しばらくは東京で大人しく......のはずだったんですけどね(笑)。
今度こそちゃんとした写真です。携帯からやるとどうもサイズの調整がわからず......大きいんですよね、今の携帯って(先月変えたばかり)。桜がうまく写りませんでしたが......、綺麗です。やっぱり

お天気に恵まれました
黒塗りのお城は、桜が映えますね。昔のですから今はあまりないけれど、大好きな鶴ヶ城も、昔は七層黒塗り。CGで見た時には本当に綺麗で感動しました。私は城に詳しくないのですが、現存する中では岡山城が一番美しいと黒塗り城ファンは云います。ちなみに一番は豊臣の大坂城、らしい。その方は燃やしたことを猛烈にお怒りになられながら、なぜか葵の紋を携帯につけている不思議さんです。歴史ファンではないから、別に良いんだけど、良いんだけどね......!
景色がとにかく綺麗ですよね、松本城って。桜が満開だったら、また良かったのでしょうが......。
私もあまり知らない松本藩。東北征伐をしているので、心持距離を置いて見てしまいます。もちろん、それではいけないとはわかっていますが、戊辰戦争は必要がなかったと考えているので。国が分裂した争点である攘夷、開国の問題をひとまずの開国に決め、ようやく国が一つになったと云うのに、わざわざ分裂を招いたのが戊辰戦争。その残り火が西南戦争などに繋がって行ったのではと今は結論させています。「革命には何所の国であろうと戦争が必要だ」と以前、大学の教授に云われましたが、そういう問題ではないだろうっと切れました
だからこそなんで龍馬は殺されてしまったのだろうと、残念に思うのです。戦なしでも済んだことは、西郷と勝が奇跡の江戸城開城で証明しているようなものですから。
まぁそれは置いて、本題は松本藩! 幕末の松本藩藩主は戸田光則、当初は幕府方だったため、浦賀への出兵、水戸浪士の迎撃、また二度の長州征討にも加わっています。
私が松本藩で思い出すものと云えば、第二次東禅寺事件ぐらいでした(文久二年)。当時東禅寺にあったイギリス公使館を水戸脱藩の浪士が襲撃し、公使オールコック殺害を図ったのが第一次東禅寺事件(文久元年)と呼ばれるもの、オールコックは無事でしたが、どちらにも死傷者を出します。オールコックの抗議により、幕府は岸和田藩、大垣藩、そして松本藩を警固に当たらせますが、皮肉なことに、その警固に当たっていた松本藩士伊藤軍兵衛が、第二次東禅寺事件の首謀者となります。
まぁ異国の方も、幕府が危ないよって再三云っているのに「浪士」なるものを甘く見てましたから、オールコックも第一次東禅寺事件で勉強になったのではと思います。特に生麦事件はその象徴って、話を戻せ、伊藤だ、伊藤、話は逸れ過ぎちゃあいけません(苦笑)。
2004年の大河ドラマ「新選組!」を見ていた人なら、覚えている方も居るのではないでしょうか。っていうか、私はそれで知ったんです、伊藤軍兵衛(配役は光石研さん)。どういう人なのかなぁと調べてみると......、なぜ出したの? しかも石田散薬って......
と、大河への疑問ばかりが増えちゃいました、逆に(笑)。あの大河にはとりあえず驚きどころかいっぱいです。
伊藤の遺書......になるのかわかりませんが、書き残しによれば、その内容は完全なる攘夷論者ですね。警固のお務めを非常に嫌がっており、それはお殿様への不忠になるが、異人を守ればご先祖様へも不忠になると云っています。五月末、そう云えばそろそろ、第一次東禅寺事件から一年だ、も、もしかしたら、また水戸浪士が襲撃に来るのでは! ってな噂が世間では流れます。そんな厳重警備の中、23歳の伊藤は単身で公使館に斬り込み、水兵二人を殺害。自分も手傷を負い、自刃しています。
格好良い......って違う(笑)。それだけだと単なる過激浪士になっちゃうよ。えーと、いろいろ彼なりに考えて斬り込んでいますから、実際に伊藤の書き残しを読んでみるとおもしろいです。でも何せ調べたのが六年前! 今見直したらネットですらそんなに書かれていませんね......、本もない。引用できないので、もし興味を持たれたら検索してみてください、少しは出ます。私もうろ覚えだったのでいろいろなサイト見て参考にさせて戴きました。どうやら『松本市史』に載っているようですが未確認ですし、そう簡単には見られないでしょうから。しかし載っていると聞いたら、欲しくなってしまいました『松本市史』(笑)。当時の人の生声って、読むと勉強になりますねー。多いに読み取り間違いもありますが、それを確認していくのがまたおもしろい! って、地味過ぎるか、この趣味(苦笑)。
やっていることは過激でもその人物の想いを感じ取ると、こんなにも一所懸命に国のことを考えるなんてと、なんとも云えない気持ちになります。私は長州の人々の真っ直ぐなところに惹かれます、だから吉田松陰も久坂玄瑞も好きです。松陰も玄瑞もだいぶ走り続け、途中突っ走ることもありましたが、裏で策謀したり攘夷だと叫んで異人を斬り殺す浪士より、ずっと懸命だったように思えるので
今の日本では難しいでしょうね、命を賭し過ぎた結果なのかもしれません。
さて、伊藤の件で、イギリスはまたしても幕府に抗議。なんだか知らないけど、他の国まで口をそろえてわーわー怒ります。すべての責めを喰らう幕府はいっぱいいっぱいです。結果、松本藩は警固から外され、藩主差し控え。幕府方としての動きは長州征伐まで止まります。慶応四年、鳥羽伏見の戦いが起こり、西軍が江戸城向けて攻めて来ると、何所の藩とも同じく、藩論は佐幕と勤皇で分裂。最後には藩主戸田が勤皇転換を決め、西軍の要請通り、東北征伐へと繰り出すわけです。まぁ戊辰戦争の時は何所の藩もその先に起こる廃藩置県など予想もしてないですから、存続することを念頭に置きますよね。仕方のないことと云えば仕方のないことなんですが、勝のように必死になってくれる人は居ないのでしょうかとも思ってしまう。
なんてずらずらと書きましたが、伊藤以外は買って来た史料を見ながらの復習でした。あっちこっちの藩を見ないといけないんでしょうが、そう簡単に深く手を回せないので、そこらへんはゆっくり見て行きたいと思っています。好きなことを調べているだけで、急ぐ必要はないですからね。本当のことを調べていけたらそれで良いなぁと。
しかし城内の写真を撮れるのは良いですね、撮れないお城ばっかり行っていたので嬉しくて無駄にたくさん撮りました
流石、立て直したお城とは断然違います。やはり残した人々の話は松本城の根幹をなしているようで、しっかり書いてありました。そういった運動のおかげで現存しているわけだから、ありがたいですよね。──通常の階段すら苦手な私には、あまりに惨い角度の階段たちが敵でしたが(笑)。
実は何所へ行くとも決めず、桜を見るため適当に出掛けたので、松本城はほんのおまけで本題は桜。もう散り初めてはいましたが、まだ咲いてました。桜と城。良いですねぇ。
さらなるおまけ。
道中で、富士山がとても綺麗に見えました
余談ですが、ついでに勝沼へ行ったことがないので、インターできょろきょろ。まったく地理がわからないので、何所らへんかなぁと中途半端に想いを馳せました。ちゃんと行きたいのですけれどね、甲州。そこまで遠くはないので、また勝沼狙いで行きたいです。斎藤先生の足跡を調べて地図に起こしている最中なのですが、何せふらっと消えてしまう人なので難しい(笑)。できたらちゃんと歩いてみたいんですけれど、いつになるやら遠いです......。
そう、日帰りで行って来たので、当然龍馬伝は間に合わず。後日ゆっくり見ることにします。
神崎
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