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横浪スカイライン。

投稿者:りぐ 投稿時間:2010年09月06日10時43分15秒 | コメントなし | トラックバックなし

高知県須崎に位置する、太平洋を望みながら走る事が出来る道沿いの事を、「横浪スカイライン」と呼びます。多分正式名称なので、高知県人なら誰もが知っていると思うのですが……。

さて、そんな道の休憩所に、ぽつりと立っているのが「土佐勤皇党」の首魁、武市半平太の銅像。

以前はもう少し大きかったんですが、15年ほど前に新しく造り替えられたようで、龍馬以下の大きさになってしまったような気がします。よく兄や年の離れた妹と一緒に横浪スカイラインに行っていて、

「おっきいひと」

という愛称を付けられていた「半平太」先生。なのに、急激にちっちゃくなった(らしい)ら、見向きもされなくなりましてw

半平太さんは「龍馬伝」にあるような人ではなく、本来は温和で柔らかな人だったようです。ただ、山内の殿様への反感がすごく、その右腕であった吉田東洋暗殺を示唆し、容堂公に幕府から離れるように責め寄ったのは事実のようです。

天皇を崇拝し、徳川を廃する動きが高まったのは、自身の生い立ちも関係しているとも言われています。

武市家は本来は「郷士」と言われる身分、侍として見てもらえなかった身分だったのだとも言われています。本来ならば容堂公に意見を述べられない身分であったにもかかわらず、土佐勤皇党を立ち上げ、坂本龍馬や中岡慎太郎を仲間として引き入れ、そして自身が育て上げ岡田尹蔵(こんな字?)を暗殺者として各地の邪魔者を葬り去った、ある意味冷酷者として知られています。

半平太さん自身はそこまでするつもりはなかったのかもしれません。

ただ、周りに流され、「土佐勤皇党」の首魁として血を見なけれ治まらない状態にあったのかもしれません。

結局は容堂公の怒りに触れ、切腹という結果に終わってしまったけれど、最後には自分が理想とする案を龍馬が出し事で、納得して逍遥と死出の旅に付いたのかもしれません。

その直向きさに打たれた人達よって、「武市半平太」像は造られたのだと思います。

半平太が思い描いた理想は、今の現代にあるのでしょうか……。

多分、「横浪スカイライン」で太平洋を見ながら、「こんな未来なら見とうはなかった」と思っているかもしれませんね。

 

室戸岬。

投稿者:りぐ 投稿時間:2010年09月04日11時51分52秒 | コメントなし | トラックバックなし

中岡慎太郎像があるので知られている、高知市から日帰りで行ける岬ですw

反対の足摺岬には、1日かけて行かないといけないのですが、室戸は比較的バスもあるし、市内まで出てしまえば岬行のバスに事が出来るので、お手軽と言えばお手軽w

中岡慎太郎は、香美郡で生まれ育ち、聡明な少年として将来を期待されていたそうです。

が、武市半平太の「土佐勤皇党」に加わり、脱藩して龍馬とともに陸援隊(龍馬は海援隊)を作り、隊長として忙しく活動、龍馬とともに薩長同盟を成立させ、最期はやはり龍馬とともに暗殺されてしまいます。

「龍馬暗殺」は中岡慎太郎も噛んでいるのではないか、とも言われていて、自分が殺される予定ではなかったのに殺される結果になってしまったのではないか、とも言われています。

龍馬と慎太郎は日頃から対立(戦争と講和の仲違い)していて、武力で全てを制したいという慎太郎の思惑と、出来れば血を流さずに和平交渉をしたいという龍馬とで諍いが絶えなかった、とも言われています。この日も話がこじれてしまい、慎太郎がカッとなって龍馬を殺してしまったのではないか――、といった噂もあったようです。

見回り組が来たのは絶好のチャンスだったのかもしれません。

中岡慎太郎像は、桂浜の龍馬の像建立から、10年程後に建てられたそうです(ごめんなさい、うろ覚えです)

一説には、桂浜の龍馬像と、室戸岬の慎太郎像は向かい合っている――とされているとか。死んでまでも向かい合って論争をしているのでしょうか。

 

いざ、京都へ。

投稿者:りぐ 投稿時間:2010年09月03日10時07分52秒 | コメントなし | トラックバックなし

……とか何とか言いながら、実家のある高知に帰った後によく寄っていましたw

京都はやっぱり駐車場もなく、停まれる場所も限られてくるので、観光目的で行くにはツアーなり何なりで行った方がいいのかと思うようになりましたw

本当は「坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地」に行ってみたかった訳ですが、そういう訳にも行かず、また霊山墓地(合ってます?)にも行きたかったんですが、大体は「広隆寺」で半日過ごすっていう風にのほほんとしておりましたw

いや、広隆寺の弥勒菩薩像に見惚れていた訳ですよ。写真とかデッサンが許されてたら、そりゃもう大喜びで(絵心がなくても)描いたりしますけどね。

そんな事で半日を潰し、結局は数多くある史跡を回らず、また観光せず、静岡に戻って来る、とw

「幕末史跡を巡る旅」なんてのがあれば、1も2もなく飛び付いてるんですけどねぇ(心と懐に余裕があれば、の話ですが)w 

でも、寺や神社も捨てがたいので、結局は迷って迷った末に止めてしまったりするのですw

25日が楽しみだわw(行けるかどうかすら分からないんですがね、振り込み用紙とか来てないし)

 

犬山城。

投稿者:りぐ 投稿時間:2010年08月31日10時53分53秒 | コメントなし

IMG_1701.JPG現在でも成瀬氏が持っているという、個人所有の城としても知られていますね。珍しいお城なんだとか(個人所有の方が、ですけどね)

行ったのは約3年前の春。

おチビちゃん達が産まれる前はよく行ってたんですけど、下の子が車が苦手で遠出は不可能だった事もあり、下の子が産まれて1年半くらいして遠出したのが「犬山城」w

下の子も3歳になり、随分車も慣れてきて(山道では寝てしまいますが)、遠出が出来るようになってきた現在、城とは全く関係ない場所に行ってみたり(5歳児未満のくせに「温泉」が好きです)

桜が綺麗な季節に行ったので、絵葉書になりそうな城模様でしたw

というか、「城」はあくまでも私の趣味であり、相方や子供達の趣味の範疇ではないのですが(強引に思い付きで行きたがるので)、それでも普通に受け入れてくれる所がいいのかもw

ただし、チビ達は「ドライブ」というものの延長上で「城」や「寺」はたまた「神社」に行っていると思われますw

来月末はツアーで京都・奈良へ行く予定(きっと誕生日プレゼントだって言うんだろうな。9月は私の誕生月なので)

きっとこうやって「歴史」に感化されて行くんだろうな……(いい例が身近にいるため)

 

銅像。

投稿者:りぐ 投稿時間:2010年08月26日12時01分21秒 | コメントなし | トラックバックなし

資料館1.JPGえーと、飯盛山の「白虎隊資料館」の横にあった銅像w

何だか結構惹かれるものがありまして、以前行った時にもちゃこちゃこ撮っていたような気がしますw

いや、深い意味はないんですけど(ないんかい!)、「その時歴史が動いた」っていう漫画本(売ってしまったのでないのですが)で見た記憶がw

他にも「水戸藩諸生党鎮魂碑」ってのも撮ったんですが、土佐藩家老(だったであろ先祖)の身分を考えるとやり切れないというか(殺戮したのは土佐藩士だけじゃないんですけどね)

ってな訳で、犬の恰好が何故か笑いを誘ってしまう(不謹慎だw)と思ったのは私だけではないはずw

また行きたいけど(今度は「白虎隊士の像」も見たひ……)、行くにしても距離が距離なので、当分は無理なのかな、と思う今日この頃。

ここだけじゃなくて、お寺とかも廻ってみたいんですけどね(何故かチビ達が「会津若松観光案内マップ」を気に入ったらしいのです)、時間があったらなぁ……w

 

石仏。

投稿者:りぐ 投稿時間:2010年08月25日13時23分33秒 | コメントなし

前回に引き続き。

お地蔵様(6地蔵とか水子地蔵とか、地蔵菩薩とか(あ、これはお地蔵様か))が好きですw

昔、「土佐の野辺のお地蔵様」というハードカバーの写真集がありまして(父所蔵の本でしたが)、遠くに行けない私はしみじみとその本を読んで浸っておりましたw

そんなものがある事自体変な家だと思ってしかるべきですが、その当時は普通でしたねぇw

「交通安全」と書かれたお地蔵さんはダメなんですが(憑いて来られるため)、お寺のお地蔵さまとかはまぁ許容範囲で(よく考えたら、こっちも憑いてくるには充分)、墓場でない限りは何となくw

庚申塚とかそういった類のものはいい感じになっていたりするので、写真を撮るには充分なんですけども、相方が許してくれないというか何と言うか(情緒は持ち合わせているはずなんですけど)

静岡はそんなのが少ないので、失敗したかなぁとか思いつつw

不満はないんですけどねぇ、駿府城とか掛川城とか浜松城とか(行ったけどつまらなかった)あるし、何故か「等身大ガンダム」とかあるしw

でも、出来れば歩いて行ける範囲にそんなものがあってほしかった(゜ーÅ)

いつか城とか石仏とか、廻る旅を全国制覇出来たらいいな、と思う私なのでしたw

*想いが残っているお墓とか、突然死を迎えた人の墓とか、交通事故とかで死んだ人とか、自殺してしまったりした人のお墓は、やっぱり何かがいるし憑いて来られます。何だかそういう体質なんだそうで……(ーー;)

なのに、お寺巡りは外せないんですよねぇ……。いつか四国霊場制覇したい(納経帳買ってるんですよ)w

 

観音様。

投稿者:りぐ 投稿時間:2010年08月21日09時07分54秒 | コメントなし

IMG_1744.JPGのサムネール画像成田に行った時に寄った、芝山仁王尊の境内にあった「観音様」

石仏が並んでいるのが何故か珍しく感じて、思わず写真を撮ってしまいましたw

多分、氏子さん方からの奉納品だと思うのですが、これだけ並んでると壮観かなぁ、と思うのは私だけでしょうかw

観音様としか書いていなかったけど、多分「千手観音」だと思います(違ったらごめんなさい)

お地蔵様とか好きだったり(交通事故現場のお地蔵さんはダメだけど)、こういう石仏とか好きだったりするのは稀なんでしょうかねぇ。

父は「あんたの好きな○○」とか言うんですけど、大体において父や祖父の影響を受けています(寺社、城もそのうちの1つ)

四国には「88箇所霊場」なんてものがありますし、父は一度全て制覇して、祖父の葬儀の時に一冊入れて送ったほどの寺社好きw  私も一緒によく行っていたので、仏像の優雅さというか落ち着きというか――に惚れた訳ですよw

日本史が好きなのは、実家に「マンガ日本の歴史」があったからなんですけどねw

身軽なら、全国の寺や神社とか、はたまた歴史的に価値のある場所とか行ってるんですけどねぇ(相方は仕事なので、放っておいてw)

ところで、この観音様、正確には何て言うんでしょう……w

 

高知城。

投稿者:りぐ 投稿時間:2010年08月17日09時30分24秒 | コメントなし | トラックバックなし

江戸時代から建っている12城のうちの1つ、追手門など歴史的に価値があると言われる門も残っている、山内一豊が建てた「掛川城」の弟分ですw

私は学区内から出るのがすごく怖くて(迷うので)、実際に高知城に行ったのは17歳を過ぎてからでした。

高知城は高校生以下無料で入れ、高知の幕末の志士や城主の説明が書かれてあるパネルの前でしげしげと眺めるのも乙なものでした。

今は坂本龍馬記念館とかに展示されてしまったのですが、その当時は「龍馬が暗殺された時にそこにあった掛け軸」など展示されていて、本当に血のしぶきが付いているのを見てちょっと恐かったりしたものです。

じっくり見ているのも良かったのですが(平日はそんなに見学する人はいなかった)、天守閣に行って城下を眺めるのも好きでしたw

っていうか、夏の暑い時には涼しくて丁度良かったんですけどねw

「千代の像」や「板垣退助の像」などは見た事があるんですが、「山内一豊」の像は見た事がなく(高知県人じゃない、みたいなねw)

今年は龍馬博で観光客が結構いると思うのですが、私も帰りたいなぁと思ったりしていますw

当分は帰れないんだろうけど(ーー;)

この高知城で、相方にプロポーズされたんですよねぇw 縁側の木を眺めながら(見学者はそんなに多くなかった)

懐かしいですw

その城の前にある「高知銀行」の前の看板に「幕末偉人(高知)」の説明と案内が書かれてあります。興味のある方は「城」と併せて読んでみるのもいいですよw 知らない偉人の名前も発見できるかもしれませんw

 

二条城。

投稿者:りぐ 投稿時間:2010年08月12日18時39分52秒 | コメントなし | トラックバックなし

徳川家康が建てたと言われる、一応天皇(帝)が住んでいた「御所」

ここで「大政奉還」が行われたと記憶しております。違ったかな?

二条城、一度は行ってみたかったので、気乗りしない相方を説得して(やっぱり)強引に連れて行きました(いや、連れて行ってもらったのか)

「鳴き龍」が圧巻で、本当に木切れではなくて何かが泣いている感じ。鳴いてるというよりは、吠えているという感じでした。その時はやや湿っていたので、響きがいいとか、陰に籠った声だとか言われてましたけど、正しいのかは分かりません。ただ感動していたのでw

ウグイス張りも経験しましたw

歩く度変な音がするのはあまり気分のいいものじゃないですね(;一_一)

ついでに「御所」にも寄って行こうかと言われたんですが、その辺は時間がなかったので遠慮しましたw

大政奉還の後、天皇が住んでいた場所だと聞いたんですけども、もう時間一杯だったので。

京都はいいですねぇ。お寺とか神社とか一杯あって(寺や神社、仏像好きheart04

歴史的建造物を見るのは、心が和みますね~lovely

 

安土城。

投稿者:りぐ 投稿時間:2010年08月10日08時34分05秒 | コメントなし | トラックバックなし

言うまでもなく、織田信長の居城。豪華絢爛で建設されて3年で燃えてしまった、幻の城ですねw

城を燃やしてしまったのは、息子の信雄、または明智光秀の女婿、光満とも言われています。城下に放った火が燃え広がって城も焼いてしまった、とも言われていますが、真相は闇の中だとか。

ただ、城跡には「黄金」が隠されていると噂になり、浪人達が探し始めた所、信長らしい武将の霊とその配下の兵にやられてしまった、という伝説も残されているそうです。宝は発見できなかった、とも言われているそうです。

相方と付き合いだした頃に(やっぱり駄々をこねて)行き始めて、古い階段を上って行きました。

途中で猫と一緒になって登ったりもしましたが、最後の本丸跡で大きく張った根に引っ掛かって転んだ記憶がありますw

っていうか、その当時は白いジーパンで行ったので、膝小僧が汚れましてw

結構大変だったのを覚えています。

で、その安土城跡からかなり行った場所に「信長の館」ってのがありまして(資料館ですね)

そこに結構通いましたねぇw

いや、近所じゃないんですが。

一昨年の12月、父が旅行で行くと言っていたので、そこで待ち合わせて(っていっても4時間くらい掛かるんですけど)、ついでに館に入れたらいいなと思ったら、28日からお休みとかで入れず。悔しい思いをしましたw

また行きたいんですけども、何しろそこまで行くのに時間もガソリンも掛かるので、まだ先になるでしょう。

その周辺にも行ってみたいんですけどねぇ……、また近場に行く事になったら調べてみようっとw

 

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