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大舘昇一郎~土方歳三とともに散った彰義隊士

投稿者:あさくらゆう 投稿時間:2010年01月31日15時23分25秒 | コメントなし | トラックバックなし

 明治2年(1869)5月11日、新選組副長を務め、陸軍奉行並であった土方歳三は一本木関門で戦死したと伝わります。

 今回はともに一本木関門で戦死した大舘昇一郎を採りあげます。

 大舘昇一郎は御先手同心大舘仲右衛門の長男として天保11年(1840)に生まれました。

 大舘家は三十俵二人扶持の家系で、父は天保14年に死去し、この年に大舘家を相続しています。当然親類の庇護下にあったものと思われます。

 ようやく元服を迎えた嘉永6年(1853)、武備先手同心に配属となり、安政5年(1858)には火附盗賊改役を兼務いたします。ただ翌年には同役兼務を解かれ、文久3年(1863)には硝石製造御用御取締勤番となります。

 その後、幕末では慶応元年(1865)に御細工所同心へ転属し、翌年には御納戸同心へと移ります。

 慶応4年(1868)3月、彰義隊に加盟し、上野戦争で官軍と戦います。この戦争で瓦解後、親類宅等に潜伏し、同年8月に長鯨丸に乗船し、榎本武揚とともに旧幕府脱走軍として随行いたしました。

 同年10月の箱館政権では彰義隊に配属され、同彰義隊内で起きた内紛により分裂し、大舘は渋沢成一郎を隊長とする(通称)小彰義隊の頭取に就任いたしました。

 そして明治2年5月11日、官軍の箱館市内侵攻により出兵し、熾烈な戦いの後、一本木関門で戦死しました。大舘家の親類には同じく頭取を務めた小林清五郎から伝えられています。

 ちなみに同人は妻帯せず、子供もいなかったので遠縁にあたる幕臣、ニ橋貫一郎の長男、録太郎が明治11年(1878)に大舘家を絶家再興し、主に教育関係に従事していたようです。


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