コンテンツエリアへ
幕末ポータルサイト「幕末」

ただいま幕末ブロガーを追加募集中です。限定50名となります。ブログの申し込み

Check    

June 2010

獄に咲く花

休みを取って吉田松陰生誕180年記念映画 『獄(ひとや)に咲く花』 を観て来ました。


高須久役の近衛はなさんがとても可愛らしく、吉田寅次郎(松蔭)役の前田倫良さんが爽やかで、
野山獄の囚人達もそれぞれ個性的で楽しめました。
結果は歴史が語っていますが、自分を信じ、人を愛する、なんとも清々しい松陰先生がステキ。
「(野山)獄に咲いた花」 は、二人のプラトニックな恋だけではなく、
吉田寅次郎本人の事も表わしているんですね。
もちろん、久の事も表わしているわけですが。

 

以降、ネタバレはしないように心掛けましたが、感想は続きボタンにて。

 

**************************************************************

 

獄に咲く花の続きを読む
[ 2010年06月16日23時08分44秒 ]

好きな会津藩士

「会津藩が好きなんだ~!」 主張強化月間 (?) ということで、
突然ですが、好きな会津藩士を挙げてみようなんて思います。

 

今現在のベスト5。

松平容保公 (藩士じゃないしv)
秋月悌次郎
山川大蔵
佐川官兵衛
広沢安任

いや、藩士に限らなければ、女性も入ってくるんですけどね。
(竹子さんとか八重子さんとか照姫さまとか時尾さんとか...)
あ、 藤田五郎も最終的には会津藩士で良いですか?
むしろ、自分的には斉藤一は会津藩の使わした探り役ってのが推奨ですが...。(笑)
他にも、梶原さんとか横山さんとか小出さんとか永岡さんとか萱野さんとか外島さんとか
小野さんとか諏訪さんとか南摩さんとか判さんとか町野さんとか...って、キリないし。
だいたい、ベスト〇って、考える度に変わる優柔不断者だし!(キッパリ!)

 


以降、妄想全開な自分的イメージ像なのでお気をつけください。

 

 

 


◆松平容保公
やっぱり、何があっても 「容保様あっての会津藩」 ですよね。
きっと、藩士みんなに好かれてる!
もしくは、藩士みんなが 「自分達がしっかり支えてあげなくちゃ!」 って思ってる。(笑)
みんなに愛される殿様。
で、殿もみんなが好きなのよ、うん。
病弱だったけど、京都で頑張った...のになぁ。
孝明天皇からのお手紙を肌身離さず持っていた、孝明天皇ラブラブ。
家茂さまのことも、好きだったに違いない。
慶喜のことは・・・嫌いっていうより、苦手だったと思う。
自分に従ってきた家臣たちを残して慶喜と共に大坂から逃げ出さざるを得なかった容保様が、
江戸に戻ってきた家臣を迎えて、みんなの前で謝罪したあたり、出来た殿様だなと。
養子として迎えられたからこそ、余計に藩祖保科正之の書き残した掟を守ることに
固執したんだろうと思います。

 

◆秋月悌次郎
会津藩を調べようと思ったキッカケの人物なんで、自分的にはやっぱり常に上位。
きっと会津藩好きの中でも、この方を挙げる人は少数派だと思いますが。
私が武官より文官に惹かれるってのもあります。
変わり者の河井継之助から 「変わった人」 呼ばわりされているのは、ちょっと酷いかと。(笑)
私の中では 『ゆで卵』 というと坂東英二か秋月悌次郎。
八月十八日の政変のきっかけとなる 「会薩同盟」 を薩摩藩士高崎正風が申し入れに来た窓口の人物。
京都でいろいろと頑張ったのに、重用してくれた横山(爺)が亡くなった途端に蝦夷へ流された。
しかも、薩摩藩に思いっきり裏切られちゃったし...。
山川大蔵の弟、健次郎が立身出世できたのも、元を辿ればこの方の交遊関係の広さと先見の明のお陰なんですよ。
維新後は熊本で教職に付き、同僚の小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)に 「神様のような人」 と評された。
ハーンが残した文章の、秋月悌次郎先生ラブラブっぷりが、むちゃくちゃ微笑ましいです。
会津城開城式を采配した悌次郎さんの心中を思うと、非常に切なかったりします。

 

◆山川大蔵
全然関係ないですけど、うちの近所の坂道に 「山川薬局」 と 「大蔵建設」 が並んでいて、
坂の上から看板を見る度に笑えます。
バリバリの過激攘夷思想を矯正させる為に、海外へ追いやられた人。(笑)
その甲斐あって、維新後は幼い妹をアメリカ留学させる程になった(?)
恐らく殆どの人の持つイメージは 「オレ様」 かと。
会津藩の 「あばれはっちゃく」 。
果たして 「彼岸獅子での入城」 は、逆立ちで 「ひらめいた!」 のだろうか?
成功したから語り継がれているけれど、失敗していたら作戦は歴史から抹殺されてんだろうな。
成功した理由は、実は西軍が呆れまくっていたから、 だったら面白い。
斗南藩の大判事時代、我知らず 「おから」 を独占していて恨みを買っちゃった。
でも、それは 「容大様」 の為なんだってば。
日光口での戦いで、ダメダメな大鳥さんの変わりに指揮を取り、敵将の土佐藩士谷干城に
「敵軍の指揮を執っているのは誰だ?」 と目を付けられ、後年、スカウトされた。
酒豪で短気だったらしい谷さんと、どんな風にお酒を酌み交わしていたのか?とか妄想
想像してみると楽しいです。
あと、西南戦争の別働第二旅団で山田顕義との確執は気になるところ。
知恵の山川と言われ、勇猛果敢だけれど、女心には鈍いという某小説の設定推奨!
姉の双葉に頭が上がらなかったりすると面白い。(もちろん梶原平馬義兄も頭が上がらない方向で。)

 

◆佐川官兵衛
鬼の官兵衛 (略して鬼官) 。
篭城戦のおり、出撃前夜に飲みすぎて寝坊して出撃時間を遅らせたという痛いことをやらかしたけど、
その後反省の為か開城まで城外でゲリラ戦を続けていた。
きっと、開城の連絡を聞いても納得しなかっただろうと思われる。
そんなエピソードの所為か、自分的には赤ら顔ののんべぇなイメージ。
西南戦争で、会津戦争の経験から、自軍の兵士に対して敵地の住民に乱暴を許さなかった為、
敵地の住民に慕われた。
自軍の兵士たちが陰で 「鬼官兵衛」 と呼んでいたのを住民が本名だと思い込み
「鬼さん、鬼さん」 と呼んで慕っていたのを、苦笑いしているしかなかったというエピソードは微笑ましい。
そんなこんなで、戦死した熊本に佐川官兵衛碑・首塚、鬼官兵衛記念館が存在します。

 


◆広沢安任
某小説のお陰で、秋月悌次郎さんの相棒イメージ。
人斬り新兵衛が姉小路公知暗殺を疑われた際、奉行所への出頭拒否したのを言葉によって説得した人。
廃藩置県で斗南藩が消えても極寒不毛の地(だと言われた)に残って、日本で初めて洋式牧場を行い、
努力の末に軌道に乗せた人。
地道な努力をあきらめない、忍耐を体現した姿に脱帽。
病床の容保様が天皇(皇太后)から賜ってコーヒーを混ぜて飲んだという牛乳が広沢牧場なら嬉しい。

 

[ 2010年06月15日19時53分40秒 ]

龍馬伝 第24回を観て

武市先生&冨さんの夫婦愛というか絆というか、ホントにスゴイ!!な、第24話。

もう、今回の見所は 「武市夫妻の愛」 ですよねっ!!!
弥太郎くんが幸せそうだとか、お龍の心の壁だとか、龍馬が相変わらず
「このままでえいがか」 って悩んでいるとか、以蔵くん頑張れ!とか、いろいろあったけど。

武市先生の冨さんに一途っぷりがステキ。
きっと、武市先生は祝言の時に冨さんを見て、初恋したんだよ、とか思わず妄想が...。
冨さんも、武市先生に惚れまくりなんだよね。
一説では、武市先生が牢獄に入れられている間、冨さんもずっと畳の上で生活せずに、
床の上で生活していたとか。
お互いに、自分よりも相手の事をひたすら思いやって生きているんですね。

今は別々の場所で眺める蛍。
いつかまた二人で縁側に座って静かに蛍を眺めたいと願っている。
でも、きっと、そんな願いは蛍の光のように儚くて...。
叶わぬ願いだと、何処かで分かっているんだと思うのです。

幕末に生きた志士たちも、結局は一人の人間。
正義だと信じてどんなに非情な事を為しても、やはり誰かを愛し、誰かに愛されているのだと。
そんな事を思った今回の龍馬伝でした。

 

[ 2010年06月13日21時06分45秒 ]

龍馬伝 第23回を観て

ひたすら 「亀弥太~!!!」 に尽きた第23話。

理由あって、亀弥太について調べた事があった為か、今までも妙に肩入れして見てはいたんですよ。
だから、池田屋事件の時に、どう描かれるのか?と気になっていたんですが、こう来たか...と。
そりゃ、土佐藩だから、他の藩士よりは注目されるだろうな、とは思っていたけれど。

もうダメ、亀弥太の最期で、それまでのストーリーが吹っ飛んじゃいましたよ。
なんか、弥太郎が良い奴だったりとかしたような気もするけれど、今回は池田屋事件オンリーでした。
っていうより、亀弥太くんオンリーだね。

とにかく、こんな池田屋事件は初めてでした。

「新選組だ!ここを開けろ!」
「旅客改めでこざる!」
「お二階の皆様、旅客改めでございますー!」
「!!!」
ダダダダダッ!
「御用改めだ!」
「し、新選組!?」

まぁ、だいたいこんな感じで斬り合いになるのがパターンなのですが。
で、宮部鼎蔵や吉田稔麿らが斬られたり、藤堂平助が頭を切られて重傷を負ったり、
永倉新八が手の肉をそぎ落とされたり...。
そして、最大の見せ場といわんばかりに沖田総司が喀血しちゃったりするのもドラマとしてのお約束。
で、「待たせたな!」 と副長が援軍に駆けつける...と。(おぃv)

そんなこんなを、すべてすっ飛ばした今回の 『龍馬伝』 バージョン池田屋事件。
斬り合いが一切無く、幻想的な池田屋事件! なんて斬新!!!

賛否両論さまざまだと思いますが、自分的には 「あり」 だと思いました。
実際に、第三者(京都の住人)から見たら、あんな感じなんだろうと。
ドタバタしていて、何事かと思うけれど危なくて近寄れなくて、静まったと思ったら、
返り血に塗れた壬生狼が、何やら満足げに隊列を組んで去っていく。
しかも、沖田総司なんて、小唄を口ずさんでるし。
恐る恐る池田屋を覗き込むと、血と肉片と死体の海...。

集まっていた人たちが、何を目論み、どんな計画を練っていたのかも分からず。
目の前の現実は、「新選組が大勢を切り捨てて去っていった」
う~ん、悪役だねぇ、新選組。

以前は、会津藩好きということで、バリバリに佐幕派目線でしか歴史を見ていませんでした。
でも、いろいろと文献やら小説やら読んでいるうちに、それじゃいかんっ!となったのです。
世の中には 「完全に悪」 も 「完璧に正義」 も無い訳で、見る角度によって変わるのです。
それぞれに、それぞれの信じる正義があり、彼らは疑いも無く正義を貫いているだけです。
お互いに。

今回の池田屋事件は、龍馬から見た描き方だったと思われますが、
冷静に見ると平等に描かれていたんじゃないかな?

それにしても、亀弥太...。
操練所に残ってみんなと訓練を続けていて欲しかったです。
いや、彼も自分の志に従ったんだよね。
それでも、亀弥太を、知ってか知らずか煽った陸奥にちょっと立腹。
助けを求めて来たのに、知らん振りしていた長州藩邸をちょっぴり憎いと思ったですよ。

 

ぜんぜん関係ないけれど、操練所のシーンで。
学生時代に 「サイン、コサイン、タンジェント」 なんて何時使うんだよ~!
と思いながら学ばされたけれど、ここかっ!? ここだったのかっ!? (笑)

 

[ 2010年06月06日22時51分43秒 ]

会津と地元のつながり

先日、ちょっとしたきっかけで 「会津」 について、ある人に語ったことが呼び水となりまして...。

会津へ行きた~い!!!

などと心の中で叫んでいます。

で、気が付いてみれば、自称 「会津藩好き」 なのに、ここのブログでは殆ど語っていないじゃないですかっ!
『龍馬伝』 絡みか 『長州ファイブ』 ...おいおい、会津藩どころか、佐幕派でもないよ。
佐幕派を語ってるのは、僅かに新選組? しかもイラストばかり。
こりゃマズイってことで、たまには会津について語ってみようかと...。

 

最初はもちろん 「幕末会津藩」 に惹かれて行った会津ですが。
何度も行くうちに、会津の街や人、空気にほれ込んでいます。
調べてみると、地元にも縁が結構あったりなんかして...。

会津も、私が住む地元も、周囲を山に囲まれた 「盆地」。
囲む山の高さは違いますが、海から離れた山なので、
山菜だったりお蕎麦だったり、食材は近いです。
まぁ、それくらいなら地理的条件による相違と考えられます。

でも、他にも、馬刺しを食べるとか、天ぷら饅頭とか。
お饅頭を天ぷらにして食べる風習は、地元でもあるんです。
(会津では日常食ですが、こちらはお盆の季節もの。)

 

◆高遠つながり
さてさて、なんでこんなに似ているのかなぁ...と思っていたら、
会津藩藩祖の 「保科正之」 でした。
正之公は、会津に移る前は米沢、その前にいたのは、地元の県内の
高遠藩だったりするわけです。
保科正之公が住民に対してとても良い政治を行っていたので、
家臣はもとより地元住民も多数ついて行ったのだそうです。
それで、人々の暮らしや文化も移動したわけですね。
今でも、会津方面で食べられているお蕎麦が 「たかど (高遠)」 と呼ばれているのは
そういう理由です。
逆に、高遠ではお蕎麦の文化は一度廃れて、ここ数年に会津より 「たかど」 の文化を
逆輸入して盛り上げようとしています。

高遠にある歴史資料館の展示によると、『会津磐梯山』 に

小原庄助さん 何で身上潰した 

          朝寝朝酒朝湯が大好きで

               それで身上潰した ハァモットモダーモットモダ♪

歌われて有名な 「小原庄助」 さんは、もともとが高遠から会津に移った人だそうです。
戊辰戦争で戦死した人にも 「小原庄助」 さんがいてお墓もあるので、
代々名前を受け継いだのかも知れないし、庄助さん自体が架空の人物だとか、
他にモデルとなった人物がいるとか、さまざまな説があり事実は不明ですけど...。

そんな歴史的つながりがあり、鶴ヶ城三の丸や保科正之公を奉っている 「土津神社」 には、
高遠から贈られた 「コヒガンザクラ」 が植えられています。

ついでの高遠情報。
高遠には、仲間由紀江の映画  『大奥』 で有名になった江島が流されて幽閉された 「囲み屋敷」 が復元されています。

 

◆保科正之公
保科正之公にふれておくと...二代将軍徳川秀忠の隠し子で、徳川家光の異母弟です。
恐妻家の秀忠はコッソリと認め 「幸松」 と名前も贈りますが、正之の存在は公表されませんでした。
秀忠の正室 「お江与」(お江)は、織田信長の妹、お市の方の三女で、秀吉の側室淀君の妹。
戦国の乱世を政略結婚で生き抜けてきた8つも年上の正室に正之の存在を知られたら、
母子の命が危ないのです。
つてを頼って武田信玄の娘、見性院に保護をされ、正之7歳の時に元武田家の家臣である
高遠藩保科正光に預けられる事となりました。

その後、正之は実子のいなかった保科家に養子に入り、いろいろあって、保科正之は家光に見出されます。
米沢を経由して会津へ移り、己の出生を誇示することなく将軍家に使え、数々の業績を残したわけです。

秀忠の正室 「お江与」 は、「お江」 として来年のNHK大河ドラマに決定しています。
主演は上野樹里。 のだめ = お江 って、どうなるんでしょう?
ちなみに、「保科正之を大河ドラマにしてください!」 という活動が、会津・高遠で行われているのですが...。
長野県では、「保科正之」 の他に 「真田幸村」 と 「木曽義仲」 を推している活動があって...
全県一致で纏まっていないのよね。


さてさて、話は会津に戻って...。

 


◆小笠原長時
私の地元の守護だった 「小笠原長時」 という人物がいます。
時は武田信玄が信濃に進出してこようという頃。

林城という山城を拠点にしていた信濃守護の長時くん。
一応、馬術とか弓術では名を馳せていて、礼儀作法の 「小笠原流」 に関係する人物らしいのですが、
どうにもヘタレで、政も上手くなく困った殿様だったようです。
戦う気でお城で準備をしていましたが、いざ信玄が攻めてくるぞ~!ってなったら、
怖くなって戦う前に逃げ出しちゃいました。
その時に、自分の愛でた白牡丹が、敵に踏み荒らされるのは忍びないと、近くの兎川寺に株を預けました。
雅と言えば雅な殿...なんですけどね。

で、何故、長時くんかといいますと、信濃を追い出され、上杉謙信を頼って越後に行ったり、
なんだかんだ巡り巡って、たどり着いたのが会津でした。
幕末には白虎隊らが学んだ会津藩校日新館でも、礼儀作法として 「小笠原流」 が教えられていたのは、
もしかしたらそんなつながりかも知れません。

会津で蘆名氏の世話になっていた長時君は、会津で家臣に殺されてしまいます。
「いい年こいて家臣の娘に手を出したから、家臣に殺された」というのが通説となっている
残念な結果ですが、最近は地元の研究家によって病死説も浮上し、
どうなるかと個人的に気になっています。

転々としてやっと落ち着いた場所が会津。
会津市内の 「大龍寺」 で奥さんと共に眠っています。
そんな長時君の白牡丹は、松本城にも株分け寄贈され、毎年五月中旬~下旬ごろに
見事な花を咲かせて、市民に親しまれています。


長時くんのお墓が大龍寺にあると教えてくれたのは、初めての会津若松ひとり旅で
バスを待っていた時に話し掛けてくれたおばあさん。
どうやら、ボランティアで観光案内をしている方のようです。
会津では、自分達の歴史に誇りを持って、郷土を愛している人々が多いんです。
その辺りの話は、またの機会に。

 

[ 2010年06月06日12時04分09秒 ]

▲このページの先頭に戻る