コンテンツエリアへ
幕末ポータルサイト「幕末」

ただいま幕末ブロガーを追加募集中です。限定50名となります。ブログの申し込み

Check    

第23回「池田屋に走れ」(2010年6月6日)

投稿者:ネネ 投稿時間:2010年06月06日22時38分41秒 | コメントなし | トラックバックなし

龍馬(福山雅治)、勝(武田鉄矢)ら勝塾の面々は、近藤長次郎(大泉洋)と大和屋の娘・徳(酒井若菜)の婚礼を祝う。そして、いよいよ神戸海軍操練所が完成する。待ちに待った操練所で操船術や砲術について学ぶ龍馬たち。しかし、そのなかで、ひとり望月亀弥太(音尾琢真)は思い悩んでいた。かつての勤王党の仲間たちが土佐藩に捕らえられ、攘夷(じょうい)を叫んだ長州藩が朝廷から追われ、時代は亀弥太が思い描く方には向かっていなかった。
同じころ、薩摩藩と会津藩らによって京を追われた長州の久坂玄瑞(やべきょうすけ)たちは、帝を攘夷派の手に奪い返そうとたくらんでいた。過激な攘夷派は土佐でも弾圧され、後藤象二郎(青木崇高)による武市半平太(大森南朋)への尋問は厳しさを増していた。時代の流れからひとり外れた岩崎弥太郎(香川照之)は、妻の喜勢(マイコ)との間に長女が誕生し、幸せをかみしめていた。
操練所では、紀州脱藩浪士の陸奥陽之助(平岡祐太)が憎まれ口をたたきながら秀才ぶりを発揮していた。龍馬は望月亀弥太の姿が見えないことに気づく。亀弥太は京の池田屋で長州藩の志士たちと会い、帝を奪う計画を立てていた。龍馬は亀弥太を探しに京へ向かう。

近藤正臣的おすすめシーン
山内容堂が、極楽浄土が描かれた屏風(びょうぶ)を気持ち良さそうに眺めながら「極楽ゆうところはえいのぉ」と言うシーンが登場します。
これは容堂という男の弱さと悲しさを象徴的に描いているシーンだと思う。酒を飲みながら、金ぴかのきれいな着物を着て、「極楽はええなぁ」と言う。大殿様という土佐では最高位の立場にいながら、実は容堂の心は地獄にいる。そう考えると、悲しい男だね。先のいろいろなことがわかってしまうだけに、悲しいんだろうね。

久しぶりに更新できるように時間がとれるようになってきました。
以前の龍馬伝は定期的に更新していこうかなと思います。時系列的に、日付も変更してやらないとね。

今回でた亀弥太の生涯ってどんなんだったんだろうと思ってウィキペディアから転載していみます。

望月 亀弥太(もちづき かめやた、天保9年10月7日(1838年11月23日) - 元治元年6月5日(1864年7月8日))は、幕末の土佐藩士で、土佐勤皇党の一人。神戸海軍操練所生。諱は義澄。

文久元年(1861年)、兄・望月清平と共に武市半平太の尊皇攘夷思想に賛同して土佐勤王党に加盟し、文久2年(1862年)10月、尊攘派組織五十人組の一人として、江戸へ向かう旧藩主山内容堂に従って上洛する。

文久3年(1863年)、藩命を受けて幕臣・勝海舟の下で航海術を学び、その後、坂本龍馬の紹介で勝が総監を務める神戸海軍操練所へ入所するが、元治元年(1864年)、藩より帰国命令が出されたため脱藩して長州藩邸に潜伏。長州藩の過激尊皇志士達と交流を続けていたため、池田屋事件に遭遇した。池田屋を脱出した望月は幕府方諸藩兵によって取り囲まれて深手を負い、かろうじて長州藩邸に辿り着いたものの中へ入る事を許されずに門前で自刃した。享年27。明治31年(1898年)、従四位を贈られる。

坂本龍馬も勝海舟も、その死を嘆いた。

ん・・・「藩より帰国命令が出されたため脱藩して長州藩邸に潜伏。」
ここが今回大きく違うところでしょうか。

大河ドラマの新選組の時は、池田屋の時ガンバレと思ったが、今回は、新選組のせいで・・・って、見る側によって感じ方がかなり変わります。
来週は龍馬が新選組に乗り込むのであろうか。。。

 

トラックバックなし

トラックバックのURL: http://www.bakumatsu.jp/sys/mt-tb.cgi/409

コメントを書く


▲このページの先頭に戻る