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September 2010

太政官事務官僚の仕事。。。

杉浦の自筆だと思われる書類!!shine

にとても嬉しくて、ちょっとしか読めないのに眺めてはほくそ笑むというループlovelyheart02

官職、名前はかろうじて読める。

太政官書類だから、綺麗に書かれて一字一句、崩し字も少ないです。

照合しようと全集に活字版探したけど見つからなかった。

勅任官書式改定案。

官位、名前
任 参議
太政大臣位苗字名奉
明治(御璽) 年月日

参議のほかに勅授位記式、とか判補官記式の案を

太政官の用紙判頁使って

四角枠を書いて図で書かれています。

三條公へ明治6年6/25に出しているみたい。


其の次に土方久元大内史、杉浦権大内史、と記入が有ります。

太政官の権威、みたいなものが薄れていてその権威回復のために改革が必要だった。

そこで様々な改革、改訂が行われます。

でも、時は明治6年。

岩倉使節団で大久保や木戸、伊藤…といったメンバーが欧米へ向かうときに

「出かけるからあとは頼むよ★でも、大きな変更とかしちゃだめだよ」}(。+・`д・。)キリ

と約束を留守政府にさせたにも関わらず…なわけで。

そして征韓論の論争、明治6年の政変へつながる…政変多いな!thunder

政変が起こると人事異動があって、TOPが入れ替わって

官僚たちはまた元の木阿弥に…。

大変だろうな、今も昔も。。。

[ 2010年09月15日08時55分03秒 ]

幕末明治ノスタルジック*福島めぐり。

福島へ行ってきました。
先週の土日。強行軍。
土曜日丑時に車で出発。
磐梯熱海についたときは8時。だいぶ太陽が照り付けていました。
時間があったので駅前にある足湯に浸り、のんびりしました。

待ち合わせしていた深夜さんと合流して母成峠グリーンラインへ。

大鳥さん、土方さんたちが戦った場所。。。
坂の上からみた景色は見晴らしのよいのんびりした感じでした。

自分用にメモ↓
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8/21 敵は約3,000、守る側は700。
柵と土塁で三段がまえの陣地を築く。
大山弥助(巌)の指揮する薩摩大砲隊と応戦
其の間に迂回戦術をとった敵方に背面を取られ撤退。




城下町会津若松は会津盆地の東南部に位置し、東に広大な猪苗代湖を控えている。
四方を山に囲まれているが、盆地に通じる諸街道から追討軍がじりじりと迫っていた。
(略)
東の奥羽街道方面では、石筵口の母成峠。薩長土中心の主力軍。
南の日光口からは会津西街道の山王峠を越えて肥前。宇都宮兵。
西の越後口からは阿賀野川の谷間を薩長はじめ安芸・越前・松代など諸藩兵。
北方の大峠・檜原峠は隣国の米沢藩が同盟関係にあるのでまだ手薄でもよかった。

(幕府歩兵隊:野口武彦著・中公新書より引用)

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大きな碑、黒い碑が建てられているだけで
ほかは駐車場として、グリーンラインの真ん中あたりに有りました。
そこで虫取りをしているこどもが元気に走り回っていて
本当にのどかでした。




日新館へ。
喜多方方面に車移動、随分走って不安になったころに大きな建物が。
かなりの広さです。
会津市街戦で燃えたのを復元したそうで、なかなか凝っています。

水練の池。



銅像がいい味を出しています。
監視員さん、みたいな。

この池で、鎧とかをつけて泳ぎの練習をしたそうで…
現在は眺めるだけでちっちゃい鯉の棲みかとなっています。

教室。



藩士の子が授業を受ける。
名札?を見るとわかるけど、白虎隊士の人形が再現しています。
芸も細かくて、着ている絣や袴も素敵です。
ここは素読のシーン。

余談ですが…ゆずりんもそうだったんだけど
下級藩士(ゆずりんは甲府勤番同心)の子たちは
学校で小間使いみたいなことをしながら学んだようです。
お金ないけど学びたい…!
行灯をつける、掃除をするなどの雑務をこなしながら授業に参加。
耳学問、というのかな?この人形再現だとそんな感じですね。

日新館の大学にあたる機関には
優秀の子か400石以上の家柄の子のみが入学を許されていたそうです。
家老クラスとかじゃないと無理そうな…
耳学問でそこまでいけた子はどのくらいいたのかな?

幕末明治の資料展示…会津(日新館)出身の人物の今後の活躍や
会津戊辰の戦争の様子などでした。
山川健次郎君がたくさんいたよ!扱いが別格でした。

広くて意外と屋外が多くてへろへろになりながら回りました。
時間が差し迫っていたので会津若松駅で深夜さんとお別れして
白露庭へ。








今は裁判所駐車場横に庭が残るのみ。
水が枯れていたけれど、丸くおまんじゅうみたいにカットされた植木があったり手入れがされていて品格が漂う緑が眩しい場所でした。
裁判所自体が工事中でクレーン車とかあったけど汗
このあたりは家老クラスが住んでいた場所で
高級住宅街、みたいな感じだったのでしょうか…
梶原さんの生家がここで、その近くに山川家跡地も。
そこは宮泉という酒造会社が建っています。
山川家のことは看板とちっちゃい碑があるぐらい。。。
酒造では試飲も出来て、焼酎、歴史史料も展示されていました。
泣血氈が展示されていましたよ。。。
降伏式時にひいた赤い絨毯。
この上を裃に裸足で容保公が渉って、官軍に降伏。
藩士は悔し涙を流し
雪辱を晴らす、と心に誓って
式が終わったあとに絨毯を切り分けて
懐へ気持ちと一緒にしまい込んだ…。

展示されていたのは内藤家所蔵のものでした。
みんなで切り分けたというからもっと小さいのかと思ったら
大きめスカーフ一枚ぐらいはありそう(畳んで展示されていた)でした。

他には坂本龍馬の掛け軸や
大庭恭平、秋月悌二郎、そして容保公の掛け軸も。
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 盛生能配義
 応喜不応非
 一斤被国志
 乃為百世師
 
秋月胤永子錫(落款)

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秋夕雨

 窓知かき萩のうはかせ
 おとたえて雨しづかにも
 暮るそらかな

容保

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柴四郎兄様と五郎君の写真、四郎兄様の本なども有りました。

私が情けないことに酒造の試飲で3種類ほど味わったためにへろへろで。。。
微妙なメモ、記憶ですみません;;
お酒は辛口のなかにふんわり甘味があって美味しかったです。。。
社名にもなっているお酒がオススメ。

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[ 2010年09月15日08時49分04秒 ]

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