秋山香乃さんの 『雨に添う鬼 武市と以蔵』 を読みました。
元々感想文というのは苦手なので、とにかく思ったままを適当につらつらと書き留めます。
秋山さんの作品に出会うまで、時代小説・歴史小説といえば、司馬遼太郎さんとか、池波正太郎さんとか、男性が男性向けに書いたような作品しか知りませんでした。
その為、秋山さんの女性独特の人物を見る目だとか、繊細でたおやかな文章がものすごく目新しく、読み易かったので、すんなりと作品の世界に入る事が出来ました。
さて、そんな秋山香乃さんの最新刊は、幕末の時代に土佐勤皇党のまとめ役として奔走し、最期には切腹してこの世を去った武市半平太と、その陰で武市の為に 「人斬り以蔵」 として怖れられた岡田以蔵の師弟の話。
歴史小説というのは、大まかな流れと結果は知られているわけで、それらの間をどうやって埋めていくのか?というのが作家としても読者としても醍醐味なんだ思います。
史料に残されている史実という点を、実在した人物の思いや行動を、紡ぎ出す文章によって繋げていくわけで、あくまでも 「小説」 なんですよね。
作ったものの中に、いくつかの史実がある分、それが本当だと思い込んでしまい易いし、どこまでが史実でどこからが創作なのか...余程、史料を読み込んだ人じゃないと判断も難しいでしょう。
はい、かく言う私も、多少は幕末について史料を読んだ人が書いた解説本的な書籍は読んでいるのですが、土佐藩については殆ど知識を持ち合わせておりません。
だから、この 『雨に添う鬼』 のどこまでが史実なのか?どこからが秋山さんの創作なのか?という判断は無理です。
そういう訳で、比較するのはあくまでも、私の中の武市像、私の中の以蔵像、私の中の龍馬像です。
そんなこんなで、ネタバレ必須の感想文の続きは、『続きボタン』 をポチッとな。
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『雨に添う鬼 武市と以蔵』
著:秋山香乃
講談社
ISBN 978-4-06-216168-8
定価:本体1,500円(税別)
第1刷発行 2010.04.20.
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ポータルサイトの更新リストからタイトルをクリックして飛んでくると、
こちらの続きまで一緒に見えちゃうんですよね。
なので、以降、ネタバレ感想文は白文字で隠しておきます。
読んでもOKな方は、ドラッグで反転させてお読みくださいませ。
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武市と以蔵。
土佐藩については 『お~い竜馬』 と 『龍馬伝』 でしか知識の無い私。
真っ先に思ったのが 「土佐藩舞台で龍馬が脇役ってのがスゴイよね」 でした。(笑)
まぁ、脇役と言っても、要所要所は押さえているんですけどね。
秋山さんの描く人物像ほぼ至上主義の私ですが、武市・以蔵・龍馬の身長が同じくらいという表記だけは脳内変換させて頂きました。
以蔵は小柄で華奢なのが希望!
猫背で三白眼で見上げるから、余計に卑屈に見えちゃう的な感じ希望!
あとは、名前と自分がやっていない暗殺を疑われて自害したという話だけは知っていた 「田中新兵衛」。
以蔵と同じく、幕末に 「人斬り新兵衛」 と言われた人物ですが 「人斬り」 と怖れられた割に、やたらと 「さわやか君」 でした。
やっぱり自害の潔いエピソードのせいなんでしょうか?
私の中で、以蔵と武市の関係は 『龍馬伝』 のように、自覚が有るか無いかはともかく 「自分を認めてくれるのは武市先生だけやき。 じゃけん、武市先生の役に立ちたい」 という以蔵の卑屈的な忠誠心を武市が利用したというイメージだったので、この作品の 「武市の無自覚な思いを、以蔵が勝手に先回りして人斬りを行った」 という、以蔵の悲しいまでの不器用な片思いと、武市の可愛いけれど憎くもあるもどかしい思いが、切ないと思いました。
いっそ、利用されたと憎んだ方が楽だよ、以蔵。
いっそ、利用して捨ててやった方が開き直れるよ、武市先生。
すれ違いは、辛いよね。
とにかく、この作品は、武市と以蔵の、師弟愛なんて簡単には言えない 「想い」 が、すれ違って切ないのです。
相手を思えば思うほど、相手の事が解らなくなっていく二人。
学が無く、父親にも見捨てられたと思い込んでいる以蔵は、武市と出会って、初めて自分の存在を認めてくれた武市に、恩を感じ、自分の全てを捧げようと思い込む。
「武市に必要とされている」 と思うことに依存して、剣の腕しかない自分が、武市の為に出来る事 = 人斬り だと思い込み、いつしか彼の思いは、師と慕う思慕と、慕う想いが強い故の憎しみが交差しはじめ...。
想いが狂気へ流れる辺りの心の動きは、秋山さんらしいな、と思います。
以前の作品 『新選組藤堂平助』 で描かれたのは、どこか透明で儚い狂気でしたが、今回の以蔵の狂気は、黒雲が渦巻くように暗く、粘着質で、それでいて切ないものに思えます。
「見捨てるくらいなら、その手で殺しちつかァさい」
彼の吐いたセリフは本心なんでしょう。
「武市に必要とされる」 ことだけが以蔵の願いであり、人生の全て。
だから、武市に殺される事によって、武市の記憶に残りたい。
武市に己を殺させる事で、潔白な武市を汚し、それによって武市の中に自分を残したい。
けして拭い去る事のできない方法で、自分を武市の中に刻み付けたい。
これは、思慕を超越し、執念かと。
その執念は、武市が投獄され、自分が武市に裏切られたと思った時に、実行されてしまう訳ですが。
以蔵に縋る女性を通して、以蔵に自分と武市の関係を見せ付ける辺りは、残酷だなぁと思うけれど、さすが秋山さんです。
一方、武市の方も、最初は純粋に以蔵の素質に惚れ、自分の手で育ててみたいとの思いで以蔵を誘います。
剣のみで学の無い以蔵に学問を身につけてやりたい・・・それは師としての愛情だったのかも知れません。
しかし 「勤皇攘夷」 に奔走して以蔵を置き去りに。
離れていた以蔵が、少しずつ思い詰めて闇を取り込みはじめると、愛情が、恐れ、憎しみに変わり始め、それでもやはり、自分に縋る以蔵を可愛いと思ってしまう。
自分の言動次第で以蔵の人生が幸せにも不幸にもなると気付いた瞬間の武市は、既に潔白じゃないんだけど、きっとそんな事実を突きつける存在の以蔵が憎いんだろうと思います。
「攘夷」 の邪魔だとか、足を引っ張るとか、そんな理由じゃなくて、自分が汚い人間だと気付きたくないんだろうな、と。
陳腐な表現ですが、光さすところには、必ず影がある。
武市と以蔵はそんな感じなのかも。
この二人、出会った時代が時代でなかったら。
9歳の年齢差ではなく、同じ歳だったら。
もしくは、もっと親子ほどに歳が離れていたら。
自分の想いを伝えるには不器用過ぎた二人に 「歴史のIf」 を当てはめて、歯がゆさと切なさを感じてしまいます。
air (エア)
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