は、桂浜の龍馬の像建立から、10年程後に建てられたそうです(ごめんなさい、うろ覚えです)

一説には、桂浜の龍馬像と、室戸岬の慎太郎像は向かい合っている――とされているとか。死んでまでも向かい合って論争をしているのでしょうか。

 

[ 2010年09月04日11時51分52秒 ]

いざ、京都へ。

……とか何とか言いながら、実家のある高知に帰った後によく寄っていましたw

京都はやっぱり駐車場もなく、停まれる場所も限られてくるので、観光目的で行くにはツアーなり何なりで行った方がいいのかと思うようになりましたw

本当は「坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地」に行ってみたかった訳ですが、そういう訳にも行かず、また霊山墓地(合ってます?)にも行きたかったんですが、大体は「広隆寺」で半日過ごすっていう風にのほほんとしておりましたw

いや、広隆寺の弥勒菩薩像に見惚れていた訳ですよ。写真とかデッサンが許されてたら、そりゃもう大喜びで(絵心がなくても)描いたりしますけどね。

そんな事で半日を潰し、結局は数多くある史跡を回らず、また観光せず、静岡に戻って来る、とw

「幕末史跡を巡る旅」なんてのがあれば、1も2もなく飛び付いてるんですけどねぇ(心と懐に余裕があれば、の話ですが)w 

でも、寺や神社も捨てがたいので、結局は迷って迷った末に止めてしまったりするのですw

25日が楽しみだわw(行けるかどうかすら分からないんですがね、振り込み用紙とか来てないし)

 

[ 2010年09月03日10時07分52秒 ]

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