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郵便創業140th

投稿者:マナ@御書翰掛 投稿時間:2011年04月17日22時36分18秒 | コメントなし | トラックバックなし

 

ブログからの転載。
久しぶりにこちらに顔を出した…すみません汗



郵便創業140th記念。
おめでとうありがとう郵便!!shine

下記はだらだら感が否めないまとめ。
郵便創業に関わることを抜粋してこねこねしてみました。
原材料は郵便創業談と坐右日記。地租改正法の起源を参考に。
※太文字は郵便創業談、坐右日記原文引用部分。灰色文字は地租改正法の起源引用。
長いので畳みます。


建議を聴かれたのは大隈伯
創始に方(あた)って私の経営に援助を與えられたのは渋沢栄一君です。

前島密:駅逓権正兼任(本官は租税権正)

明治三年五月十三日
帝国郵便の一粒の種を私の胸中にまきましたる第一日めです。

東西両京往復官文書の毎月平均一千五百両。
これをそのまま月で使えば通信線を伸ばし各一便東京-大阪両地より出せる計算
月一千五百両を三府の間の当座の郵便基金にし収入をプラス。
新しい路拡大基金にして全国へ。

明治三年五月、改正掛:伝馬町助郷制の改正を意図し
前島密提議の東海道試験郵便計画を論定す。
六月二日大蔵・民部省合議により東海道試験郵便仕法の弁官伺案を定む
十一月十三日大蔵・民部省再議し、郵便役所規則その他を定む
明治四年一月二十四日太政官東京・京都・大阪間郵便開始の布告

明治三年六月十七日
関税を担保にした外債100万ポンド(約488万円)契約破棄に関する交渉のため
大蔵大丞上野景範の差添として前島密、渡英。

翌四年八月十五日帰国、同月十七日駅逓頭
二十三日度量衝改正掛長に任命されるまで民部省省務には関わらず。
其の間、前島が種を蒔き改革の方向を定めた駅制改革や郵便制度創設を
分立した民部省の大久保系幹部の下にあって
奏任の最下位という地位に甘んじながら実現につとめたのが杉浦譲であった。
※杉浦譲駅逓権正明治三年六月十七日~四年七月二十九日

実施第一番の事務は杉浦譲氏の擔任となった。
其時杉浦氏は今はからず足下に代って
帝国郵便最初の実施者たる栄誉の任に上ったけれども
是はただ權りに代りを初めるのであるから
足下の成案に一字一句の増減もしないで本務を執って
足下の帰朝を待たうと公言せられたのです。
お留守番ゆずりん(* ´Д`*)=3 ハァハァ

改正掛の討議にもとづき前島が成案化した近代的郵便制度を実現することは
改正掛の一員でもある杉浦も、強く希求するところだったろう。
右の杉浦の発言は彼の偽りない決意の表明と考えたい。
しかし、彼はこの実現を分省した民部省にあって孤立してすすめねばならなかった。
実際に、郵便制度実施のための具体的装置はほとんど杉浦と駅逓司官員によってなされ
前島の案を変更したり補充したりすることになった。
しかし彼は太政官の布告文だけは
前島案とほとんど「一字一句の増減もない」ものに固執した
ここに杉浦の謙虚な性格とともに
大久保の下にあっても、改正掛時代に決定した改革方針を
あくまで貫こうとする、彼の意地を見ることが出来る。
駅逓権正杉浦譲とその下僚は民部・大蔵合併時代に改正掛が提起した近代化改革所案を
分省した民部省において継承し官行郵便制度を明治四年一月二十四日に実現させ
またかなり遅延はしたが
廃藩置県後の五年一月、東海道筋の伝馬所、助郷を廃止し
陸運会社による陸運組織を作り上げた(同年七月に全国の伝馬所、助郷廃止)
※陸運会社は飛脚問屋たちの要望を受けて作らせたもの。今のぺりかん。

横浜から米国郵船でイギリスへ出発。
船の中に郵便局がありサンフランシスコ本社船と洋中に行き会う。
米国の郵便、東洋の運送を担い、毎年米政府より50万ドル貰っているとの事。
前島が船長に聞くと英仏文明国もみな同じと云う。
切手の再用を防ぐのに消印を押すのを知り、それを杉浦へ伝えた。
嬉々として伝える前島が素敵。

英ローランド・ヒルの遠近均一、郵便料金法を各国で施行されていた。
それを知り、一番驚いたと前島談。
郵便、貯金法を学ぶ。
紙幣製造の兼務。
欧州大陸に旅行、ロンドン市内には六ヶ月のみ。
ネルソン・レイとの交渉、紙幣製造が本務。
…帰朝明治四年八月十五日。

私の不在中何事も変更せずして
帰朝を待つと誓った所の杉浦譲氏は枢密内吏に転任して
濱口儀兵衛氏がかわって駅逓頭に任ぜられたのです。
私が腹一杯にもって来た郵便の事は
はや駅逓寮とは縁を絶って
今は濱口氏の技両如何を傍観するより外すべのない場合となったのです。

肩透かしをくらった前島。
※濱口儀兵衛(成則)前・和歌山藩権大参事
7/28駅逓正、8/10駅逓頭、8/17和歌山県大参事。

濱口駅逓頭が云うには「郵便などいやしい商売」
そんな濱口に任せられない、前島、政府に直訴。駅逓頭に舞い戻る。

※杉浦は太政官正院権少内史に転任。
廃藩置県後の大久保の井上宛(民部大蔵分離問題による人事交渉)七月二十七日書翰:
濱口儀兵衛について:「至て人物ヨロシク民部之方ニ的任」と推薦し
戸籍あるいは駅逓の正でもよい→井上はそれを呑んで大久保の意見通り濱口は駅逓正、八月十日には駅逓頭に。
しかし同月十七日には駅逓頭を前島密に譲って和歌山県大参事に転任。
結局、大久保の主張は形だけ容れられた。。


*坐右日記より。
明治三年三月小朔日(西暦:4/20)
一.休省
一.自今日置駅逓郵便(新式郵便)
筋違外 赤坂御門外 京橋 芝神明 赤羽根橋 四谷御門外 両国橋西 浅草観音前 牛込御門外 永代橋
西京 役所中立売 烏丸 今出川千本 五条 堀川 四条建仁寺町
大阪 役所道頓堀 栄成橋 北堀江ノ阿弥陀池 京橋堀雑子場 堂島二丁目 天満神宮

右東西京 八時 大阪ハ九時

一.試発右郵寄静岡日下木貞ニ 大阪同局真中氏等
一.夕退回視四日市郵便会社(注・役所)此日百五十本入云


民部省お休みの日。
今日から駅逓郵便のスタート!
東京は本局の四日市役所のほかに筋違外などに書状集箱を設置。
大阪、京都も同様に中立売、道頓堀に役所があって(分局)ほかに箱を設置。
 
毎日東西両京八時半(午後三時)
大阪九時半(午後一時)限りで各所書状集箱を役所に取寄せ
書状と賃銭切手とを見合わせ、不都合な以下を調べた上で部類分け
行囊へ納め入小札は札刺へ刺止
総て両京は七時(午後四時)、大阪は八時(午後二時)迄に結局可致事

一時間で仕分け…結構ハードな気がするです。たたかいですな!
切手の金額と合わない場合は別に取り除いて差出人へ返したようです。
仕分けの棚はタンスみたいな感じで、巾着みたいな袋(町名入り)に分けていたようです。


杉浦は試しに、日下木貞(ひと文字で「てい」、JIS外)二郎…静岡に居る弟と
大阪に出張している部下の真中さんへ手紙を送っています。
夕方頃に四日市郵便役所に寄ったらこの日は150通有りましたと報告が。
この中に杉浦の出した手紙も入っているのですね。
次の日は244通、三日めは211通。
このころ中村正直に「西国立志編」の本を送られていました。
一番下の弟、直也君が来ていたり、花見をしたり、歯が痛かったり。
そういえば住所が七軒町だったぞよ。

杉浦が主人公の小説では、息子を肩車して書状集箱に投函してて微笑ましいです。
大好きな場面///

この東海道を主要とした三都を結ぶ郵便が出来、横浜にも役所を置くように。
廃藩置県のいわゆるクーデターによる人事異動があり
濱口儀兵衛を経て前島密により明治五年、郵便は全国区へ広まっていきました。

 

前島について、まだまだ微妙な知識でしかないのですが

杉浦とは同じ幕臣から静岡藩出仕、民部省出仕。改正掛のメンバーとなる。

前島は漢字なくしちゃえ★的な発言、薩摩で英語教師をしていたのでしたっけ…ぬう要確認。

仲良しこよしは美しき哉。

投稿者:マナ@御書翰掛 投稿時間:2010年11月21日23時29分08秒 | コメントなし | トラックバックなし
サイトからの転載です。
手抜き感しか漂わなくってすみません…若干修正加筆は加えておりますです。
相変わらずの表記ですみませんbearing
ゆずりん:杉浦譲
シブシブ:渋沢栄一
でお送りしております。。。
*------------------------------------------------*
昭和六年十一月十一日。
飛鳥山の青淵文庫の一室で渋沢栄一が世を去りました。

そのご命日にちなみ、毎年、この日付に近い日曜日に無料で史料館がひらかれます。
青淵文庫と晩香廬も無料で特別公開。(通常は、毎週土曜日の12:30~15:45公開)

建物や特別展の学芸員さんによるギャラリートークがあるとのことだったので
行ってきました。

上の写真は、ご命日記念に配布されたブックエンド。
マグネットで留められます。
シブシブのシルエットがかわいい…裏面は家紋の柏モチーフデザインと2010.11.7の日付入り。
本は雨夜譚の航西日記のくだりです…すぎうらあいざん、とあるですよ。
ゆずりんです(。+・`д・。)ノ



青淵、はシブシブの号。
門をくぐると晩香廬が右手に有りました。

赤茶の瓦屋根に黄色というよりアイボリーに近い壁。
外の壁は醤油で錆びさせた鉄の粉を混ぜ
内装の白い壁には貝の粉を入れ込んだらしい。
陽の光が入るとキラキラひかるshineそうです。
内装もお洒落。
ランプや家具、ガラスの細工などにアールヌーボー様式が見えます。
あのくるくるツタのようなデザイン。
ハート模様をかたどったのや鶏模様、貝殻細工の鶴など…どれも素敵lovely
ここでは、来客と軽食を食べたそうです。
ちなみに上野精養軒のお菓子を取り寄せたとか。
精養軒…クオリティに乾杯です←

其の後に青淵文庫へ。
竜門生、書生さんたちがお金を出し合って建設、プレゼントしたそうで
ステンドガラスがとても綺麗shine
竜門生プレゼントとのことで竜が両幅、横にデザインされています。
竜の瞳のガラスはギザギザ加工で、光があたるとギラギラ輝くとのことでした。
タイルは柏デザインが施されていてとても素敵。白に緑が優しい感じです。

本館、史料館へ移動し、そこで特別展のギャラリートークを聞き
学生との交流逸話が…
夜遅くまで学生とお話してたり、忙しい合間を縫って行事に参加したり
学生達がおもちを持ってお祝いしたり…。
温かみを感じ、ほのぼのとしましたconfidentheart02

そこで、お話を聞いた後、学芸員さんに個人的に質問をしている方が居て
ふと「幕臣が」という言葉をキャッチhappy02
ドキドキしながらダンボの耳状態ですませていました←
静岡に来てからは平民、というフレーズについ、お話に混ぜていただき(爆)
伺ってきました。
シブシブは、豪農→一橋家家臣→慶喜が将軍になり徳川宗家→静岡藩士と思っていたけど…、静岡時代に武士を固辞したそうです。
徳川家の家臣だったひとたちは「旧幕臣」として「静岡藩」藩士になるのですが
シブシブは自分が望んで武士になったわけでもなかったため髷も切っちゃったし
武士にこだわってはいなかったようです。
のちに官にこだわらず下野しているもとがみえたようなそうでないような。。。

ついでに改正掛のお話も聞いてきました。
新しいことを教えていただき、そして謎が増えました…
あれはいったい、いつの写真なの…sad
明治期のゆずりんの写真が見たいのです。
はにかみ笑顔は慶応3年なの。

そうそう、シブシブの身長は153センチだそうですよー。

シブシブとゆずりん。
このふたりは、昭武公の渡仏随行のときに出会って
それ以降お互いに支えたり助言をしたりしながら仲良くしていたようです。
そしてこのふたり。
あだ名をつけられていた模様(笑)catfaceshine
明治六年七月の杉浦からの渋沢書翰より。
自分があだ名をつけられたことをシブシブに「当惑してる、ご憐察下さい」とか言ってるくせに
シブシブのあだ名がついたのには大いによろこぶべきこととか言ってる(笑)。
かわいい…!なかよしheart04

明治六年六月、井上渋沢辞表の件で放ったゆずりんのひとことで
喧嘩したのに仲直り、仲良しこよしな模様に安堵致しました私が。

くまんばちとか誰があだ名つけたんだろ。
早稲田なあのひとかなあ…。
くまだけにはちがすき\(^O^)/←


拍手ありがとうございました。

空と木々のあいだ。

投稿者:マナ@御書翰掛 投稿時間:2010年10月11日00時27分48秒 | コメントなし | トラックバックなし

サイト日記のコピペ。。。連動しておりますですbearing

金木犀のかほりがふわりと到来。
甘くて、ほんわか癒されますcatfaceheart04
小さい頃によくティッシュに優しく包んで持ち帰っていました。
かわいいオレンジの花もかほりも大好きlovely

そんな思い出に浸りながら古本市、図書館にふらふら。
古本市はちょうど最終日でした。
神社の境内で、青空の下、たくさんの本に逢って来ました。

図書館では内国博覧会の記事とかないかな~と日日新聞をめくっていました。
ふと思い出して明治十年八月二十三日をひらく。
内国博覧会二日目の様子、そして
最後の頁の上から三段め、数行、訃報告知が有りました。

愚父杉浦譲義病気ノ處療養相届カズ去ル廿二日午前七時病没候


ゆずりん・゜・(ノД`)・゜・。
長男、壽太郎君の名前で告知されていました。
10歳前後だから、ゆずりんのお母さんや弟たちが名前を借りて出したのかな。
(お父さんの謑水さんは明治5年に亡くなっているです…)

病気療養相届かず…に胸が締め付けられる…weep


亡くなる原因が五月の森林現地巡察。
小雨の降りしきる、または霧の立ち込める山中での調査…
気管支炎を悪化させてしまったようです。

後を継ぐ地理局長桜井勉は明石出身。出石。
桂さん潜伏の。

…そんなわけでゆずりんを追いかけたら、林の歴史にうっかり足を突っ込んでしまいました。
何処へ行くの私………


今週のメモ( ´・ω・`)
・地租改正法
・ゆずりん板ばさみ
・ひじかたスタッフ
・横浜鎖港問題
・通信全覧
・改正掛
・大久保をけしかければ何とかなる、的木戸さん発言に(* ´Д`*)=3 ハァハァ
・けしかける木戸さん
・けしかけられる大久保さん
・もちろんけしかける場所は(ry
・ヒストリア見逃した…

太政官事務官僚の仕事。。。

投稿者:マナ@御書翰掛 投稿時間:2010年09月15日08時55分03秒 | コメントなし | トラックバックなし

杉浦の自筆だと思われる書類!!shine

にとても嬉しくて、ちょっとしか読めないのに眺めてはほくそ笑むというループlovelyheart02

官職、名前はかろうじて読める。

太政官書類だから、綺麗に書かれて一字一句、崩し字も少ないです。

照合しようと全集に活字版探したけど見つからなかった。

勅任官書式改定案。

官位、名前
任 参議
太政大臣位苗字名奉
明治(御璽) 年月日

参議のほかに勅授位記式、とか判補官記式の案を

太政官の用紙判頁使って

四角枠を書いて図で書かれています。

三條公へ明治6年6/25に出しているみたい。


其の次に土方久元大内史、杉浦権大内史、と記入が有ります。

太政官の権威、みたいなものが薄れていてその権威回復のために改革が必要だった。

そこで様々な改革、改訂が行われます。

でも、時は明治6年。

岩倉使節団で大久保や木戸、伊藤…といったメンバーが欧米へ向かうときに

「出かけるからあとは頼むよ★でも、大きな変更とかしちゃだめだよ」}(。+・`д・。)キリ

と約束を留守政府にさせたにも関わらず…なわけで。

そして征韓論の論争、明治6年の政変へつながる…政変多いな!thunder

政変が起こると人事異動があって、TOPが入れ替わって

官僚たちはまた元の木阿弥に…。

大変だろうな、今も昔も。。。

幕末明治ノスタルジック*福島めぐり。

投稿者:マナ@御書翰掛 投稿時間:2010年09月15日08時49分04秒 | 2 コメント | トラックバックなし

福島へ行ってきました。
先週の土日。強行軍。
土曜日丑時に車で出発。
磐梯熱海についたときは8時。だいぶ太陽が照り付けていました。
時間があったので駅前にある足湯に浸り、のんびりしました。

待ち合わせしていた深夜さんと合流して母成峠グリーンラインへ。

大鳥さん、土方さんたちが戦った場所。。。
坂の上からみた景色は見晴らしのよいのんびりした感じでした。

自分用にメモ↓
-------------------------------------------
8/21 敵は約3,000、守る側は700。
柵と土塁で三段がまえの陣地を築く。
大山弥助(巌)の指揮する薩摩大砲隊と応戦
其の間に迂回戦術をとった敵方に背面を取られ撤退。




城下町会津若松は会津盆地の東南部に位置し、東に広大な猪苗代湖を控えている。
四方を山に囲まれているが、盆地に通じる諸街道から追討軍がじりじりと迫っていた。
(略)
東の奥羽街道方面では、石筵口の母成峠。薩長土中心の主力軍。
南の日光口からは会津西街道の山王峠を越えて肥前。宇都宮兵。
西の越後口からは阿賀野川の谷間を薩長はじめ安芸・越前・松代など諸藩兵。
北方の大峠・檜原峠は隣国の米沢藩が同盟関係にあるのでまだ手薄でもよかった。

(幕府歩兵隊:野口武彦著・中公新書より引用)

-------------------------------------------------------

大きな碑、黒い碑が建てられているだけで
ほかは駐車場として、グリーンラインの真ん中あたりに有りました。
そこで虫取りをしているこどもが元気に走り回っていて
本当にのどかでした。




日新館へ。
喜多方方面に車移動、随分走って不安になったころに大きな建物が。
かなりの広さです。
会津市街戦で燃えたのを復元したそうで、なかなか凝っています。

水練の池。



銅像がいい味を出しています。
監視員さん、みたいな。

この池で、鎧とかをつけて泳ぎの練習をしたそうで…
現在は眺めるだけでちっちゃい鯉の棲みかとなっています。

教室。



藩士の子が授業を受ける。
名札?を見るとわかるけど、白虎隊士の人形が再現しています。
芸も細かくて、着ている絣や袴も素敵です。
ここは素読のシーン。

余談ですが…ゆずりんもそうだったんだけど
下級藩士(ゆずりんは甲府勤番同心)の子たちは
学校で小間使いみたいなことをしながら学んだようです。
お金ないけど学びたい…!
行灯をつける、掃除をするなどの雑務をこなしながら授業に参加。
耳学問、というのかな?この人形再現だとそんな感じですね。

日新館の大学にあたる機関には
優秀の子か400石以上の家柄の子のみが入学を許されていたそうです。
家老クラスとかじゃないと無理そうな…
耳学問でそこまでいけた子はどのくらいいたのかな?

幕末明治の資料展示…会津(日新館)出身の人物の今後の活躍や
会津戊辰の戦争の様子などでした。
山川健次郎君がたくさんいたよ!扱いが別格でした。

広くて意外と屋外が多くてへろへろになりながら回りました。
時間が差し迫っていたので会津若松駅で深夜さんとお別れして
白露庭へ。








今は裁判所駐車場横に庭が残るのみ。
水が枯れていたけれど、丸くおまんじゅうみたいにカットされた植木があったり手入れがされていて品格が漂う緑が眩しい場所でした。
裁判所自体が工事中でクレーン車とかあったけど汗
このあたりは家老クラスが住んでいた場所で
高級住宅街、みたいな感じだったのでしょうか…
梶原さんの生家がここで、その近くに山川家跡地も。
そこは宮泉という酒造会社が建っています。
山川家のことは看板とちっちゃい碑があるぐらい。。。
酒造では試飲も出来て、焼酎、歴史史料も展示されていました。
泣血氈が展示されていましたよ。。。
降伏式時にひいた赤い絨毯。
この上を裃に裸足で容保公が渉って、官軍に降伏。
藩士は悔し涙を流し
雪辱を晴らす、と心に誓って
式が終わったあとに絨毯を切り分けて
懐へ気持ちと一緒にしまい込んだ…。

展示されていたのは内藤家所蔵のものでした。
みんなで切り分けたというからもっと小さいのかと思ったら
大きめスカーフ一枚ぐらいはありそう(畳んで展示されていた)でした。

他には坂本龍馬の掛け軸や
大庭恭平、秋月悌二郎、そして容保公の掛け軸も。
-----------------------------

 盛生能配義
 応喜不応非
 一斤被国志
 乃為百世師
 
秋月胤永子錫(落款)

------------------------------

秋夕雨

 窓知かき萩のうはかせ
 おとたえて雨しづかにも
 暮るそらかな

容保

------------------------------

柴四郎兄様と五郎君の写真、四郎兄様の本なども有りました。

私が情けないことに酒造の試飲で3種類ほど味わったためにへろへろで。。。
微妙なメモ、記憶ですみません;;
お酒は辛口のなかにふんわり甘味があって美味しかったです。。。
社名にもなっているお酒がオススメ。

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にこやか笑顔でお出迎え。

投稿者:マナ@御書翰掛 投稿時間:2010年07月30日21時44分47秒 | コメントなし | トラックバックなし

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シブシブが「只今開館中」の札を持ってお出迎えしております。
あまりもの可愛さ、史料館のセンスのよさ(?)にニヤリとしてしまうcatface
飛鳥山の公園も広々として緑とこどものにぎやかな声に癒されました。

渋沢栄一とゆずりんは同じ旧幕臣でパリ博覧会のときからの仲、なので
ちょっとでいいから居るといいな★という思惑でした。

広々としたエントランスホール左手の映像コーナーで
シブシブの人生を拝見しつつ涼をとって(爆)
改正掛長シブシブの業績やスピーチを聞きました。
民部省改正掛、ありがとう!!!
このなかにゆずりんも含まれてるんだぜ!!と心の中でにやける私…confidentshineshine

映像を見終わったあと2階に上って常設展示へ。

藍玉通という生家の帳を見つつ、コバルトブルーに似た鮮やかさを思い描き
八王子とかも藍の産地だなぁとか考える。

横浜へ決起しちゃうぜ!!flair
という青春の荒っぽい勢いプンプンな決起状と横目に
次コーナーでは直垂姿の慶喜様御登場。

福地君も関わった「徳川慶喜公伝」も展示されていました。
桐の箱?みたいなのに入ってすごく立派なものでした。
うちにある某文庫サイズとはやはり格が違う(汗)

そして、フランスへ向かったときの航路が目に飛び込んできます。
おおお、フランス!!!
ゆずりんと出会い★
はやる気持ちを抑えて、コーナーに向かうとガラスケース越しに居ました!!

ゆずりんのはにかみ笑顔!!!!!ヽ(*´∇`*)ノ

逢えた!lovely

航西日記横に、パリで撮った「はにかみ写真」がありました。
ちなみに流し目なんだ。(いらない情報…)

航西日記はシブシブとゆずりんの共著で昭武公随行の渡仏経験を書いたもの。
黄色い表紙が眩しいです。shine

「航西日記全6巻 1871年刊
パリ万博使節団に随行した栄一と杉浦譲の共著。横浜出発から各国巡回終了までの様子が日記の形でかかれ、博覧会関係の記事の他にも航海中の見聞、ヨーロッパ社会の様子が旺盛な好奇心、研究心を持って記録されている」(展示解説引用)

フランスのコーナーを経て、慶応四年の混乱をつげるシブシブパパ手紙など不穏な気配に。
そして帰国、静岡を経て…
大蔵省コーナーに突入!punch

大久保さんや御神酒徳利、大隈などの写真!
そこに組織図や発行した紙幣などが展示されて居ます。
大蔵省の官員録も。
そうそうたるメンツでした。

そして民部大蔵省改正掛。
改正掛長となったシブシブ。
他のメンバーも表になっている!!
すごい計らいです。嬉しい。
ゆずりん居たよ!

杉浦譲 改正掛准11等 民部省出仕。

前島密や大隈なども、兼任で参加していました。
…そこの表下に「参考:杉浦譲全集三「つゝれきぬ(二)」とかあって
参考にされているよー!!!とひとり心の中でガッツポーズ★

富岡製糸場もシブシブと尾高惇忠(シブシブ従兄)、そしてゆずりんと関わっていて
その書類も。
お雇いブリューナー雇い入れの契約書草案には
大隈と伊藤のはんこを見ることが出来ました。
大隈は普通に「大隈」で、伊藤は「博文」でした。
ちなみに、内務卿となった伊藤の「博文」はんことは書体が違うの。
このコーナーはすごく至福の空間でした。

そして官を辞め、野に下る…

井上とシブシブが一緒に「暁新聞」に暴露?しちゃったのに大隈命令でゆずりんが反論(というか説諭)とかこのあたりも面白い。

シブシブが創設した会社たちがたくさん…!!!
昔お世話になったとこや今の得意先様などもあったり某元総理の会社があったり
それだけで面白かったです。
ひととおりシブシブご本人の展示を見た後に息子さんたち家族の写真や本などを。
「ワンパク倶楽部」という同人誌とかね、「犬dogも歩けば~」な本とか…素敵でした。

そのあとに、書翰展示。
田辺れんしゅうや福地君などありました。
福地君のは「明治6年2/4付」で伊藤が田辺と囲碁ばっかやってる~とか。

時間が押せ押せで後半はあまり見れなかったので再チャレンジしてみようと思います★
今度は11月のご命日イベントのときかな…。

郵便の親御さん。

投稿者:マナ@御書翰掛 投稿時間:2010年07月15日01時17分45秒 | コメントなし | トラックバックなし

postfathers.jpg

 

サイトにUPしたのをこっちにもペタリ。

郵便の「育ての親」杉浦と「郵便の父」前島。

竜の模様の切手はゆずりんが作ったんだZE!!(流用だけど…)

サイト連結と同じ日記をコピペするてすt

投稿者:マナ@御書翰掛 投稿時間:2010年07月13日06時40分34秒 | コメントなし

 hisokayuzurin01.jpg

ちまちま製作中。
郵便に頑張って欲しい。
そんな気持ち。

今月はいろんなことがあって
そしてまた起こりそうでとても不安定。
日記もサイトもおろそか、メールも遅くてすみません。

なのにおもしろそうだ と ここで ちまちまブログテストとかしだすとかどうもな…(苦笑)

いいこと、はゆずりん絡みでふたつもあって
おなかいっぱいです!
杉浦ジョーの実務処理を見ているだけでしあわせになります。
さすが内務省の1寮司、10人ぐらいの部下なのかとおもいきや
100人以上も部下、いました。

100人乗ってもダイジョウブ!!(違います)

改正案で配置人数とか載っていたのです。
仕事割り振りとかも。
直属?とか、職場は何処?など気になる…部屋割とか知りたいなあ。

そして、事務処理の件であるところと闘っていたようで面白いです。
杉浦先生は武術も嗜んでいるからK田さんに負けない…はず。多分。

糸はいろんなところで意外なところに繋がっていて
それがまた面白いのだけど何処まで辿ればいいの、と漠然となる。
気が遠くなるけれど、宝の山はザックザク。

以前の上層部と闘う羽目になったり
かつての恩人を敵に回すことになってしまって、でも精一杯フォロー入れたのに
最後の最後である意味KY発言をしちゃったり(でも優しさのつもりで言ったのはすごくわかる)
面白いですゆずりん。

ゆずりんをほんわかで描くのが私の目標なのですが、日記を読み進めていくと
あら不思議。
結構ズバズバ、しかも説諭とかしてる。

渡仏したときの写真、はにかみ笑顔に騙されていた……!?(爆)

ポエマーだったり、羊羹が好きっぽいし(頂くお土産がだいたい羊羹)
家計のために苦労しているし…長男の宿命!?\(^O^)/
キビキビっこ(なにそれ)なのかもしれない。

そして田辺れんしゅうがいろんなところに絡んでいて
キャパオーバーしそうです。
ゆずりん先輩で外国奉行所勤務も半分以上はこのひとのお陰。
そんなわけで気になっています。
このひともキビキビしていそう…だな…

拍手ありがとうございました!!



(。+・`д・。){今週のメモ

・日記にて:茄子を植えた記述
・人見フラグ
・ともだち使節団
・えのもと政府の杉浦さん
・親子DEカラオケ
・サイト改装したい 

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