大舘昇一郎~土方歳三とともに散った彰義隊士
明治2年(1869)5月11日、新選組副長を務め、陸軍奉行並であった土方歳三は一本木関門で戦死したと伝わります。
今回はともに一本木関門で戦死した大舘昇一郎を採りあげます。
大舘昇一郎は御先手同心大舘仲右衛門の長男として天保11年(1840)に生まれました。
大舘家は三十俵二人扶持の家系で、父は天保14年に死去し、この年に大舘家を相続しています。当然親類の庇護下にあったものと思われます。
ようやく元服を迎えた嘉永6年(1853)、武備先手同心に配属となり、安政5年(1858)には火附盗賊改役を兼務いたします。ただ翌年には同役兼務を解かれ、文久3年(1863)には硝石製造御用御取締勤番となります。
その後、幕末では慶応元年(1865)に御細工所同心へ転属し、翌年には御納戸同心へと移ります。
慶応4年(1868)3月、彰義隊に加盟し、上野戦争で官軍と戦います。この戦争で瓦解後、親類宅等に潜伏し、同年8月に長鯨丸に乗船し、榎本武揚とともに旧幕府脱走軍として随行いたしました。
同年10月の箱館政権では彰義隊に配属され、同彰義隊内で起きた内紛により分裂し、大舘は渋沢成一郎を隊長とする(通称)小彰義隊の頭取に就任いたしました。
そして明治2年5月11日、官軍の箱館市内侵攻により出兵し、熾烈な戦いの後、一本木関門で戦死しました。大舘家の親類には同じく頭取を務めた小林清五郎から伝えられています。
ちなみに同人は妻帯せず、子供もいなかったので遠縁にあたる幕臣、ニ橋貫一郎の長男、録太郎が明治11年(1878)に大舘家を絶家再興し、主に教育関係に従事していたようです。
坂本龍馬の妻、「お竜」写真への疑問
最近、メル友の森重さんより以下のURLをご紹介いただきました。
この項の問題は近年発表された女性の写真が坂本龍馬の妻、「お竜」なのかということです。
私は古写真研究家ではありませんので、どのような写りこみやらはわかりませんが、ひとつ疑問だったこと。それは
科学警察研究所が鑑定していることです。それも依頼は高知県立坂本龍馬記念館なのです。普通、県立クラスで国レベルの公的研究施設(一応科警研は警察庁の管轄)が鑑定するのは極めて稀といえましょう。経緯がとても気になります。
それと、京都国立博物館からの依頼ではなく、県立の施設から、というのも気になります。確かに140年前の殺人事件の証拠の捜査、といえば辻褄が多少は合いますが、直接の証拠ではない1枚の写真ですから......不思議です。
また、今回の件は少々明後日の方向に向いているのも言えるでしょう。実はこの写真について、1982年に西尾秋風氏が発表していることです。ここには「裏面に記入がなく」と書いてあります。しかし、アルバムに「お竜」と鉛筆で書いてあるという。しかし、西尾氏が発見した当時、その鉛筆書きが書いてあったなら西尾氏が
お竜の写真発見される
とするのではないでしょうか?これは過去にも揉めていたそうです。ですので、先にするべきことはその写真ではなく、
鉛筆書きの部分の鑑定
ではないでしょうか?
科警研でなくとも東京大学か京都大学でもできると思えます。まず炭素年代測定法で調査して、そして鉛筆の成分分析を行い当時輸入されていた鉛筆かどうかを鑑定するということです。
ちなみに輸入鉛筆は幕末に存在しており、広島県立文書館に所蔵される幕臣小野友五郎が慶応四年に鉛筆による日記が遺されています。
たぶん、写真よりもこの鉛筆書きの部分の調査が懸命ではないか?ということになります。もちろん誰が書いたか?という点までは調査しなくても良いでしょうが......。
よろしければクリックご御力お願いします
![]()
新選組岐阜派ツアー2010!!開催
本年1月9日に当団体主催による新選組岐阜派ツアー2010!を開催いたしました。
1.信浄寺
2.長良雄総墓所
この後、永縄家に訪問し、島田魁の遺品を見せていただきました。
4.大興寺
ここで同館所蔵の横倉日記を手にとって見ていただきました。
この後、禅憧寺に行く予定でしたが、この辺は積雪が凄く、竹中家墓所まで到達できないので断念いたしました。
7.市村兄弟生誕地
9.大垣藩嶋田家址
10.市村兄弟終焉の地
この後、残った有志で西湖にて懇親会を催しました。
みなさまお疲れさまでした。
*基本的にツアーはリクエストを中心に行っております。リクエストはメールで賜っております。気軽にご質問ください。
挨拶
とりあえず開設してみました。
セキュリティの問題がどのようになるかがわかりませんので、判明してから考えます。
一応、既存のページはコチラになります。
よろしくお願い申し上げます。
あさくらゆう
行方新選組の日2009
9月20日は毎年催されています行方新選組の日でした。毎年参加していますので、今回も一般参加させていただきました。
早めの出発でしたので、少しの渋滞で済み、芹沢法眼寺には9:45に到着。関係各種に挨拶をします。そして10:00に法要ですが、来訪予定者が来ない。それでも境内はそれなりの人数が揃っておりましたので法要が催されました。(この間、ギリギリのところで玉造座が到着)。
法要は順調でしたが、読経中に割り込んで入って境内の先頭に入り込んだ団体がある。住職の読経の声が荒げる。それでも無事に法要は終了。その後、平間重助が埋葬される墓所へ案内し、私がついでということで簡単に説明。この法要には今回お誘いしていました平間靖敏さま(平間重助からかぞえて5代目)もお越しいただきました。
そして平間さんを重助の本家筋の御宅やその墓所を案内しました。小山を歩きましたのでけっこう疲れました(汗)
普段、なんらかの役があるのですが、今回は一般参加だったのでこういうことができました。こういった散策は良いですね。
そして平間さんにお寿司をご馳走していただき、さわやさんからも嬉しい対応をいただき、感謝しきりに市谷柳町試衛館と合流するべく「ふれあいランド」へ。
ちょうど到着したときにはパレードの出発(狂歌の小路、序幕式会場より)でしたのでそれを見送りました。この後、平間さまを虹の塔の施設の案内ののち、用事のある平間さんを見送った後、市谷と合流しました。
そして15:30からは玉造座の演劇、「わいるど・だっぐ~芹澤鴨は二度死ぬ」を観劇しました。当初から較べてレベルが格段とあがり、場面によっては目頭が熱くなるシーンも。これは本当に入り込んでなければ感じないものですので、次回もこの路線で期待いたします。
そして18:30からは懇親会でした。皆が楽しんで懇談しました。予定の時刻を小一時間遅れて入ってきた団体が謝罪もなく乗り込んで来たときは少し気分が悪くなりましたが��




あさくらゆう