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June 2010

龍馬伝 第26回「西郷吉之助」(2010年06月27日放送)

海軍操練所が閉鎖されることになり、勝麟太郎(武田鉄矢)は龍馬(福山雅治)を薩摩藩の西郷吉之助(高橋克実)に会わせることにする。龍馬は、西郷に薩摩と長州が戦っている場合ではないと意見するが、西郷は幕府も長州も油断がならないと反論する。逆に、西郷は勝から操船技術をもつ龍馬たちを薩摩に引き取ってほしいと頼まれていると話す。龍馬は、長州を討った薩摩に従う気にはなれなかった。いよいよ海軍操練所が閉鎖され、勝が江戸に戻る日がやってくる。勝は龍馬たちに「日本を世界と互角に渡り合える国にしてほしい」と言い残して去っていく。脱藩者である龍馬たちは操練所が閉鎖されても土佐藩には帰ることができなかった。
その土佐では、岩崎弥太郎(香川照之)が、武市半平太(大森南朋)から毒入りのまんじゅうを預かっていた。岡田以蔵(佐藤健)がこれ以上拷問で苦しまないように毒殺を依頼されたのだった。弥太郎は以蔵の苦しみを間近で見て、毒殺すべきかどうか悩んだ末、ついに以蔵に毒まんじゅうを食べさせようとする。
龍馬たちは、近藤長次郎(大泉洋)の妻・徳(酒井若菜)がいる大坂に向かうことにする。

鈴木CP的おすすめシーン
26回のおすすめシーンはなんと言っても高橋克実さん演じる西郷吉之助と龍馬の初対面シーン。
西郷さんのビジュアルは龍馬伝オリジナルの、凄みある見たことの無い西郷さん像になっていますので、お楽しみに。
個人的こだわりのおすすめシーンは、弥太郎(香川照之)から毒まんじゅうを渡される以蔵の、迫真の演技。切ない気持ちがビンビン伝わる、佐藤健さんの表情から目が離せません。

今回の大きな動きとして、西郷吉之助との対面と毒入りまんじゅうのお話。
西郷吉之助と龍馬はこれから、やり取りが増えてくることが多く、西郷吉之助をどう表していくか注目です。

最近の龍馬伝で一番、気になるのが武市と以蔵のことである。
今回は、武市が渡した毒入りまんじゅうを弥太郎を通して以蔵に渡そうとする。

自分を弥太郎として考えてしまいました。
私なら、以蔵に、毒入りまんじゅうを渡せるだろうか・・・
私なら、これは毒入りだけど、食べますか?と以蔵に聞いちゃいそう。
本人の意思でOKなら渡す。これが私が考える最善の方法だと考えちゃいました。

ここで毒入りについての展開をwikiに聞いてみるとこう書かれていた。
以蔵の捕縛を知った武市半平太は彼の自白によって他の同志が危険に晒されるのを恐れ、自分に心酔した牢役人を通じて以蔵に毒を盛ろうとしたとさえ言われている。これは小説をはじめ広く知られるエピソードで、それらによればこの際、武市は性根の弱い以蔵が拷問に簡単に屈してしまうと心配したとか、以蔵が軽輩故に他の同志より一層激しく耐え難い拷問に遭うであろうと予想した、また、毒を送られた以蔵はそれを(毒とは知らずに)服んだが死なず拷問に屈して白状したとか、毒を見破って憤りのあまり自白に及んだなどと様々に解釈されている。こうした点が、武市から見た以蔵が「ただの暗殺の道具」に過ぎなかったのではないか、とされる所以である。以蔵が晩年、武市らから冷遇されていた理由について、諸書の記述によれば、父は郷士だが以蔵自身は他の同志より身分の低い最貧困層出身であったこと、粗暴で余りにも教養・道徳心に欠けたこと、よって汚れ仕事(人斬り)を専門に請け負わざるを得なかったことへの嘲り(あざけり)や蔑みにも似た差別的感情、更には後に土佐勤王党存亡の危機において彼が手掛けた数々の暗殺が露見することにより他の同志に累が及ぶ恐れがある最中、彼が自刃すればその露見が防げるにも拘らず自身がそれを行わない(士道に悖る(もとる)ふるまい)ことへの焦燥感や怒り、極めつけに"尊王攘夷・倒幕"を旨とする土佐勤王党に属しながら不倶戴天の敵"開国派・幕臣"勝海舟らの護衛を行うなど(後述)"剣術こそ強いが確固たる思想・信念を持たぬ愚か者"として周囲を呆れかえらせたことなどが原因ではないかと云われている。

龍馬伝では、武市さんが気づかい、以蔵に毒入りを送ったことになっている。
脚本家、小説家によって表現方法が異なるが、多分、確実な文献がないんでしょうね。
次週さらに動きがありそうですね。
龍馬、武市、以蔵の流れの終盤に向けて動いているんだけど、悲しさ爆発です。。。

[ 2010年06月27日23時03分27秒 ]

第23回「池田屋に走れ」(2010年6月6日)

龍馬(福山雅治)、勝(武田鉄矢)ら勝塾の面々は、近藤長次郎(大泉洋)と大和屋の娘・徳(酒井若菜)の婚礼を祝う。そして、いよいよ神戸海軍操練所が完成する。待ちに待った操練所で操船術や砲術について学ぶ龍馬たち。しかし、そのなかで、ひとり望月亀弥太(音尾琢真)は思い悩んでいた。かつての勤王党の仲間たちが土佐藩に捕らえられ、攘夷(じょうい)を叫んだ長州藩が朝廷から追われ、時代は亀弥太が思い描く方には向かっていなかった。
同じころ、薩摩藩と会津藩らによって京を追われた長州の久坂玄瑞(やべきょうすけ)たちは、帝を攘夷派の手に奪い返そうとたくらんでいた。過激な攘夷派は土佐でも弾圧され、後藤象二郎(青木崇高)による武市半平太(大森南朋)への尋問は厳しさを増していた。時代の流れからひとり外れた岩崎弥太郎(香川照之)は、妻の喜勢(マイコ)との間に長女が誕生し、幸せをかみしめていた。
操練所では、紀州脱藩浪士の陸奥陽之助(平岡祐太)が憎まれ口をたたきながら秀才ぶりを発揮していた。龍馬は望月亀弥太の姿が見えないことに気づく。亀弥太は京の池田屋で長州藩の志士たちと会い、帝を奪う計画を立てていた。龍馬は亀弥太を探しに京へ向かう。

近藤正臣的おすすめシーン
山内容堂が、極楽浄土が描かれた屏風(びょうぶ)を気持ち良さそうに眺めながら「極楽ゆうところはえいのぉ」と言うシーンが登場します。
これは容堂という男の弱さと悲しさを象徴的に描いているシーンだと思う。酒を飲みながら、金ぴかのきれいな着物を着て、「極楽はええなぁ」と言う。大殿様という土佐では最高位の立場にいながら、実は容堂の心は地獄にいる。そう考えると、悲しい男だね。先のいろいろなことがわかってしまうだけに、悲しいんだろうね。

久しぶりに更新できるように時間がとれるようになってきました。
以前の龍馬伝は定期的に更新していこうかなと思います。時系列的に、日付も変更してやらないとね。

今回でた亀弥太の生涯ってどんなんだったんだろうと思ってウィキペディアから転載していみます。

望月 亀弥太(もちづき かめやた、天保9年10月7日(1838年11月23日) - 元治元年6月5日(1864年7月8日))は、幕末の土佐藩士で、土佐勤皇党の一人。神戸海軍操練所生。諱は義澄。

文久元年(1861年)、兄・望月清平と共に武市半平太の尊皇攘夷思想に賛同して土佐勤王党に加盟し、文久2年(1862年)10月、尊攘派組織五十人組の一人として、江戸へ向かう旧藩主山内容堂に従って上洛する。

文久3年(1863年)、藩命を受けて幕臣・勝海舟の下で航海術を学び、その後、坂本龍馬の紹介で勝が総監を務める神戸海軍操練所へ入所するが、元治元年(1864年)、藩より帰国命令が出されたため脱藩して長州藩邸に潜伏。長州藩の過激尊皇志士達と交流を続けていたため、池田屋事件に遭遇した。池田屋を脱出した望月は幕府方諸藩兵によって取り囲まれて深手を負い、かろうじて長州藩邸に辿り着いたものの中へ入る事を許されずに門前で自刃した。享年27。明治31年(1898年)、従四位を贈られる。

坂本龍馬も勝海舟も、その死を嘆いた。

ん・・・「藩より帰国命令が出されたため脱藩して長州藩邸に潜伏。」
ここが今回大きく違うところでしょうか。

大河ドラマの新選組の時は、池田屋の時ガンバレと思ったが、今回は、新選組のせいで・・・って、見る側によって感じ方がかなり変わります。
来週は龍馬が新選組に乗り込むのであろうか。。。

[ 2010年06月06日22時38分41秒 ]

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