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November 2010

龍馬伝 最終回を観て

昨夜のことで恐縮ですが、『龍馬伝』 最終回でしたね。
何やら 「総合20:00~」 の放送は、クライマックスシーンでニュース速報が入ったそうで、
ネット上で非難轟々でしたがv
私はと言いますと、諸事情により 「BS2の22:00~」 の回を見ていたもので…dash
諸事情が 「BS2の21:00~」 の 『イ・サン』 (韓国の歴史ドラマ)を見るためだなんて、
本当に私は幕末好きなのかsign02と思いますが、歴史好きなのは間違いないです(笑)
だって 『イ・サン』 の方も見逃せない回だったんだもんっ;;;
そろそろ自室の壊れた録画器をなんとかせにゃっ…v

さてさて 『龍馬伝』 最終回の感想です。
もちろんそれぞれの見方で賛否両論だとは思いますが、これはあくまで私の感想というか、
見ていて思ったことなので、ご了承くださいませ。

『龍馬伝』 の主役って 「英雄、坂本龍馬」 じゃなくて 「時代」 だったのかな、と。
「坂本龍馬」 は 「幕末という時代」 の 「溶媒」 というか、あらゆる者をつなぎ合わせる役目で、
あくまでも 「黒子」 だったと思うのです。
これは、私が持っている 「坂本龍馬」 の人物像でもあるのですが…。
実際、どんなに有名な歴史小説だって、史料を基に作家が創作したストーリーな訳で、
誰が何と言ったかなんて細かい議事録があるわけでないのです。
だから、今の時代にスタンダードとなっている 「英雄龍馬」 だって、
随分と脚色されている部分が多いんだと思うわけです。
それに当時の人たちの何人の人が龍馬の行った事を理解できたのでしょう?
龍馬の成し遂げたことがあまりに大きすぎて、後の世にならないと見えてこなかったんじゃないかと思います。
誰かにとっての英雄は、対極にいる誰かにとっては邪魔な人物。
だからこそ、英雄龍馬を邪魔と感じ、暗殺させた人物が存在するんですよね。
あ、私は 「アンチ龍馬」 ではないですよ?
ただ龍馬が生きていたとしても、西南戦争のように、時代のうねりや歪みが生んだ戦争は
「膿を出す作用」 あったかな?と思うので、避けられなかったとは思います。

って、気付いたらこれ 『龍馬伝』 の感想ちゃうしっ!
ではでは、あらためて…。

◆『龍馬伝』 での 「○○○」 の解釈が、ほのぼのしていて福山龍馬らしくて良かったです。
  (それで暗殺決意させちゃったとしたら、笑えませんけどね…v)
◆「中岡慎太郎の妻です」 って、あれ?松代藩設定は?(あれって創作?)
◆「こなくそっ!」 とか言って欲しかったですよ、佐々木さん。もしくは今井さん。
 ついでに、新選組の犯行と見せかける工作も…。(笑)
◆いや、それ以前に誰が黒幕か分からないの同じように、実行犯も真相は解明されていないので、
 そのまま謎ということにして欲しかったですよ。
 歴史に詳しくない人が大勢見ている今回の大河で 「見廻組実行犯説」 をやったら、
 史実だと思い込まれてしまうので…orz
◆雨の中の弥太郎、すんごい良かった!!!さすがです、香川さん!!!



最後の方、明治弥太郎の 「龍馬大っ嫌い!」 な笑顔を見て、心の中でツッコミを入れちゃいましたが…。
『龍馬伝』 それは、岩崎弥太郎の歯が白くなるまでの物語… (爆)
(↑心が広くて笑って許してくれる人だけ、反転してお読みください)

本日、『坂の上の雲』 の再放送見て、弥太郎の死んだ姿と、子規の勉強中に居眠りした格好がオーバーラップ…。
あれって意識しているんですかね?香川さん(笑)

[ 2010年11月29日22時31分04秒 ]

会津若松ひとり旅2010‐1

随分と放置状態でした。
体調を崩したり、仕事が忙しかったり、母が骨折をしたり…などとドタバタしていて、龍馬伝も見逃しています。
まぁ、なんとか落ち着いてきた先月、恒例の会津若松ひとり旅に行ってきました。
そんなわけで、レポートというか覚書というか…久々の更新♪

今年も行ってきました、会津若松ひとり旅。
気が付けば、いつの間にやら5年連続ですよ。
とにかく思い出せる分だけ、つらつらと書き並べてみました。
文章のみですみません。(写真は写メ日記にあります)

2010.10.23(土)

一時間ほどの仮眠を終え、家を出たのが22日夜11時半。
最寄のICから長野道~上越道~北陸道~磐越道と、途中で仮眠を挟みつつ一路会津へ。
毎度だけど、途中の濃霧には泣かされます。
会津盆地に入ったのは夜が明ける少し前。
正面左側に会津磐梯山の見事なシルエットが。
東に向かっているので正面が段々と明るくなってきて、濃紺から薄紫へのグラデーションに。
まるで影絵のような磐梯山に、胸が高鳴ります。
一年ぶりの会津。
いつもより30分程遅めの行程だったから見る事が出来た光景でした。

これまたいつもの磐梯山SAで時間調整を兼ねた仮眠。
私が会津若松ひとり旅を始めた5年前には、5台も停まっていなかった仮眠中の車。
高速料金休日割引の影響なのか、30台くらいは停まっています。
人が居た方が安心感はあるけれど、結構うるさいのよね。
1時間ほどの仮眠と、売店で買ったコッペパンとコーヒーで軽い朝食を済ませた後、
旅の道連れであるみかささんをお迎えにJR郡山駅へ。
本日はみかささんと東山温泉にお泊りのふたり旅なのです♪

みかささんと落ち合い、先ずは会津若松は鶴ヶ城へ。
鶴ヶ城は現在、屋根瓦を築城当時の赤瓦に換える工事で天守閣がシートで覆われています。
前回、みかささんと来た時にお城は見学済みだったのでコースから外しても良かったのですが、
ちょっと目的がありまして…。
一口2千円の寄付で実際に使用される赤瓦に自由に書き込みが出来るんですよ。
その受付が24日まででして、こんな時期に来たのも何かの縁と、みかささんにお付き合いいただいた次第。
みかささんにもお願いして、日付と二人の本名を書いてきました。
受付の後ろに 「マギー●司」 と書かれた瓦が…。
どうやらご本人が 「ぶらり途中下車の旅」 の収録で訪れた模様。

前回二人で会津入りした時には、太平洋側を台風が通過している真っ最中の大雨だったので、今回、町歩きリベンジ!
「山川邸跡地」・「柴四朗、五郎生家跡地」・「鶴ヶ城開城式の地」・「直江兼続屋敷跡地」 などを回りました。
途中、お昼を食べながら みかささんのリクエスト、七日町通りへ。
ちなみに 「なのか」 ではなく 「なぬか」 と読みます。
七日町通りには、吉田松陰や土方歳三が泊まった「清水屋旅館跡地」、新選組の斉藤一(藤田五郎)の墓がある
「阿弥陀寺」 、最近開館した 「会津新選組記念館」 など幕末関連の場所があったり、歴史を感じさせるお店が多く、
観光スポットになっています。
お城周辺も七日町も1年前と随分変わった所がありましたが、趣を残した上で発展しているのが嬉しい反面、
やはり今の社会の厳しさを感じました。
昨年までは存在しなかった 「会津新選組記念館」 が出来たと雑誌で知ったので入ってみましたが、
小さいながらもそれなりに史料は揃っていて良かったです。
七日町通りで幕末を堪能した後、お城の駐車場へ停めてあった車に戻り、お土産屋さんに寄った後、
今夜のお宿である東山温泉へ向かいました。

お宿は 「土方歳三が傷を癒す為に入った温泉」 というのが売りの旅館。
外壁に土方さんの肖像画が描いてあるあのお宿です。
いくつかの温泉があり、それぞれ楽しめるのですが、全部に入ったら逆に疲れるので、
夕飯の前と後の2回が限度。
あまりクセの無いお湯でしたが、お風呂上りは長い時間、身体がほこほこでした。
どちらかというとぬるめでゆっくりと浸かっていられるお湯なんだけど、
江戸方面でお育ちの副長にはどうだったのかしら?
「おい、なんでぇこのぬるまっこい風呂は!もうちょっと何とかならねぇのか島田!」 とか言って、
島田さんに「土方さん沸かし風呂とは違うんです。 それにあんまり熱いと傷にしみますから!」 と
窘められればいいと思います。
夕飯は会津の郷土料理である 「こづゆ」・「鰊の山椒漬」 や季節のきのこ、会津の新米が味わえました。
いろいろなお料理を少しずつ楽しめるのはありがたいけれど、ちょっと多くてかなり頑張って食べました。
夜は、楽しみにしていた幕末談義だとかハリポタ話など、全然出来ないままに私が布団に入ったとたんに寝落ち…。
ホント、寝不足&長距離運転で疲れていたとはいえ、みかささんに申し訳なかったです。
ゴメンなさい。

[ 2010年11月06日21時06分59秒 ]

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