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桂太郎墓所

投稿者:橘さくら 投稿時間:2011年10月21日12時22分38秒 | コメントなし | トラックバックなし

《住所》
東京都 世田谷区
若林4-35-1

《アクセス》
東急世田谷線 松陰神社前駅下車
商店街を北側に向かって歩き、まずは松陰神社を目指します。
松陰神社前の横断歩道を神社に向かって渡ったら、歩道に沿って左に歩くとすぐに着きます。
松陰神社と公園の間です。
写真は入り口。

《桂太郎墓所について》


今月、十月十日は桂太郎の命日。
総理大臣をしたり、拓殖大学の祖だったり。
日露戦争のときの総理、その後の組閣時に外務大臣の小村寿太郎が関税自主権の回復をしたことが有名ですねo(^-^)o
大正2(1913)年に亡くなりました。
遺言により、松陰先生の霊域の隣に葬られたそうです。

はっきり言って、知らないと見つけにくい!!
少し前に亡くなってる野村靖さんは松陰先生と同じ敷地内に夫婦揃ってお墓あるのにな〜。
門下生じゃなかった分、遠慮気味だったのでしょうか?
ぽつんとあるのが少し寂しい気がするんですよ(T_T)


明日と明後日は世田谷・幕末維新まつりがありますね♪
松陰神社にお越しの際は、ぜひ桂太郎墓所にも足を運んでみてください。

幕末維新まつり、日曜日に橘も遊びに行く予定です!
行く方はせいいっぱい楽しみましょう〜o(^-^)o


山縣有朋記念館

投稿者:橘さくら 投稿時間:2011年06月08日01時04分34秒 | コメントなし | トラックバックなし


《住所》
栃木県 矢板市 上伊佐野1022

《アクセス》
矢板ICを下りて左側の矢板市内を通り抜け、上伊佐野案内板から3km
※ICからは20km


JR矢板駅下車、タクシー15分
バス停があるので、バスの便もあるかと思いますが詳細は不明です。

《山縣有朋記念館について》
入館料
大人700円(コーヒーつき)
小学生350円

10時〜16時
毎週月曜休館(月曜が祝日の場合は翌日休み)
1月、2月は土日祭日のみ開館

明治42年に伊東忠太さんの設計により、神奈川県小田原の別邸古稀庵に建てられた木造洋館です。
その後、関東大震災で倒壊したものを嫡男伊三郎さんが翌年この地に修築したもの。

元々、矢板市上伊佐野は明治19年、農場ブーム時に山縣さんが作った農場。
那須野ヶ原はけっこう明治時代人が農場を持ってまして、松下村塾関係だと品川弥二郎や山田顕義も農場を構えていました。
別邸が残っている人としては青木周蔵、松方正義、大山巌、乃木希典...など。
青木さんちは道の駅「明治の森・黒磯」になっていて立ち寄りやすいです♪
松方さんちは入ることはできないのですが、有名な千本松牧場だったりします。
これらも少しずつ紹介できたらなぁ〜と思いつつ。
栃木県にお越しの際は、ぜひ県北へ♪

山縣さん宅の記念館(写真)は中に幕末〜明治期の品も展示してあります。
奇兵隊時代のものもあります(名前の書いてあるお弁当箱とか。笑)
中でも、北越戦争で亡くなった親友・時山直八さんの遺品があるのは感慨深い!
高杉さんの遺品もあります。
記念館の2階の客間は当時のままなので、雰囲気を感じることができます。
小田原にあったときには窓から相模湾が一望できたそうです♪
ドアのところのデザインが山縣さんのイニシャル「Y・A」になっています。
可愛い人ですよねo(^-^)o


さて本日(7日)は橘の誕生日。
そんなわけで山縣さんちお邪魔してきました!
かれこれ4回目...。
2年前の誕生日は古稀庵に連れて行ってもらったなぁ(*^_^*)
他にも椿山荘、無鄰菴(1〜3。笑)、大磯...と山縣さんの別邸マニアと化してます(゜∀゜;ノ)ノ
わりと有名な所多い気がしませんか?山縣さんちだと知っている人が少ないだけで...(^_^;)
いつも連れて行ってくれる友人に感謝ですo(^-^)o

写真には写っていませんが記念館と繋がっている建物がありまして、そちらには御子孫の睦子さんが住んでいらっしゃいます。
3月の震災でそちらの建物は影響がひどかったようで2階の展示コーナーは見られませんでした。
そこには明治期の展示が。
けっこう破損してしまったものが多いようで残念です(ToT)
記念館(古稀庵)自体は損傷はあるものの、大きな被害はなかったそうです。
もしかしたら硝子とかも割れて大変なことになっているんじゃないかと心配しながら行っただけに安心しましたV(^-^)V
使っているのがケヤキに山桜ということなので丈夫らしいです。
...絶対に最近の建物よりしっかりしてる!
思わぬところで明治時代のすごさを知りました(笑)

2階で明治時代に思いを馳せるのが大好きで、ついつい長居をしてしまいます♪
橘にとっては最っ高のパワースポットo(^-^)o
癒やされました。

誕生日という節目を迎え、また一年歴史にどっぷり浸りつつがんばって行きたいと思います♪

松菊祭〜2011〜

投稿者:橘さくら 投稿時間:2011年06月04日16時19分58秒 | コメントなし | トラックバックなし


またまた久しぶりになってしまいました(^_^;)


ふと幕末ポータルさんのトップを見てたらアクセスランキングの下〜の方に、橘のブログがっ(°□°;)
しかも『松菊祭』って昨年のだーっ(゜∀゜;ノ)ノ


松菊祭のことを事前に知りたいな♪
今年はどうだったのかな?
と思ってアクセスしてくださった方申し訳ありませんでしたm(_ _)m


なので、心新たに『松菊祭〜2011〜』のブログを書かせていただきます。


桂小五郎こと木戸孝允が明治10(1877)年5月26日に亡くなってから134年。
京都の霊山にある墓所で3回目となる松菊祭が営まれました。
なぜ『祭』かと言いますと、霊山の墓所は霊山護国神社にあるので神道の形式で法要が営まれるためです。
なので、お経ではなく祝詞、お線香を手向けるのではなく榊を捧げます。
写真の手前に置かれている枝葉が榊。
その向こうには皆さんが捧げた花束も。
毎年聞いていて面白いなぁと思うのが祝詞です。
木戸さんの功績を讃えてのものですけど「長門国萩呉服町江戸屋横丁に生まれ〜」とか、かなり詳しい内容。
龍馬さん達の名前も出てきます。
明治に入ってからは短いですけど…(切ない)

橘は毎年、桂さん好きの友人と3人で参加しています。
今年は前夜に下野国を出て京都まで飛ばしました!(ごめんなさい。橘は運転してません。汗)
それと毎年、ここで逢う方含めて4人。
3回皆勤賞なのは私たち4人だけになってしまいました(Ω△Ω)
昨年から参加されている方、今年新たに参加された方。
毎年、様々な人を惹きつけるのも木戸さんの魅力だと思います。
女の子を魅了しちゃうあたりは特に!(笑)
毎年、この場をもうけてくださる方々に感謝です。

これも昨年から恒例なのですが、松菊祭終了後に参加者で長州藩士達の墓碑にお水をあげるんです。
名も知らない人達…。
墓碑の横の没年を見て禁門の変で亡くなった方達の墓碑だと気がつきました。
禁門の変で亡くなってると遺体が…という話ではなさそうですよね。
なので、彼らにとっての墓所は本当に霊山なのだと思います。
普段はスルーしてしまいがちですが、この日はしっかりと手を合わせてきました。
ささやかながら、毎年続いていってほしいなぁ…と思うのです。

きっと来年も行きます!

『松菊祭』
来年(2012年)も木戸さんの命日の午後2時に木戸さんの墓前にて。

墓域に入る改札のところの貼り紙に大きく
『桂小五郎は
後の木戸孝允です』
って書いてあって、なんともしょっぱい気持ちになりました(笑)


お久しぶりです!

投稿者:橘さくら 投稿時間:2011年04月28日17時52分29秒 | コメントなし | トラックバックなし

最後に日記書いたのが昨年の10月っ!?(°□°;)
こんなに放置していたのに日記を残してくださった幕末ポータル様に感謝です!
 
 
 
…一番大きな出来事といえば3月の大地震でしょうか。
亡くなった方々に心から哀悼の意を捧げます。
そして一日も早い復興を心から祈ります。
 
 
 
下野住まいの橘は震度6強を体験しました。
幸い怪我もなく、県内でもライフラインが無事なところに住んでいたのですが、未だに余震が怖かったりします。
 
 
その影響もあって3月の山南忌は参加できませんでした。
後日、お墓参りに行ったところ、光縁寺の住職さんに例年に比べて人が少なかった…というお話も聞きました。
3月に京都、4月に山口と旅ができて私は恵まれているなと思います。
外から見ることで学んだこともあったり、人との縁に感謝した月でした。
 
 
 
 
そして今までさんざん周囲から歴女扱いされながらも、流してしまっていた戦国時代に大ハマリしました!(笑)
年末くらいにじわじわときて、気がついたら落ちてました。
浅井長政に(*^o^*)
興味から戦国BA●ARAもプレイしてみたり。
大河が浅井三姉妹なので嬉しいです♪
第1話はごちそうさまでしたv
小谷も行って来ましたよ♪
 
 
そんなこんなで今年も歴史にどっぷりで気ままなブログになりそうです。
ゆったりとお付き合いくださいo(^-^)o

伊藤博文墓所

投稿者:橘さくら 投稿時間:2010年10月31日01時19分53秒 | コメントなし | トラックバックなし


《住所》
東京都 品川区
西大井 6丁目10-18

《アクセス》
JR横須賀線 西大井駅で下車
駅を出たら右手の方向へと進みます。
線路に沿って歩いて一つ目の踏切を渡ってすぐ。
右手側にある森が伊藤家墓所です。

《伊藤博文墓所について》
明治42(1909)年10月26日に哈爾浜で亡くなった伊藤博文。
遺体は11月1日に横須賀へとたどり着きました。
6日に日比谷公園で国葬の後、この場所へ。
お墓は神式で梅子夫人のものも敷地内にあります。

敷地内に入れる日が限られています。
まずは命日。
法要が営まれ、御子孫や生まれ故郷の光市の市長さんもお見えになっています。
一般人も入ることができますが、控えめな色合いの服装で出かけた方がいいです。
それから、11月の第2週目の土日も公開になっているようです。
行く際には品川区のHPで確認してから出かけてください。

橘は毎年、命日の日に参列させていただいています。
今年で3回目でした。
毎年、雨が降ったり振り出しそうだったり...。
博文さんを悼む涙かな?と思ってみたり。
敷地内は木々に囲まれて静かです。
大きな石灯籠もあるのですが、それよりも木々の印象の方が強いかな?
政治の礎を作った人なのだからもっと活気があってもいいかと思いますが、あの雰囲気こそが博文さんなのかな...と思います。
石灯籠は立憲政友会。個人での奉納のもの。当時の内閣の大臣達からのもの。哈爾浜行の随行員達からのもの。葬儀委員会からのもの...など。
上記に属さない方々の灯籠の中に山縣有朋さんや松方正義さん、杉孫七郎さん、青木周蔵さん、大鳥圭介さん、伊東巳代治さん、末松謙澄さん達を発見してささやかに喜んでました。
博文さんに縁の深い名前がある中、どうしても見つからなかった名前があります。
『井上馨』
博文さんを語る上で一番欠かせない人だと思うのですが...。
名前がないことが逆に2人の友情を物語っているような気がします。
それを妄想してしまうあたり、だめな人間です(笑)


松陰神社

投稿者:橘さくら 投稿時間:2010年09月07日01時11分59秒 | コメントなし | トラックバックなし


《住所》
東京都 世田谷区
若林4-3-51

《アクセス》
東急世田谷線 松陰神社前駅下車
商店街を北側に向かって歩いていくと着きます。


橘は基本的にバスを利用します。
渋谷駅で成城学園行に乗って20分くらい。
バス停も『松陰神社前』ですが、少々距離があります。
バスを降りたら少し手前のセブンのある横断歩道を渡ります。
あとは商店街を北へ向かって一直線。
途中、東急世田谷線の駅ともぶつかります。

《松陰神社について》
安政の大獄(1859年)で亡くなった松陰先生は小塚原の回向院に埋葬されていました。
その後、文久3(1863)年に高杉晋作・伊藤博文・山尾庸三・赤根武人・白井小助達の手によって毛利家の所領であるこの地に改葬されたのです。
そして時が流れ、明治15(1882)年に松陰先生の御霊を祀り神社になりました。

松陰神社は毎年、初詣(と言っても10日過ぎくらい)に行っています。
年始は受験を控えた学生さん達が多いのですが、夏休みの終わりの土曜日は人も少なくてゆっくりできました。
境内には松陰先生の没後50年のときに建てられた石燈籠が並んでいます。
長州出身者の絆が感じられますv
松門じゃない人や松陰先生を知らない世代の人達の燈籠も…。
松陰先生はとても尊敬されていたんですね。
こういうことを想像(妄想。笑)すると、ほっこりしますo(^-^)o


今週末に資格試験があるので、しっかり願掛けしてきました!
がんばるぞ〜!!

龍馬伝

投稿者:橘さくら 投稿時間:2010年08月22日15時56分17秒 | コメントなし | トラックバックなし

 

第3部おもしろいですね~happy01

毎週欠かさずリアルタイム&ワンセグ録画していますshine

見ていて聞きもらしたりしたことをワンセグで見直しているのですが、台詞が字幕に出るので重宝していますcatface

少しずつ感想も書けたらなぁ~と思います。

 

 

なんといっても、長州ですねっheart02

注目株は井上聞多&伊藤俊輔。

先週は密航留学帰りなことを存分にアピールできたのではないかと思いますheart04

英語をさらりと使った聞多にときめきましたheart02

長州メインではないので留学に至る経緯とか、帰国のこととか、山尾さん達3人がイギリスに残ってることとか(ここ重要。笑)が省かれてしまったのが残念ですが…weep

伊勢谷さん演じる高杉さんに毎回見とれてますlovely

立ち姿とか、雰囲気とか…身にまとう空気がとても高杉さんらしいと思いませんか?

谷原さんも刀抜くシーンがかっこよかったsign03

…まさか、桂さんが抜くとは思いませんでした(笑)

 

9月末から第4部に突入らしいですねhappy01

最初は四境戦争だ~happy02

高杉さんの活躍楽しみにしていますup

…次回は、まともな感想書きますwobbly

三縁寺

投稿者:橘さくら 投稿時間:2010年08月05日13時12分06秒 | コメントなし | トラックバックなし

三縁寺


《住所》
京都市 左京区
岩倉 花園606

《アクセス》
叡山電鉄鞍馬線
鞍馬行に乗って八幡前で下車


駅から三宅八幡に向かって歩いて行くと、遠くにお寺が見えます。
車で行くなら駐車場も有。
京都バスも近くを走っていた気がします。
(バス停名があやふやですが"三宅八幡"だったような?)


池田屋の殉難者のお墓があります。
元々は、今の三条京阪の南側にあったようですが昭和54年に移転したそうです。
もちろん遺骨も改葬。
写真の石碑は門の横にひっそりと。


ここは2回訪れていますが、お寺の方と遭遇したことがありません。
呼び鈴を鳴らしても反応なし。
なので、門の左側にある木戸から静かに入りましょう。
ずっと右手に回っていくと墓地があります。
墓地の一番高いところに鳥居が立っていて、そこが池田屋殉難者達のお墓になります。


宮部さんと松田さんのお墓が一番最初に目に留まります。
改葬したときに、お墓そのものも新しくしたんですね。
後ろ側に移転以前のものと思われる墓石もあり、歴史を感じられました。


長州好きの橘なので栄太さんにしっかりと手を合わせてきました。
それから、とても気になっていた人、杉山松介さんにも...。


池田屋殉難者の方々も禁門の変で亡くなった人達同様、霊山でも弔われています。
高杉さんや久坂さんの墓碑の右側に栄太さん、杉山さんの墓碑もあります。
霊山に行くと、ついつい長居をしてしまう場所です。


上善寺

投稿者:橘さくら 投稿時間:2010年07月19日11時30分40秒 | コメントなし | トラックバックなし

上善寺

《住所》
京都市 北区 鞍馬口通
寺町東入 上善寺門前町338

《アクセス》
京都地下鉄烏丸線
国際会館行で鞍馬口駅で降車
東へ向かって徒歩600m

京都市内には他にも「上善寺」という名前のお寺があるのでナビなどで探す際は注意してください。
駐車場もあるので車でも行けます。


今日は禁門の変。
龍馬伝でも紹介されてた上善寺です。
禁門の変で亡くなった長州藩士の首塚。
松下村塾で四天王と言われた入江九一さんは、ここに眠っています。
敵方であった越前藩士がここに弔ってくれたそうです。
石碑は門前にたっています。
首塚は墓地の中にあるので、お寺の方にひと声かけてからお参りしましょう。

越前藩士の方々は亡くなった人への敬意をはらってくれたんですね。
きちんと弔っていただけてよかったです。
今、こうして手を合わせられることも感謝。

祇園祭

投稿者:橘さくら 投稿時間:2010年07月17日16時54分46秒 | コメントなし | トラックバックなし

お久しぶりのブログです♪

携帯からでも投稿できればなぁと思いつつ、サボり気味な日々が続いていますcoldsweats01

 

さてさて、今日は祇園祭の山鉾巡行ですね。

ここ3年ほど祇園祭に来るのがお約束となっています。

京都は年に5~6回訪れますが、この時期は特別な感じがしますね~confident

町の雰囲気とか、祇園囃子とか…大好きです。

祇園祭といえば思い出すのが池田屋事件。

宵山の晩だった…と言われていますが、池田屋事件によってどんな影響が出たのか気になるところです。

何事もなく例年通りに行われたのか、何らかの影響があったのか…。

元治元年の祇園祭について調べたいなぁ…と思っています。

いい史料が見つかるとよいのですが…bearing

何かオススメがありましたら教えてください。

 

今回は祇園祭の前に兵庫県の城崎温泉に行って来ました。

志賀直哉!ではなく(笑)、桂小五郎巡りですhappy01

禁門の変後、桂小五郎は京都を離れて出石に潜伏します。

何箇所か潜伏先を変えるうちに城崎温泉にも滞在していたようです。

出石も城崎温泉も、現在は豊岡市という一つの市ですが移動が大変でした。

史跡については、改めてレポートを書きたいと思います。

 

この時期になると禁門の変も思い出します。

久坂さん、入江さん…あの戦乱で犠牲になった人々の御冥福を祈りますthink

長州といえば、明日からの龍馬伝第3部が楽しみcatface

さっそく高杉さん、聞多、俊輔の3人が出てくるんですねshine

予告の伊勢谷晋作がかっこよくてどきどきしましたheart01

功山寺とかもやるっぽいですよね~lovely

わくわくしながら見たいと思いますhappy01

 

では、またhappy01

 

 

 

 

 

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