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June 2010

千葉さなの墓所が無縁になった訳

 千葉さなが亡くなったのは明治29年(1896)10月15日です。葬儀の後、19日にいまの谷中霊園に土葬されました。

 墓所の管理者は本来なら養子の正(まさし)になるのですが、江田島の兵学校にいましたので、妹の夫が墓の管理者となりました。

 その後、正は明治35年に病没しました。この後、悶着があり、管理者は墓所を手放してしまいました。当然、人間の心理として相手に権利など渡すわけはなく、放置されてしまいました。

 もし甲府の清運寺の墓所に埋められているとすれば遺品かと考えています。なぜかというと管理者と連絡がつかなかった可能性があるからです。

 このような状態のため、千葉家の墓所は放置された状態となりました。

 それでも戦前は特に撤去の必要が出るまでは残されていたようです。

 しかし、昭和20年、日本は敗戦し、さまざまな処理を行うことになりました。

 谷中霊園も例外ではなく、公園化するために無縁墓所は撤去し、また公園にならない地域はその後に新しい所有者を迎えることにしました。

 昭和24年8月にこうした無縁墓地の撤去が議決され、当時無縁だった墓所の管理者宛に通知されました。当然無縁墓な訳ですから連絡のつかない墓所ばかりで、いよいよ撤去へ向けての公示が行われました。

 このなかに当然、千葉さなの墓所も公示対象となっていました。

 この手続きを経て、昭和25年3月、千葉さなの墓所は改葬され、それらはほかの無縁墓の遺骨と一緒に千葉県の八柱霊園の「谷中霊園無縁塚」に葬られました。

 
 なので、現在、千葉さなの遺骨は八柱に眠っております。


 現在は都条例により、情報公開が制限されており、霊園管理者に聞いても教えてはいただけないでしょうが、いくつかの史料によってこの八柱にさなの遺骨があることは証明できます。

 はかない運命を生きた千葉さなは考えようによっては八柱でほかの無縁となった方たちと地下で共同生活を送っていることでしょう。


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[ 2010年06月18日07時04分04秒 ]

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